ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

亀八幡・風景

2018-08-31 03:33:29 | 神社・仏閣

亀八幡・風景


      
                        広重の”市ヶ谷八幡宮”・--
 

 
道灌が、江戸に城を作り、領内の安寧を願い、幾つかの神社を勧請した。「亀ヶ岡八幡宮」もその一つである。
勧請元は、鎌倉の鶴岡八幡である。関東の抑えに、「鶴」に相対する「亀」を配したわけであるが、中世の宗教心理は極めて真面目であるようである。
道灌の江戸城築城の意義は、・・・
---・武州江戸城者、太田左金吾道灌源公所肇築也、自関以東、与公差肩者鮮矣、固一世之 雄也、威愛相兼、風流籍甚、比年騒乱以来、欽承、王命者、八州内才三州、三州之安危 、系于武之一州、武之安危、・---
つまり・「三州の安危は武の一州に系り、武の安危は公の一城に系る」 これは文明8年(1476)に 京都の詩僧・正宗龍統が、道灌の居所である江戸城内静勝軒へ 題した詩文。 意味は「相模、武蔵、上野の安全は武蔵一国に委ね ...とあります。


江戸時代には、道灌が江戸に勧請した神社に加えて、徳川幕府もいくつかの神社を付け加えて勧請して増やします。そして、江戸幕府の宗教界の指南役は、川越・喜多院・住の天海だったわけで、風水に通じた天海は、「江戸の町」を徹底した鬼門封じを行いました。
神田:湯島明神や日枝神社などとともに、当時は 市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった、「亀ヶ岡八幡」も、現在の地に移設されました。

 

 先日、高校のクラス会の「飲み会」が市ヶ谷でありました。
 少し早めに行って、付近を散策・・江戸の坂、江戸の谷、
 江戸の神社、江戸の寺などに郷愁を感じています。
 大正ロマンの建築物にも興味を持っています。