ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

小布施の栗羊羹

2015-09-04 19:53:40 | グルメ

小布施の栗羊羹

小布施の”栗羊羹”が届いておりました。


いつの頃からか、”小布施と言えば栗羊羹”、”栗のお菓子”が定番になっています。
栗の産地だそうです。
小布施栗を使った菓子に、栗羊羹や栗鹿の子などがあります。最近ではモンブランやマロングラッセなど洋菓子も作っているみたい。
こちらは、たまたま「小布施堂」ですが、「桜井甘精堂」、「竹風堂」もあり、この三家が、小布施栗菓子の御三家でしょうか。味の違いは好みでしょうが、いずれも根強いファンが付いています。

小布施栗の起源
小布施栗の起源にはいくつかの言い伝えがあります。
まずひとつは、弘法大師空海が諸国を旅しているとき、この地に立ち寄りを小布施と名付け、栗を三粒蒔き増えたと言う説があります。 しかし、全国には弘法大師がその土地の産業や奇跡を起こしたという言い伝えが至るところにあり、産業の発展を願う庶民の願いから生まれたもので 確証はありません。

さて”羊羹”ですが、・・
もともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)。これは羊の肉を煮たスープの類だが、冷めるとゼラチンによって固まり自然に煮凝りの状態となる。
鎌倉時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が戒律、五戒により禁じられているため、精進料理として小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になった。
初期の羊羹は、小豆を小麦粉と混ぜて作る「蒸し羊羹」であった。蒸し羊羹からは、「ういろう」が派生。

小布施の街は、落ち着いていて清潔で、かなり気に入った街の一つです。
小布施とは? ・・・小布施は、長野県の北部、千曲川の東岸の町で、現在は 「栗と北斎と花のまち」として親しまれています。江戸時代は千曲川の舟運が発達し、交通と経済の要衝でした。
小布施の歴史 ・・・幕末に豪商高井鴻山が、葛飾北斎や佐久間象山、小林一茶といった文化人を招いたことで、小布施は当時の一流文人たちの交流の地になりました。

小布施の布施って地名はどこから? ・・・
仏教の用語に”布施”ってありますが、自分の所有物を仏法僧や困窮者に分け与えることを言います。現在でも葬儀などの時の供養料などをお布施と呼んでもいます。
昔、修行僧などが全国を巡礼しやすいように、各地に官製の布施場を作りました。寝所と食料の施しの場所のことです。いわば無料の食事付き宿泊施設です。それぞれが、あまり豪華なところではなかったそうですが、その場所が地名として残り、現在に至っているところが多いようです。
”小布施”も、その一つと思われます。
 ・・・この知識は、南北朝時代に宗良親王を庇護した大河原(大鹿村)の文献を漁っていたときに見つけました。大河原にも布施という地名か建物があったようです。

ここ小布施には、巨大なサービスエリアのオアシス、「小布施ハイウェイオアシス」があります。今全国に竹の子のように乱立を始めた「ハイウェイオアシス」の先駆けです。サービスエリアと道の駅を併せて、休憩施設と売店と遊行施設を充実し、郷土館・民芸館などを併設しています。

下記の過去ログも参照下さい。↓

・小布施と岩松院 2014-06-15 18:16:40 | 日記  

 *岩松院 ・・・武将・福島正則 終焉の場所 ・小林一茶 「やせガエル 負けるな一茶 ここにあり」 ・葛飾北斎 「天井画」


「セブンイレブン」の”ドーナツ”

2015-08-27 22:37:35 | グルメ

「セブンイレブン」の”ドーナツ”


去年の11月頃噂に聞いていたのだが・・・・
ようやく近所の「セブンイレブン」に”ドーナツ”が登場した。
「セブンイレブン」に「セブンカフェ」が登場してはや○○年!
「セブンカフェ」によって街の喫茶店が廃業に追い込まれたって話は聞いたことがない。
・・・、ってことは、「セブンカフェ」は外コーヒーの需要を掘り起こした、ってことか!
ネクストステージが「セブンドーナツ」?!
「ドーナツ」は「セブンカフェ」との“相性”がいい??
「コーヒー+ドーナツ」という新たな市場の創出を企んでいるのかも知れない。


○ふんわりリングドーナッツ: シュガーコーティングが好評
お砂糖のサクサク感が好評な一方で、少しくどいかも?というご意見も。
○きなこドーナツ(豆乳入り):和風・・・いけるような気もするが微妙。
○ホイップドーナツ:これが一番口に合うのかも知れない。ホイップクリーム・美味!


