ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

下栗のお地蔵さん

2014-05-31 00:03:50 | 日記

なんとも かわいい お地蔵さんなので シェアします。

中央が地蔵尊・・お地蔵さんのようです。
対のは、拝んでいるので参詣者・・・
三体のは、宇宙人に見えます。
”下栗”のブログで見つけて、あまりに可愛いので、シェアします。

下栗は、”天空の郷”とか"日本のチロル”とかよばれている、いわば秘境です。
江戸時代は、樽木村と呼ばれた天領でした。
つまり、年貢を材木で納めるということ。
遠山川に木を切り出し、天竜川で合流し、浜松にいかだで運ぶ。天領ですから、そこから江戸へ・・・
そのため、浜松は材木商が多く、関連で製材所も発展し、木を乾燥させる技術が発展し・・・
木を乾燥させる技術が、天下の「楽器会社」を生み出した・・・と、
中学の時の社会科の先生の言葉でした。
そういえば、”ヤマハ”も”河合楽器”も浜松の会社です。

もう一つ、近くに秋葉街道が通っています。
火伏せの”秋葉神社”への参詣の道で、古くは信玄が”家康征伐”に浜松へ向かった道です。
この戦役で、家康は敗れ、浜松城に逃げ込む途中・・・
余りの恐怖で”脱糞”してしまった、という逸話が残っています。
秋葉街道は、青崩峠で途切れ、静岡県側でまた復活するという、現在では珍しい三桁(R152)国道です。
青崩峠(赤石山脈)越えは、獣道ぐらいはあって、人間の歩行での峠越えは可能だったようです。

近い将来・・赤石山脈の下にトンネルを掘り、リニアモーターが通過する・・計画があるようです。

 


「エディタ」の話・・・

2014-05-30 00:19:56 | 日記

 sunrise at the daybreak

・・・  夜が明けたら 一番早い汽車に乗って ・・・                                              
   ・・・ 浅川マキ 2010.01.27 宿泊中のホテルで 倒れているところを ・・名古屋

  ・・・ 石川県石川郡美川町(現:白山市)出身               

浅川マキ 夜が明けたら - YouTube

 

「エディタ」の話・・・

パソコンを趣味としていた、むかしのむかし・・・、
 コンピューター通信の最初は、”カプラー”であった・・・
  それから、300ボーのモデムがでて、1200,2400と通信速度が上がっていった・・・
   ファイルの圧縮のソフト がどんどん開発されて・・・

Windowsの前、MSDOSの前、98の全盛の頃の話である。
文章を書く時、一太郎などのワープロソフトは重すぎた。そこで幾つかの”エディタ"を手に入れて使っていた。機能が絞り込まれているので、極めて軽快であった。辞書もなるべく小さいものを選んで入れていた。
そこで体験したエディタの中に”Q"というIBMのフリーソフトがあった。勿論そのままでは98上で走らない。工夫して、”パッチあて"という手法を使って、98で使った。

それから間もなくサラリーマンを止めて独立した。
以後、パソコンとの付き合いは、ほぼ表計算とメールのみになった。
従って、表計算ソフトとの付き合いは30年を優に越す。
「マルチプラン」に始まり、「ロータス123」、「エクセル」、現在は「エクセル」と「オープンオフィス-Calc」を使っている。

現在、仕事を離れて、パソコンと向き合う時間が増えてきている。
このように、「ブログ」も書き始めている。
性格からかも知れないが、複雑で重いソフトは、相変わらず苦手で、
文章の下書きや作成は、”Mery"というエディタ。写真の加工は”PhotoScape"。表計算ソフトは”OpenOffice Calc”を使っている。これらのソフトは、”PhotoScape"を除き、作成には優れているが、プレゼンにはいたって弱い。”Calc"などグラフ作成がやたらとややこしかった。

