鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.1月取材旅行「馬頭広重美術館~足利・観音山~女浅間山・男浅間山」 その14

2013-03-22 05:47:25 | Weblog
『毎日新聞』2013/3/10(日)の読書欄に「好きなもの」として環境考古学者の安田喜憲さんの文章が出ていました。①が「旅」で、②が「自然」、そして③が「本」であったのですが、その②の文章の中に、次のようなことが記されていました。「ところが、今、その森の防潮林にかわって、宮城県ではコンクリートの防潮堤が延々100キロメートル以上にわたって海岸に作られ始めた。コンクリートの防潮堤を支える矢板によって、地下水の循環系が遮断され、宮城の海が死ぬだけではない、50年もすれば海岸のコンクリートはボロボロになる。これが本当に子供たちに残すべきものだったのだろうか。」つまり宮城県の海岸部ではコンクリートの防潮堤が作られ始めているということですが、「なぜ、そうなってしまうのだろか」というのが正直な感想でした。詳しいことは何もわかりませんが、コンクリートの防潮堤を延々と海岸部に作ることを提案したのは誰で、決定したのは誰なのか。なぜコンクリートの防潮堤を望ましいと考えたのか。地域住民はその決定に参画しているのだろうか。コンクリートの防潮堤のメリット、デメリットについては十分に検証されたのか。デメリットがあるとしたら、それについてはどのような対策が行われることになっているのか。子々孫々、ずっと将来のことまで様々な面から考えた上での決定であり、着工であったのか…、といろいろな疑問がわいて出て来ました。どういう力学が働いて、こういうことになっていくのか、そこのところがよくわからない。こういう対策(私から見れば短絡的で近視眼的な対策)が莫大な復興予算を掛けて易々と行われていくということは、その後、完成した防潮堤の内側にどのような景観が作りだされていくかを私に予感させるものです。高層マンションや高層公共施設を中心としたコンクリートの「箱モノ」が、いかにも環境にやさしいかのように広い緑の中に(かつては津波にのみこまれて出来た更地であったところに)ニョキニョキと立ち並ぶ、そういった景観。建築家である伊東豊雄さんや隈研吾さんの考え、また植物生態学者の宮脇昭さんの提案を見てきて、それに共感を覚えてきた私にとっては、そのような景観が「本当に子供たちに残すべきもの」であるとは到底思えません。 . . . 本文を読む