鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

『東京市電名所図絵』に見る明治40年前後の東京 その2

2010-06-04 06:50:54 | Weblog
『東京市電気局三十年史』(東京市電気局)によれば、「東京馬車鉄道」を引き継いだ「東京電車鉄道」の路面電車が営業を開始したのは、明治36年(1903年)の8月22日で、運転された区間は品川~新橋間。その1ヶ月弱後の9月15日には「東京市街鉄道」の数寄屋橋~神田橋間が営業開始。その半月後の10月1日には、やはり「東京市街鉄道」の日比谷~半蔵門間が営業開始。その翌月の11月25日には、「東京電車鉄道」の新橋~上野間が営業を始めています。同月11月29日には、「東京市街鉄道」の神田橋~両国間、そして半蔵門~新宿間が営業開始。翌明治37年(1904年)になると、2月に「東京電車鉄道」の日本橋区銀町~浅草雷門が完成し、3月18日には浅草雷門~上野間が営業開始となっています。さらにこの年には、「東京電気鉄道」(もと「川崎電気鉄道」)も登場し、12月8日に土橋~御茶ノ水橋、翌明治38年(1905年)4月には、土橋~虎ノ門、お茶ノ水橋~本郷東竹町の間を営業させています。この三社は、明治39年(1906年)9月5日の日比谷公園における電車賃値上反対市民集会の後に起こった電車焼打(やきうち)事件(10数台が焼かれる)を受けて、その6日後に「東京鉄道株式会社」が設立されて合併。その時の三社の実勢表によれば、「東京電車鉄道」の車両数は250両(40人乗り)、「東京市街鉄道」のそれは480両(40人乗り)と9両(66人乗り)、「東京電気鉄道」の180両(40人乗り)でした。「東京市街鉄道」が、合併時点では最も規模が大きかったことがわかります。『都史資料集成』(第3巻)によると、「東京馬車鉄道」が開業したのは明治15年(1882年)。その最盛期は明治20年半ばから30年代にかけてで、馬匹は2000頭、車両は300台を数えたという。しかし、「東京鉄道」として三社が合併した時の電車の車両数は、約920台ほど。最盛期の鉄道馬車の車両数の約3倍に達していました。その電車の軌道延長は、明治41年(1907年)には160kmを超えていました(馬車鉄道の軌道延長は36km)。路面電車の営業については、「市街の観望を害するものなり」(線条を縦横に架設するために)との反対論もあったようですが、馬車鉄道の「道路破壊」・「不潔ナル排泄物」などの問題点を打開するものとして、積極的に推進されていったようです。 . . . 本文を読む