ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

桜 ・満開の花の下で お弁当!

2015-03-31 02:46:20 | 日記

    桜 ・満開の花の下で お弁当!

 このところの暖かさで桜が満開になりました。

・・・ 一部につぼみもちらほらと見受けられます。
風もなし、昼食は桜の木の下で ・・・ということで、公園に来ています。
    ・・・ 芝生のある公園は、花見には都合がいい。
    ・・・ ファミリーが、三々五々に集うて、子供は飛び跳ねています。

たんぽぽの花も咲いていました ・・・


清河寺

2015-03-30 11:07:49 | 建造物

    清河寺

妙な名前の場所に興味を覚えた。清河寺である。
文字は、見慣れた文字だが、読みは難しい。・・‘せいがんじ‘と読む。
清河寺と言うからには、その名の寺がありそう。
調べたら、上尾道路の大宮・花の丘公苑の反対側の田園の中にある。

由来 ・・・地名の裏側を眺めると、意外に面白い。
清河寺は、室町時代初期、鎌倉公方・足利基氏が、病中に見た夢の中で、亡兄・竹若丸が大龍に乗って枕元に現れ、清い水を基氏の顔にかけた。これにより、病気がたちまちに全快したことから、亡兄追善のため、大竜に乗って現れたことから山号を「大龍山」とし、清い水を与えられたことから寺号を「清河寺」としたのである。この縁により、足利家祈願所となり、追って、岩槻太田家からも篤い帰依を受けた。

由来が”祈願寺”で、御朱印となれば、寺は知行地を有していたはずである。
この場合の常は、一般を檀家としないで、知行地により寺を維持している筈である。
従って、檀家の墓地は少なく、あったとしてもつい最近のものであろう。
付近の清河寺の地籍は、恐らく”清河寺”の知行地であろうと思われる。
足利基氏が関わったとすれば、禅宗。宗派は案の定臨済宗 ・・・
基氏は、足利尊氏四男。長兄が竹若丸、次兄が直冬、三男が義詮。
南北朝の内乱で、鎌倉公方・基氏は鎌倉を離れ、入間川に陣を置き、南朝側と戦っている。
そのため、”入間川殿”の俗称があり、その頃指扇は入間川沿いであった。 ・・上記の由来の逸話はその頃のこと。

大龍山清河寺。
地名自体の由来となっている臨済宗円覚寺派の古刹で、円覚寺の霊場である。
所在地:埼玉県さいたま市西区清河寺792


 

足利基氏 ・・
基氏は、足利尊氏四男。長兄が竹若丸、次兄が直冬、三男が義詮。
足利将軍家の内紛から発展した観応の擾乱が起こると、父は鎌倉にいた嫡男で基氏の兄義詮に次期将軍として政務を担当させるため京都へ呼び戻し、正平4年/貞和5年(1349)に四男である基氏を鎌倉公方として下し、鎌倉府として機能させる。この折、幼い基氏を補佐した執事(後の関東管領)の1人に上杉憲顕がいた。
観応の擾乱のとき、次兄・直冬は、伯父の直義側に付いた。
南北朝の対立の時、基氏は、関東北朝側のケルン(中核)として存在し、北朝側軍事として、上杉家を関東管領として指名し関東の平定を図った。この時基氏は鎌倉を離れ、入間に仮設の陣を置いている。さらに、小手指川原、笛吹き峠と続く新田義宗との抗争の時、東松山にも陣を置いている。このため、関東は、公方、関東管領が、軍事的力量で国人衆を凌駕していた。さらに分裂した上杉家が、同族同士の抗争を繰り返し、それぞれに加担した国人衆も軍事的力量を蓄積できず弱体化して、ついには小田原北条に勢力を取って代わられた。関東に、有力な戦国大名が生まれなかった背景でもある。



みもざ

2015-03-28 13:35:15 | 草・木・花 風に吹かれて

みもざ

黄色は、かなり強烈で透明感があり、遠目にも目立つ!
 ・・・ フサアカシア、ギンヨウアカシアなどのマメ科アカシア属花卉の俗称

○ 久堅の ミモザの花が しろしめす  ・・庄

この花には、太陽を感じる!  in 万葉の散歩道。

 

Here Comes The Sun - George Harrison

クイックで再生します 

Here Comes The Sun : The Beatles

  Here comes the sun, here comes the sun, 
  and I say it's all right 

  Little darling, it's been a long cold lonely winter 
  Little darling, it feels like years since it's been here 
  Here comes the sun, here comes the sun 
  and I say it's all right 

  Little darling, the smiles returning to the faces 
  Little darling, it seems like years since it's been here 
  Here comes the sun, here comes the sun 
  and I say it's all right 

  Sun, sun, sun, here it comes... 
  Sun, sun, sun, here it comes... 
  Sun, sun, sun, here it comes... 
  Sun, sun, sun, here it comes... 