お年取り魚  ・・・ 鰤、鮭

2014-12-25 10:57:21 | グルメ

お年取り魚    ・・・ 鰤、鮭


○年取り魚とは?・・ 大晦日の夜,越年に吉例として用いられる魚。サケ・ブリなど。  ・・Weblio辞書

田舎から出て、東京近郊に住み着き、早三十年を少し越してきました。
食事には、普段余り拘らない方ですが、晦日の夜の食事には多少違和感を覚えておりました。・・・というのは、田舎の大晦日の夜の食事は、鰤の塩焼きか照り焼きに決まっており、関東流の”年越しの蕎麦”の風習は、何故か馴染めません。
田舎は、信州の伊那谷です。

 

天竜川・遠景の橋は・水神橋・(南原橋から)

雑学
そこで、雑学的に、晦日の”鰤”のことを調べて見ました。
すると、”お年取り魚”のことが出ています。魚の種類は、鰤と鮭です。両方とも縁起の良い魚のようです。
○鰤は ・・稚魚から成魚までの魚の成長に応じて異なる名前で呼ばれる。 ... ワカシ:イナダ: ワラサ: ブリ ・・この名前の変遷で出世魚と呼ばれます。
○鮭は ・・海から山、山から海を行き来するその生態から、 歳神の使い、とされる縁起魚だそうです。
晦日の年取り魚の実例は、どう言うわけか信州に多く見られます。一般的に信州は、鮭文化と鰤文化があり、境界は、 北信は鮭、中、南信は鰤を”年取り魚”としているようです。
 ・・・以上の食文化は、なにも信州に限った事ではなく、全国でも見られます。しかし、こういう食文化の伝承は、全国では、そんなに色濃くは残っていないようです。
 ・・・ここで長野県と言わず、あえて信州というのは、つまらない”こだわり”からですが、その経緯は ・・・昔県庁所在地が松本であったとき、県庁が焼けてしまい、やむなく臨時的に県庁が長野へ移りました。県の中央は松本の方ですから、松本や伊那の住民は、長野市へ移った長野県庁を・「火事場泥棒」と呼び、松本に県庁が戻ることを希望します。北信東信の住民は、せっかく県庁が長野へ来たので、そのままにしようと希望します。県庁の綱引きの対立です。この県の呼称が信州だったら、そんなに感情的な対立も起こりません。そんなわけで、県民は南も北も、地元を信州と呼びます。地元の国立大学も”信州大学”です。・・ちょっと脱線の雑学。

鮭文化


奈良時代頃から戦国時代まで、鮭の水揚げは、日本海側の方が、圧倒的に多かったそうです。残された文献での記載も多いが、これは海水温度と海流に関係するのだそうです。
太平洋側で鮭の遡上が確認される限界は多摩川や相模川ですが、漁猟としてはもっとずっと北になるそうです。
日本海側では、鮭の遡上は、島根や鳥取まで確認され、漁猟としては、新潟県や富山県には、大量の鮭の水揚げの記録が残るそうです。特に、新潟県の三面川が、鮭漁が盛んで、恐らくここが随一と目されていたようです。三面川の沿岸の民家に、干し鮭が軒に吊り下がる様は、冬の風物詩で、北海道の”新巻鮭”の原型とされているようです。
北海道が鮭の本場産地と思い込んでいた自分には、目から鱗が落ちる思いの風景でした。
この新潟県から日本海へそそぐ大河に信濃川があります。この信濃川と上流の千曲川・犀川も大量の鮭遡上の川でした。千曲川・犀川の沿岸とその支流に、伊勢神宮の荘園・御厨が存在しています。御厨から伊勢神宮への貢ぎ物の中に、鮭といくらが記載されています。鮭の文化は、平安期から戦国期まで、北信濃に広がっていたのが確認出来そうです。

鰤文化


○岡田冠者の話
松本の高台・岡田地区に、豪族で”岡田冠者”が住んでいました。鎌倉時代の前後の頃の話です。
◆岡田冠者親義の話・・・
木曽義仲の挙兵に際して、最初から義仲軍に参加し活躍した源氏の武将に、岡田冠者親義があり、親義の終生の居館跡が、松本市岡田伊深にあったといわれています。今では、居館跡は住宅地に呑み込まれて、跡かたも無いが、居館近在に、一族が尊崇した式内社・岡田神社が建つ小高い丘が 、岡田親義の住居だと言われています。いまだ往古の雰囲気が残っています。近くにある伊深城は親義一族が築いた山城だとの説もあります。・・・*冠者は成人男子のこと、若武者と言う意味か。

