鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.7月取材旅行「桐生」 その6

2012-08-03 05:00:54 | Weblog
こういう案内板が設置されているのはありがたい。

 デジカメで撮っておけば、あとで液晶画面で地図を確認できる。液晶画面はズームアップ機能を持つので、細かいところも拡大すればよくわかります。道に迷っても、これで確認すれば位置や方向を確認できます。

 この「桐生まちなか探訪マップ」には、①から⑳までの名所や観光地などが写真付きで掲載されており、それぞれには簡潔な解説も付されています。

 たとえば①は「桐生天満宮」で、「見事な彫刻が施された近世桐生を代表する神社」といった塩梅。

 今まで歩いてきて目に留まったものとしては、⑥「玉上薬局」=「築200年以上の店舗が付近では最古の建築です」⑦「旧書上商店(花のにしはら)」=「桐生の発展・近代化に貢献した書上商店の構造物群」⑨「泉新」=「数々の名士をもてなしてきた、天保元年(1830年)創業の老舗」⑪「金善ビル」=「モダンな空気を今に伝える大正時代の鉄筋コンクリートビル」など。あのレトロな4階建ての「金善ビル」は、大正時代の建築物であったのです。

 「ノコギリ屋根工場群を利用したパン屋」は③の「ベーカリーカフェ レンガ」。これは以前にテレビの旅番組で観た記憶があります。

 「ノコギリ屋根」の工場関係のものとしては、⑤の「無鄰館」もそうだし、⑬の「後藤織物」、⑭の「青柳」(和菓子屋)、⑱の「美容室 Ash」もそう。⑱は「大谷石造りのノコギリ屋根工場」であったとのこと。

 ⑮の「桐生倶楽部」、⑯の「織物記念館」、⑰の「絹撚記念館」、⑲の「桐生明治館」など、興味深い洋風の建造物などもあり、この桐生が財力豊かな土地であったことを示しています。

 ざっと地理的なところをこの「探訪マップ」で確認した後、「本町一丁目」交差点を左折、「買場通り」という名前の通りへと入ってみました。

 「桐生本町一、二丁目まち歩きマップ」によると、この通りの左手にかつて「第壹物産賣買所(買場・上市場)」があって、「当パンフレットの表紙にある銅版画が、この場所を描いたもの」であり、「現在も市場として使用された建物が残っており、『買場ふれあい館』として活用されています」とあり、さらに「天満宮骨董市と同じ毎月第一土曜日に『買場紗綾市』が行われています」とも記されています。

 パンフレットの表紙を見てみると、たしかに「桐生本町一、二丁目まち歩きマップ」と記された下に一枚の銅版画が掲載されており、それには「群馬縣桐生 第壹 物産賣売所」とあり、通りの両側には瓦葺2階建ての長い木造家屋が西方向へと延び、その奥には小高い山があります。

 中央の通りには荷物を背負った人々が密集し、店先には荷車も多数停まっています。

 その中央の通りがおそらく「買場通り」であり、手前の左右に延びる通りが「本町通り」であるでしょう。

 その「本町通り」には空の箱馬車のようなものが停まり、また荷物を満載した大八車がまさに「買場通り」に入ろうとしており、また人力車の姿なども見られます。

 店内にもたくさんのお客や商人などが密集しており、かつてのこの「第壹物産賣買所」の賑わいぶりを示しています。

 そしてどうやらこのあたりが、江戸時代において「紗綾市」が開かれていた場所であるようだ、といったことがわかってきました。


 続く


○参考文献
・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)
・『毛武と渡邉崋山に関する新研究』(眞尾源一郎)
・「桐生本町一、二丁目まち歩きマップ」(桐生市)


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