鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.7月取材旅行「桐生」 その6

2012-08-03 05:00:54 | Weblog
崋山は、桐生到着の翌日10月13日は岩本家でゆっくりしていましたが、翌14日は袴羽織姿に着替えて、岩本茂兵衛、その長男喜太郎とともに「こゝろやすき人々」を訪問しています。この「こゝろやすき人々」とは、もちろん岩本家にとって懇意な人たちという意味。その一人が玉上甚左衛門であったことは、翌15日の項に「昨玉上甚左衛門訪ひしに…」とあることからわかります。この玉上甚左衛門については、「頭注」に「織物買次商岩本屋の主家筋にあたる三代玉上甚左衛門政美。桐生新町で織物製造と織物買次商を兼ねる。詩や和歌をよくし、白謹と号す」とあり、『毛武と渡邉崋山に関する新研究』によれば、初代岩本茂兵衛は、この初代甚左衛門のもとで働いていた人物でした。そしてこの玉上家の江戸における第一の取引先は、江戸麹町の「岩城桝屋」であったのです。岩本家もまた主家と同様、江戸麹町の「岩城桝屋」を主要得意先としており、その縁で麹町近くの田原藩上屋敷に出入りすることもあったものと思われます。16日、崋山は茂兵衛、喜太郎らと大間々の要害山に赴く途中、堤村の谷(やつ)仁右衛門家を訪ねていますが、茂兵衛は谷仲右衛門の二男としてこの堤村に生まれ育っています。崋山はまず岩本家の主家筋にあたる玉上家を訪問し、そして次に茂兵衛の「親兄弟」を訪問しているのです。茂兵衛の妻である妹茂登の兄としては当然の行為ではあるものの、またそこには崋山の義理固さも現れています。 . . . 本文を読む