さて、この頃、”Q"というソフトを思い出した。
どういうソフトかと説明すれば、「階層型ツリー状」エディタとでもいおうか・・・"アウトラインプロセッサー”という概念の範疇に入るが・・・
この表現で分かって貰えるとは思わないが、「カード型データベース」のようなエディタで、これは論理思考を順序立てて記述するには都合がいい。
探してみると、”Story Editor"というのが近い。エディタ自体は、プログラミング用に開発されることが多いが、名前からして、小説でも書くのに都合がいいのかも知れない。あとは使い勝手だが・・・


風布の神社

2014-05-26 21:32:45 | 史跡

秩父高原牧場の”天空のポピー”を満喫したあとで、風布の神社へ寄ってみた。

今でこそ想像しがたいが、古くは、秩父往還は風布を通過点とする秩父への道の一つであったらしい。荒川沿いの道は、ところどころに、岩石の多い外秩父の山がせり出して、通行が困難だったのが理由である。また、今でこそ、風布は寄居に地籍を置くが、昔は秩父の一部であったという。

今日の”天空のポピー畑”へは、二本木峠へ駆け上がってやって来た。二本木は”箸”の言い換えという伝承もあるようだ。この伝承は、大和尊(ヤマトタケル)に纏わり、この付近で休憩した大和尊が、刀を立てかけたとこから泉が湧き、”日本水”が、粥を煮て食事をしたところが”粥仁田峠”で、食事を作った釜を伏せておいたところが”釜伏山”だという。・・・信じられないような伝承だが、”日本水”と”釜伏山は、風布の近くである。

   

                           小林みかん山(転用)                           かたくりの花

風布は、霧の多い所らしい。荒川からの川霧が風布の谷を充たすと、川縁よりも冬の冷気を和らげる役割を果たすらしい。ここの山谷に咲く花は、周囲よりも早く、長く咲き続けるという。戦国時代、「河越夜戦」の奇襲で、8千の手勢で、8万の上杉・古河連合軍を破ったとされる小田原北条軍の重臣・北条氏邦は、寄居の鉢伏城に、対上杉の拠点を作ったが、霧で冷気が和らぐことと出身の伊豆の多賀の地形が似通っていることで、多賀のみかんを風布に植えたという。風布のみかん園は、山間の斜面地の僅かな平地に居を構え、斜面地をみかん畑にして、みかんの北限を誇る。斜面の多い地で暮らす苦労は大変そうだが、この風景は、気象の特異性を示す風光で、かなり気に入っている。

・・・日本三大奇襲(頼山陽の命名)
     河越城の戦い(別名「河越夜戦」:天文14年9月26日(1546年10月31日))
     厳島の戦い(天文24年10月1日(1555年10月16日))
     桶狭間の戦い(永禄3年5月12日(1560年6月5日))

伊豆の多賀は、熱海を隣に置いて、箱根の溶岩台地が舌状に海にせり出して、海岸線はほぼ平地がない。したがって耕作地がほとんどない地帯である。昔多賀の上の道路をドライブしていた時、午後突然に霧が湧き出し、およそ20分ぐらいで視界3Mぐらいになったことがある。その時は車を止めて2時間ぐらい待ち、霧が薄くなった頃に、恐いので、山中の東名へ行かずに小田原に降りて、西湘バイパスで帰った覚えがある。多賀付近の霧のことは鮮明に覚えている。・・・多賀は現在・熱海市内

姥宮神社

          

 左    かえる眷属     右


この神社の祭神は”石凝姥命”で、「かじやの神様、石凝姥命を祀ったそうだ。

石凝姥命とは、石の鋳型を使って鏡を鋳造する老女の意」であるそうで、なにやら、鉱山と関係が深いそうである。

参考:姥宮神社 - 古社への誘い

 そういえば、この社の背後の山は、巨岩がごろごろしている。

杉の古木も巨木になり、巨岩と相まって深山幽谷をなして、かなり神秘性を帯びていて薄暗い・・・・・。

 

   

     姥宮神社拝殿の脇障子の見事な彫刻!

