『百年前の東京絵図』のP42~43に「辨慶橋」という絵がある。「弁慶橋」というのは「弁慶堀」に架かる橋で、赤坂見附と喰違見附の間にありますが、江戸時代にはなく、明治になって架けられたもの。この絵が山本松谷によって描かれた明治30年代にはこのような橋が架かっていたのです。『明治・大正・昭和をめぐる東京散歩』の明治42年(1909年)のこのあたりの地図(P108)を見てみると、「弁慶橋」から西側の「弁慶堀」を眺めれば、右手には「伏見宮邸」、左手には「赤坂離宮」が見えたことになる。となると、この絵の右側に描かれる建物は「伏見宮邸」であり、左側に描かれているのは「赤坂離宮」ということになるのではないか。この絵を見ると、「弁慶堀」の両側の石垣は低く、その上はゆるやかな芝土手のようになっており、右側の土手には桜の木が密集しており、春ともなれば桜の花が美しく咲いていたことがわかります。右側の「伏見宮邸」の奥が喰違見附であり、手前の「弁慶橋」を右手に行けば清水谷や紀尾井坂方面、左手に行けば「外堀通り」へと出て、山王日枝神社や溜池方面に至ることになります。今しも春雨が降っており、「弁慶橋」上を行き交う人々は多くが傘をさしており、人力車は幌をかけて走っています。 . . . 本文を読む