  Little darling, I feel that ice is slowly melting 
  Little darling, it seems like years since it's been clear 
  Here comes the sun, here comes the sun, 
  and I say it's all right 
  It's all right


 


染井吉野・桜開花 ?

2015-03-27 22:52:41 | 草・木・花 風に吹かれて

染井吉野・桜開花 ? in SAITAMA

遊水池周囲 ・・ 開花 未開花&一部咲きから三分咲き

 

埼玉県の桜開花は ‘3月30日’と予想されています。
熊谷・桜町にある気象台は、桜の開花を、
          荒川・桜堤の標準木で宣言します。

It's groovy!

ここは桜の名所、・・・
 大宮公園、・・見沼用水西縁水路、第二公園遊水池周囲、芝川堰堤、 ・・・
 桜の並木が、四層にも五層にも重なる、桜の新名所です。

もう一つの桜の新名所、荒川の堰堤・桜草自生地から彩湖周辺も、
   植えた桜が成長し、桜木がかなり集積して壮観!
   ・・・  しかし今日は行けません。

西縁水路・側道 ・・開花 一部咲きから三分咲き

 

何日か前、桜開花予想を、‘3月26日’としましたが、当たっているかどうか、微妙なところ・・・


安行・ふるさとの森

2015-03-26 01:02:44 | 草・木・花 風に吹かれて

安行・ふるさとの森


3月下旬なので、絶滅危惧種・”一輪草”の群落を見にやってきました。
少し早かったようで、まだ咲いていません。やはり4月中旬が見頃でしょうか?!

気持ちのいい散策路です。

 

トンボ池の隣・沼地に咲く ”水芭蕉”。

 

散策路脇の ”ボケ”満開です。

 

一輪草に似た ”姫一輪”だそうです。少しだけ群落!

参考:ナビ設定の住所:川口市安行原 2269-1


小米花

2015-03-23 22:45:28 | 写真と詩歌

 小米花

 

白水の 流れた跡や 小米花    東都菊明(一茶の若年の俳号)
滝落ちて 白き飛沫や 雪柳   庄

雪柳が咲き始めました。
小さき花を集め、純白はこぼれそうです。
俗名は、小米花とも米柳とも。なるほど米に似ています。あげくには小米桜ともいいます。
枝振りは、林立するもあり、枝垂れるもありです。
雪柳は、枝垂れる方に贔屓して付けた名前なのでしょう。

散るが易く、桜より短命のことはご存じでしょうか。

最近、花の散る‘さま’を意識しています。
  ○雪やなぎ 苑をしろくし ひと死せり 山口誓子

参考:
   沈丁花、  ○庭石に 花こぼしをり 沈丁花  ・富安風生
   花蘇芳、    ○風の日や 煤ふりおとす 花蘇芳 ・滝井孝作  : 花蘇芳・・はなずおう

   ゆすらうめ、○万両に ゆすらの花の 白き散る ・正岡子規
   李花、      ○わが園の李花か 庭にちる はだれのいまだ のこりたるかも  ・大伴家持 : 李花・・すもも
   椿、     ○赤い椿 白い椿と 落ちにけり  ・河東碧梧桐
   山吹、   ○ほろほろと 山吹ちるか 滝の音 ・松尾芭蕉


京の地図

2015-03-23 00:55:01 | ひとりごと

 :京の地図 

写・京の地図 平安京

京の葬送の地

最近、明の「西行」を読み、また峯八幡の由来で「新羅三郎源義光」を調べて、鳥部野と新羅神社が頭に残っており気にかかっていた。

ある時、京の地図を見ていた。なんとわなしに、‘ボー’と地図を眺めるのはかなり好きである。調べようと思ったわけではない。ただ、鳥部野と新羅神社の位置を確認したかっただけである。