*脇障子・・障子と言えば、格子の上に和紙を貼り、引き違いの扉とばかり思っていた。本来の意味は、”遮るもの”で、かなり広義に使われるようだ。

一般的には、和紙の障子は明障子と言い、平安期は蔀や衝立、御簾なども障子と言われていたようで、この神社の様に、社の回廊の終わりに、”遮り”を設けて、脇障子と呼ぶ場合もあった。明障子は、和紙の他に絹を使うともあったという。     ・・・明かりを採りながら、冷気や雨や風を防ぐ役目をいう。

 

 

この姥宮神社の元の場所はみかん山の頂、いまでも”琴平神社”が鎮座しているらしい、ときき、早速登ってみた。・・・やく1Km・・・

琴平神社、 そして・・・

 聖観音・・・秩父困民党事件の最初の蜂起の地で、後に慰霊のため聖観音を建立・・とか

 

秩父事件顕彰碑

この事件については下記のブログに詳しい・・・参照

外秩父・・・風布で日本の名水・・・日本水を飲んだ - 比企の丘から

 

小林みかん山からの風景




天空のポピー畑

2014-05-24 22:45:20 | 草・木・花 風に吹かれて

天空のポピー畑 ・・・

秩父高原牧場   

 

 

 

 

 

 

 

天気 晴朗にして 風も穏やか ・・・

5月24日 秩父高原牧場はポピー 繚乱

今年から、駐車料金 ¥200なり・・・

*撮影は、始めの2枚と最後は赤目が強く出るようにしました。ポピーは8分咲き。

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天空の・・ というと 心が騒ぎます。

”シータ”を思い "ラピュタ"を想像して ポピーを見るのもわるくない・・・

 

天空の城ラピュタ 動画 ↓

天空の城ラピュタ OP ED 【HD】 - Dailymotion動画

 

天空の城ラピュタ 歌 ↓

「天空の城ラピュタ」 君をのせて/井上あずみ - YouTube

 

天空の城ラピュタ Violin 

天空の城ラピュタ / Laputa - Castle in the Sky- 石川綾子

 


公園の花壇  カレープラントとチェリーセージ

2014-05-24 00:45:33 | 草・木・花 風に吹かれて

公園の花壇

カレープラント

カレーの香りがするらしい

別名でエバーラスティング(everlasting)

 

チェリーセージ  (ハーブ)

紅白が可愛い

土壌の栄養により、白一色も紅一色もあるというが・・・

茎や葉にサクランボの香りがあるから

ハーブは香りを楽しむ花・・・

公園の花壇  近くの公園で


ブラシの花

2014-05-23 06:51:04 | 草・木・花 風に吹かれて


ブラシの花

正しくは、ブラシの木 ・・・花に見まがうのは花糸というらしい。花糸は「おしべ」。
・花の形が、ビン洗いのブラシにそっくり♪・  

 花言葉は・・恋の炎・・とか

見つけた時、花の異形に驚き、次ぎに楽しくなる。

Callistemonは、「kallos(美しい)+ stemon(雄しべ)」・・ギリシャ語
・開花時期は、5/15~6/10頃。オーストラリア原産。明治中期に渡来、暖地に栽培。
・蒲桃科・学名Callistemon speciosus:speciosus ・・ 華やかな

形状・・・
・実は、枝にずらっとついて並ぶ。翌年の花はその上部に咲き、実は次々と何年も残っていく。

その後もずっと大きくなりつづけ、7~8年は枝についていて発芽能力も持ち続ける。
この木は、乾燥地が原産地のため、極端な乾燥や山火事のときにパァーンと実が開いて
中の細かい種子が風に飛んで散布される、という仕組みになっている。

