坂東十番『巌殿山:正法寺』
正法寺の創建
坂東三十三観音霊場の第十番札所の巌殿山正法寺は、養老二年(718)沙門逸海が、岩殿の嶺の岩窟に本尊を安置し、正法庵と号したのがはじまり ・・とか。
源頼朝ゆかりの寺
鎌代時代には、北条政子の守り本尊として、源頼朝の庇護のもと比企能員が復興、一山六十余坊を擁し、坂東三十三観音霊場の第十番札所の命を賜りました。
室町時代には栄えたものの、永禄十年(1567)松山城合戦の兵火で焼亡、一山の僧徒は離散してしまいます。その後天正二年(1574)僧・栄俊が中興。
懸崖仏の表情
石仏・・境内に並ぶ小さな石仏。
全部で百八十八体あるこの石仏は、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、西国三十三ヶ所の百観音と四国八十八箇所の写し本尊。
四国八十八ヶ所をお参りしたのと同じご利益が得られるそうです。
巌殿観音については、過去数回にわたり、このブログに取り上げています。
参考までに ・・・・・・
正法寺・六面憧
つつじ・・咲き始め in 物見山&巌殿
巌殿観音の銀杏が色づき始めました ・・
比企の地名の由来について と 比企一族