鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.夏の取材旅行「河原子~大津浜~平潟」 その3

2012-08-24 05:35:30 | Weblog
今まで見てきたことからわかる通り、崋山が銚子で滞在した「行方屋」大里庄次郎家は、磐城平藩と棚倉藩の「御穀宿」であり、その蔵を両藩に提供していました。銚子にはそのような「御穀宿」が幕末において六軒もあり、藩によっては蔵や蔵屋敷も存在していました。つまり銚子は東北諸藩の「廻米」ルートの道筋にあり、その「廻米」運送等に関わる大商人たちがおり、そして東北諸藩の「廻米」に関係する役人たちがその「御穀宿」にやってくる町であったのです。「港町銚子の機能とその変容」には、第6表として「幕末における東北諸藩と穀宿」というのが載っていますが、それによると藩名は、仙台藩・米沢藩・磐城平藩・棚倉藩・常陸笠間藩・相馬中村藩、そして幕府御城米となっています。「幕府御城米」というのは、東北地方の天領(幕府領)の年貢米であり、浅草御蔵(現在の台東区蔵前一、二丁目付近)に運ばれることになります。2週間ほどの銚子滞在で、このような銚子港の機能や実態に、情報収集力旺盛な崋山が気付かなかったはずはない。 . . . 本文を読む