・別名「花槇(はなまき)」・葉が槇の葉に似ているところから。

近くの公園で


山法師と白雲木

2014-05-21 21:01:54 | 写真と詩歌

山法師

やま ほうし -ほふし 【山法師】
比叡山延暦寺の僧徒。特に,院政期の僧兵。 → 寺法師 ・ 奈良法師
やま ぼうし -ぼふし 【山法師】
ミズキ科の落葉高木。各地の低山に自生し,庭木ともされる。葉は対生し,楕円形で先がとがる。 

初夏,小枝の先に白色花弁状の苞を四個つけ,中央にごく小さい花を密生。
果実は集合果で赤熟し,食べられる。
材は器具・薪炭材とする。[季]は 夏。・・・三省堂 大辞林 より

僧兵の姿は、白の五条袈裟を以って頭を裹んだ。裹頭(かとう)という。

法衣は墨の裳付、石帯で結び、白の括袴に白の脛巾、裳付の下には下腹巻という胴丸の鎧を着けている。
足には足駄をはき、腰には革包の太刀、薙刀を持っている。

叡山の林間に、見え隠れする白装束の裹頭は、里山に、白き花弁状を木の葉の上に置く木立を見つけて、山法師と名付ける。

白き花弁状は、花に見えて真実の花でないところは、相場の世界にする暗躍するという”山師”に似るところも・・・少しあり・・・。

100年前、日本からワシントンに贈られた桜の返礼として寄贈された。

日本に定着したハナミズキは、別名アメリカヤマボウシ。
やはり仲間か!確かに似ている。

○亡き友の記憶となりし山法師  裕

 

白雲木

エゴノキ科の落葉高木。山地に生え、葉は大きく円形で裏面が白い。

5、6月ごろ、多数の白い花が総状につき、垂れて咲く。
花びらは深く五つに裂けている。庭木にする。おおばぢしゃ。・・・デジタル大辞泉

白い花が満開に咲くさまが、 白雲のように見えることから・・・

学名:Styrax obassia

属名の Styrax はギリシャ語の「storax(安息香)」から。
この属の植物の樹脂から安息香(ベンゾイン)が採れることから名づけられた。

 ○孫悟空 白雲木の 花と馳す ・・大串章

これは実に楽しい。

孫悟空の乗った、確か”キント雲”の、形や色はよく知らないが、
白雲木を雲と見て、孫悟空が乗って馳せる姿に、「西遊記」を詠んだのだ。

花はよい香りがする。

・・・近くの公園で 

 


浅間神社 in 八王子神社 与野あたり

2014-05-20 05:46:37 | 史跡

浅間神社 in 八王子神社 与野あたり

大宮バイパスの与野公園斜向かいに「ドイト」があり、裏手に八王子神社があります。

 八王子神社・御由緒

 

裏手に、塚があり・・・登ると浅間神社があります。

もともと、信仰心など全くないのですが、江戸時代に庶民の信仰を、江戸や周辺で集めたという、
それも山岳信仰はなぜだろうと、前から不思議に思っておりました。
与野浅間神社は富士講の神社の様です。
富士講だとすると、この小山は余り高くはないが富士塚のようです。
高くなくても、江戸時代は高層建物など無く、ここいらからは、富士山が見通せたのではないかと思われます

中山道六十九次の浮世絵を見てみると、

3支蘇路ノ驛 浦和宿 浅間山遠望
4木曾街道 大宮宿 冨士遠景
7岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望
11木曾海道六拾九次之内 新町(広重)富士山
20木曾街道 追分宿・浅間山眺望(英泉)
24木曾海道 六拾九次之内 八幡(広重)浅間山
30木曾街道 塩尻嶺(しおじりとうげ) 諏訪ノ湖水眺望(英泉)富士山