 

岡田親義が活躍した倶梨伽羅峠の戦い・・・
                          ・倶梨伽羅峠・・石川県河北郡津幡町倶利伽羅と富山県小矢部市石坂との境。
◆倶梨伽羅峠の戦い・・平安末期の寿永(1183)2年5月11日に、越中・加賀の国境にある砺波山の倶利伽羅峠で、源(木曽)義仲の源氏軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われた合戦。・・

ここが有名になったのは、牛の角に松明をくくりつけた「火牛の計」の戦いを描いた絵巻があるからだそうです。
この倶利伽羅峠の合戦には、義仲軍は「火牛の計」という戦法を取った。・・火牛の計・・「数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向け放つ・・『源平盛衰記』、これは”絵巻”にも描かれているが、しかし ・・・後年の創作の疑いもあるそうです。
 ・・・・・岡田冠者は、この戦いで戦功を上げたが戦死し、戦役に同行していた息子たちが故郷へ戻った。その際、倶利伽羅峠のある地方から、鰤と鰤の料理法を持ち帰ったと言われています。

小笠原流礼式

 

信州に於ける晦日の鰤の食習慣は、室町幕府時代から戦国にかけての小笠原守護家の統治地域と奇妙に重なる。

信州の、松本(昔は府中)と伊賀良(飯田は除く・飯田は郊戸と呼ばれ、郊戸は小笠原家庶流の坂西家)を二つの拠点とする小笠原家は、武家の棟梁であるとともに、武家の棟梁のたしなみの”礼式”の宗家でもあった。その流儀は、”弓馬の礼”を基本としながら、武家屋敷の日常の生活様式にまで及び、今でも茶道・華道を含めての「小笠原流」として広く伝搬している。


その小笠原流の正月の節分(=おせち)に関する部分を拾い上げてみると、
・床の間の飾りを床飾りと呼び、小笠原流の伝書には次のように記されています。
・・「正月の飾りには裏白を敷きて その上に餅ふたつ置きて 昆布 柑子 俵物を餅の上に置き 末広の扇子を紙にて包み水引にて中を結び 熨斗を添えて飾るなり」
・・「屠蘇の「蘇」は悪鬼を表し、悪鬼を屠るというのが、屠蘇の字義」なり。
・・「おせち料理は、正月に火を使わない風習」
・・「おせち料理はめでたいことを重ねるという願いを込めて重箱に詰め ・・ 基本は四段重ねで、上から順に、一の重、二の重、三の重、与の重、と呼び・・
一の重…黒豆、数の子、ごまめ(田作り)などの祝い肴〔ざかな〕
二の重…伊達巻やきんとんのような甘いもの中心
三の重…魚や海老の焼き物など海の幸
与の重…野菜類の煮物などの山の幸


その意味は ・・・
黒豆…一年中「まめ」に働き「まめ」に暮らせるようにとの願いが込められ・・
数の子…たくさんの卵があるというところから、子孫繁栄の願いが込められ・・
田作り…稲の豊作を願う気持ち、五穀豊穣の願いが込められ・・
海老…腰が曲がるまで丈夫という長寿の願いが込められ、海老の赤色は魔よけの色・・
昆布巻き…「よろこぶ」 の語呂合わせ・・
きんとん…「金団」と書き、その色から財産、富を得る縁起物・・
紅白なます…紅白のめでたい色は水引を表し、紅白の組み合わせは平和を願う縁起物・・
*三の重の焼き物に”鰤”が入ります。現在では、京都も鮭の入手がたやすくなったので、現代風には、鰤と鮭と両方とも入るみたいです。

残念ながら、晦日の鰤の項目は見つけられなかったが、小笠原流の地元・信州とともに、小笠原流の中心であった京の食文化は、北陸の海産物に支えられていたと言われており、室町時代の京都の食文化と無関係ではなさそうです。

伊那地方の食文化は、愛知県・三河とかなり似通っていると言われています。
鰤に限らず、山国・信州の海産物は、塩とともに三州街道を通って三河から運ばれてきたものと思われます。鰤は、富山・氷見が有名ですが、北陸に限定されたものでもなさそうで、事実三河湾の漁港でも水揚げされています。
根拠のない推論ですが、伊那地方の晦日の鰤は、北信の鮭よりも、三河の方が身近で馴染みやすく、鰤の方が入手しやすかったのではないだろうか、と・・・。事実、三河と飯伊地方(下伊那)は、陸運の繋がりのみ成らず、三河との姻戚関係のある旧家が散在します。

三河湾の漁港は波静かな海に面しています

そういえば、田舎の正月に、毎年”三河漫才”がやって来て、軒先で舞を舞ったのを思い出しました。そんな訳で、三河は、昔からかなり親近の情があるように思います。

 

○ やまざとは まんざい遅し 梅の花  ・・芭蕉



ペヤング 和風焼き蕎麦  如何なるか?

