『袖ヶ浦市史 資料編2 近世』に、『奥州道中記』が紹介されています。これは上総国蔵波村の7名が、天保11年(1840年)の6月17日に蔵波村を出立し、出羽三山を参詣して、7月27日に帰宅するまでの日記。男に生まれたら一生に一度は三山(さんやま)に登り、親の足跡を踏むものだと言われたといい、そのことからも房総における出羽三山信仰の強さを知ることができます。ここで興味深いのは、最後の3日間の一行の行程。その内容は、23日:牛堀宿→板子(潮来)→大船津→鹿嶋太神宮→香取津宮河岸→佐原屋泊 24日:香取太神宮→津宮河岸→息栖河岸→息栖太神宮→松岸村→銚子→飯沼観音→観音門前の吉野屋平助泊 25日:銚子→八日市場→横芝→東金→八幡→蔵波村というもの。参詣旅の終わりにも関わらず、「東国三社」を詣で、銚子では「飯沼観音」にも詣でています。この牛堀→潮来→大船津→津宮→息栖→常陸利根川→利根川→銚子という水上ルートは、崋山が15年前の文政8年(1825年)にたどったコースと一部重なっており、蔵波村の7名は崋山が見たのとほぼ同じような風景を、船の上から眺めていたものと思われます。 . . . 本文を読む