絵の背景に、実に富士か浅間が七カ所描かれています。
共通するのは火を噴く山で、浅間は日頃煙もたなびかせていたと思われます。
それだけでも、畏敬に値し、信仰の対象になりそうです。
火山は、荒ぶる時、噴火します。噴火すれば近隣は溶岩が流れて覆い尽くし、山林・田畑・焼き尽くします。
火山の灰は、遠方まで降り積もり、一尺二尺と積もれば、耕作地は不毛の原野と化します。
浅間神社は、火山の荒ぶる魂を鎮め宥める、鎮撫の役割のようです。
そして、浅間神社の本宮は富士山麓に鎮座しているようです。・・・富士山本宮浅間大社(富士宮市)
浅間神社の祭神は、”木花咲耶姫命(=コノハナサクヤヒメのミコト)”と言われる。
これは、火山の噴火の様子が、出産に類似している由縁とか、
(ちなみに出産に関係する女性部分を"ほと”と呼び、”火戸”とか"火門”の字が宛がわれる)、
姫の父親が、”大山祇命(オオヤマツニのミコト)で、父親も祭神として祀られることが多い。
木花咲耶姫命は火の鎮撫ということで、”水”を扱えるとして、”火伏せ”の神にもなり、
大火を経験した江戸の市民から絶大な人気を得て、富士講は大流行したらしい。
その教義は、複雑難解なものでは無く、至って単純で、毎日富士の霊峰を拝み、
孝行や勤勉に勤め、労働に励むことが、富士の荒ぶる魂の鎮撫に繋がり、
機会あれば修行登山して富士の霊峰に登るというものであったようだ。
今から思えば、火山活動と勤勉な庶民の生活スタイルとは、合理的には何ら関連性を持たないが、
信仰とは、えてしてそんなもののようである。
さて、ここは与野であるが、なぜに山岳信仰がここで根付いたのか分からない。
ここから余り遠くない所に御嶽信仰の御嶽神社もあるし、・・
更に富士塚のある浅間神社もある。あるいは付近に大火があり、悲惨な経験をした土地柄なのかも知れない。

 

 

 


青い薔薇の伝説

2014-05-19 12:31:12 | 写真と詩歌

与野バラ園の玄関口・与野本町駅(埼京線)・駅前

迫力のある薔薇花壇が出現します

おや!”ブルーローズ”、いや・・・

 

こちらは、”ブルーローズ”・・・、開発したのは、お酒の会社”サントリー”

正式名称は、”APPLAUSE" アプローズ ・・・SUNTORIY blue rose APPLAUSE ↓

 

↓ こちらの青い薔薇は、何でしょうか。こちらも遺伝子組み換え!??

薔薇には、もともと青の色素が無いとか受け付けないとかで・・・自然界には存在しないそうです。
したがって配合を繰り返しても、ラベンダー色までが精々で、ラベンダーでもブルーに見まがうこともあります・・・

「ピカレスク太宰治伝」の中に・・確か”第三の事件”・・太宰と檀一雄と草野心平と中原中也が酒場で絡むシーンが何回か出てきます。
太宰と中原中也は気が合わなくて、というよりも、中也は酒癖が悪くて、取っ組み合いを始めます。
・・・これはこれで、面白いのですが、四人の顔合わせは、「青い花」(=同人詩)の創刊に向けての会合も兼ねていたらしい。
実際「青い花」が発刊されたかどうかは定かではありませんが、猪瀬は、「青い花」に、”まだ見ぬ夢の花、青い薔薇をイメージしていた伏が覗われます。
ちなみに太宰の好きな花は桃の花・・・

 


睡蓮とあやめ

2014-05-16 23:04:38 | 写真と詩歌

睡蓮とあやめ

公園の池之端にアヤメが咲き、水面に逆さ木立が・・・

池之端の四阿・・・

○睡蓮の 敷き重なりし 広葉かな  ・・星野立子

睡蓮の開花情報・・・満開はどんななんでしょうか?

 

 

睡蓮

光と色彩の画家 モネ

モネの絵の中に赤(紅)い睡蓮があります。いまだ実際に見たことがありません。本当でしょうか?ピンクは見かけるのですが・・・