鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.冬の取材旅行「平泉~足利~佐野」 その最終回

2013-03-04 05:46:10 | Weblog
笹子トンネルの天井落下による死亡事故も記憶に生々しい。以前にアメリカで同様の事故が起こり、その危険性が確認されていたにも関わらず、天井を吊り下げている接合部分の点検は、さまざまな理由から目視点検にとどまり、徹底した点検はなされませんでした。いわゆる「経年劣化」(老朽化)によって起こりうると「想定」されていた事態であったにも関わらず、経費的な面や利益上のこと、流通面でのこととか、さまざまな理由から、厳しい徹底的な点検ならびに補修が行われなかったために発生した大事故でした。しかも大きな地震が起きたことによって発生したというのならともかく、まったく「平時」において発生したというのが驚きでした。「平時」においても「経年劣化」によって起こりうる(実際に起こった)のなら、巨大地震が発生した時にはいったいどういうことが起こるのか。「天井板」吊り下げ方式のトンネルだけの問題なのか。「経年劣化」した首都高速や上下水施設等が網の目のように走っている首都東京は果たしてどうなるのか。「道路」や「線路」や「インターネット」に支えられた首都東京住民の生活は、それらのあちこちがあの「笹子トンネル」のように長期間「通行止め」になったらいったいどうなってしまうのか。そういう事態が十分に「想定」されうるのに、人々の中には、日本の「復興」「復旧」を世界に示すためとして、「東京オリンピック」開催実現を進めている人たちがいる。「想定」される事態なのに、それへの対処を後回しにし、「再びの高度経済成長」や「東京オリンピック」の開催が、すべてをよりよい方向へ向けていくとの幻想を振りまいている人々がいる。中央の人々が東北の「復興」「復旧」を軽々しく口にすべきではない。何かにかこつけて巨大津波や放射能汚染被災地の「復興」「復旧」を軽々に口にすべきではない。問題なのは、直視し対処すべきことがらを、さまざまな理由をつけて「後回し」にし、「考えないこと」とし、「なかったこと」にする…、つまり意識の範囲外へと置いてしまう姿勢にあり、それなのに何かあった時に「それは想定外であった」といって陳謝するのはおかしいということです。幕末において、いち早く対外的・対内的危機意識をつのらせていった崋山が直面した現実とは、おそらく当時のそのような行政(田原藩や幕府)のあり方であり、役人たち(田原藩や幕府)の姿勢であったのです。 . . . 本文を読む