鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

江戸博の企画展「横山松三郎」について その2

2011-03-07 06:41:33 | Weblog
『写真で見る江戸東京』の表紙カバーの写真は、旧江戸城「中の門」前に集まった旧江戸城写真撮影関係者などを撮影した写真です。斬髪で洋装の者もいれば、ちょん髷帯刀着物姿の者もいれば、いが栗頭の少年までいる。目立つのは左手の方に、洋傘をさして脚立に座っている人物。立派な羽織袴姿で、他の連中とはやや異なる雰囲気。この人物とその隣に立つ少年ばかりは、撮影者である横山松三郎の方へ視線を向けています。この洋傘をさした羽織袴の人物は誰か、ということについて、岡部昌幸さんは、同書「明治四年『旧江戸城写真帖』の残像」の中で、これは蜷川式胤(のりたね)ではないかと推測されています。蜷川式胤らしき人物は、同書P14~15の北桔橋門の桝形内で撮影された写真の中にも写っています。それは中央やや右手の、やはり洋傘をさして脚立に座っている人物。この蜷川式胤は、当時太政官少史の立場にあり、この人物こそ、次第に荒廃していきつつある旧江戸城の姿を後世に残すために、写真撮影を太政官に申請し、横山松三郎に写真撮影を命じた男。彼が太政官に申請したのは明治4年(1871年)の2月23日。許可を得たのが2月27日。写真撮影が行われたのは3月9日を含む数日間(「近代の視覚と技術の探究者 横山松三郎」岡塚章子)。明治4年の「3月9日」は西洋暦になおすと「4月28日」となるから、晴れていれば日差しは強く、この蜷川式胤(撮影活動全体の統括者)が洋傘を差しているのも肯(うべな)える。この写真を撮影した横山松三郎が構えるカメラは大型の暗箱カメラ。そのコロディオン湿板ネガから焼き付けられた鶏卵紙に彩色を施したのは絵師の高橋由一。この表紙カバーの写真もカラーのように見えるが、これは鶏卵紙に高橋由一が彩色したもの。現在「中の門」は巨大な石垣が残るばかりですが、ここには巨大な門の構造物や櫓などがしっかりと写っています。 . . . 本文を読む