鳥部野は京の葬送の地である。鎌倉、室町の戦乱を思い浮かべて、単純にその頃からの葬送の地であると思い込んでいた。思い込みも激しいが、だが違った。もっと前、平安京の頃かららしい。
京都には、葬送の地は三カ所あるという。

鳥部野(鳥辺野・とりべの)
化野(あだしの)
蓮台野(紫野・れんだいの)

*化野など、地元の人か京都の歴史に詳しい人でしか、読み方を知らない。

鳥部野は、京都東山に位置し、清水寺の背景の山野。
化野は西山・・、蓮台野は北山・・
今でこそ、墓地の体裁を整えているが、鎌倉期までは戦乱の死者や窮乏の餓死者が京中の街角に溢れ、屍が通行のじゃまになるからと捨て置かれた場所なのだ。屍は土を被せるでもなく山積みに置かれ、土に還るのを待つのみ・、肉食・雑食の鳥たちの啄みの対象でもあった。風葬のことである。

写・清水の舞台

清水の舞台は、屍を谷へ投げ込む場所であった。その谷は鳥部野である。時が経ち、清水の舞台は”投げ落とす”から”飛び降りる”という表現に変わった。
その頃、天台宗や真言宗に弔いの思いはあったが教義はなかった。
・・・ 救い難い世相を救済する、は ・・まず埋葬から始まる。衆の安心は、来世は極楽であると言うこと。念仏をひたすら唱えれば、衆すべからく極楽に行ける、と ・・・

化野の入口に念仏寺がある。京都嵯峨野に当たる。法然が念仏道場としたのが発祥である。


京の不思議

京の地図を見ていると不思議なことに気がつく。

写・左京区右京区・京の図

右が左で、左が右なのだ。
地図は、上を北に置くのが約束。
京の中心から右側が左京(区)、左側が右京(区)。逆さまなのだ。
そもそも、平安京を作った人は誰であろうか?その人は、なにを考えていたのだろうか。
平安京は、中国の、唐の都市を模して造られたことで知られる。してみれば唐人が設計したとする可能性が高い。中華思想は中国が中心だとする考え方である。そうすると玄関口は日本海になる。
日本海側から京都を見れば、右は右、左は左 ・・・と言うことになる。

圧倒的に

写・日本海流・半島

古来からの渡来人の日本へのルートは、島伝いに九州へ来るルートと、半島から島伝いに出雲へ来るルートと半島から海流を利用して出雲から若狭までの海岸線にたどり着くルートが考えられる。大量の日本への渡来は、技術文化の伝達のためなどは意外と少なく、主に勢力争いの果て敗残した氏族が、生命の危機を覚えて、丸ごと日本に逃避してきたほうが圧倒的に多いと見る方が合理的だ。その場合、最後のルート、海流を利用したと見ることが一番正確だろう。

兎に角、文明・文化の玄関口は日本海側であることは間違いない。平安京時代以後、京都北に位置する小浜あたりが一番適しているとおもえる。

 

新羅善神堂(新羅神社)

新羅三郎源義光が元服の儀式を行った新羅神社は、滋賀・大津の三井寺の中にあった。新羅神社は”新羅善神堂”という。

三井寺
 ・・・ 天台寺宗総本山三井寺(園城寺):所在地: 滋賀県大津市園城寺町246

写・新羅神社

写・三井寺(園城寺)

新羅神社は、そんなに珍しいものではないが、京都に求めると、やや困難である。それも、神社と言うより三井寺の一社格・仏閣としてあるので、人を惑わす。
これは、神仏習合のなせる所なのだが、なぜに廃仏毀釈を生き延びたのか、その経緯に詳しくない。建築様式的には流造の神社本殿。何故にこのように複雑かは不明。
三井寺の由来を見て見ると、源氏の源流が少しだけ垣間見えてくる。

 


白もくれん

2015-03-17 11:58:36 | 写真と詩歌

  白もくれん


一輪咲いて、ほかはつぼみ!の 白もくれん


もくれんの 艶やかありし白妙!

背景の常緑樹は、イチイであろうか?伽羅であろうか?伽羅であれば香木・・・

別名を‘アララギ’というが、そういえばそんな名の短歌の雑誌があったような?

  ○白もくれん 落花に歪む 池の月 ・・庄