2014-05-09 22:09:44 | グルメ

これは、グルメとは呼ばないかも知れないが・・・

ペヤング 和風焼き蕎麦

セブンイレブンの即席麺コーナーに、黒いパッケージの「焼きそば」が登場していて気になっていた。
もとから、ペヤングの焼きそばは嫌いではない。
詳しく見ると、「ペヤング 和風焼き蕎麦」とあり、和風と蕎麦の文字が新しい。
従来との違いはこの部分のようだが、珍しさだけで飛びつくと、きわもので、失望することがままある。

  ・・・で、買って食べてみた。

麺には蕎麦粉が練り込まれていて、ほとんど蕎麦のようだ。
またソースも和風味で、麺つゆ+ソースって感じ。
ちなみに「かやく」は、えび天かすとネギで、コメント無し。
・・・「焼き蕎麦」である。
・・・味は美味しい!
・・・ペヤングの普通の焼きそばは、濃い味で、香りも強いが、比べればそれよりさっぱり。


” 中華そば 蛍 ”  静かなる名声・・・

2014-03-03 20:56:55 | グルメ

  

場所:さいたま市見沼区大和田町1-1813 電話番号 048-668-3331

 そこは、駅から離れて、農地の中・・・

 夜の 蛍 のあかり

 

評判を聞きつけて、美味しいラーメン・・もとい、ここでは中華そば、を食べようとやって来ました。

注文は、食券で・・・ 奥様と息子は 鳥そば を、自分は 海の味噌そば を ・・・

 鳥そば ¥750

 海の味噌そば ¥800


それぞれの 中華そば の風景・・・他に、餃子 と 蛍ご飯 も注文しました

  店舗の外見は、・和・ のテースト、店内は ・アンチーク・ 

*店の外観の写真は借用です*

海の味噌そば の味・・・

スープがやたらと濃縮です。くどいかな、と思ったら、意外と・・くどくない

初めての味・・・うまい・・・癖になりそうです

海の・・・ が、味の深みを囁いているかのようです

 

アクセスの便はかなり悪そうですが、駐車場は、いつも車で埋まっています。昼飯時は、外に15~25人ぐらい、はみ出して並んでいます。

 


農産物直売所 ・・・野菜が急騰しています

2014-02-27 15:31:18 | グルメ

買い物に付き合い、スーパーに来て、野菜の価格を見て”びっくり”・・・

大根が248円、白菜が480円・・・・・。TVでは、大雪の影響で、野菜の出荷が遅れ、あるいは”ビニールハウス”が倒壊し、特に葉物野菜が高騰中と伝えています・・・

里山の方へドライブに出かける時、立ち寄る”道の駅”に併設されている”農産物直売所”を思い出して、近場を探して行ってみることにしました。

 ・・あさつゆの里

「あさつゆの里」岩槻・農産物直売所・・・JAがやっているようです。

住所:さいたま市岩槻区城南4-1-9 TEL:048-798-8311

そこでゲットしたもの・・・

 ほうれん草¥90

 小松菜¥110

 泥つきねぎ(5本)¥130

 大根¥100

どうやら、概ね”やすい”ように思えます。

ここは、常設でいつも品揃えが豊富のようです。比較的建物もしっかり、米や瓶缶ものもおいてあります。

ついでに、膝子と大和田にも寄ってみました。

 週3日営業で、開店が12時・・・

あらまー・・・残念!

 

大和田の駅前で、ゲット・・・

     

 ほうれん草¥100

 白菜¥100

地元の農家の有志で、やっている直売所もあるようです。販売員は有志が交替で、出ているようです。・・・プライスラインは¥100ワンコイン集約型・・・違う価格帯のも多少ありますが・・・これが、直売所のマーチャンダイジングのプライス戦略のようです。

 

 


ハム・ソーセージの工場直売 in トーチクハム

2014-02-22 19:24:48 | グルメ

『トーチクハム 彩の輝工房』
埼玉県比企郡川島町戸守500 トーチクハム埼玉工場敷地内特設直売所
トーチクハムの製造工場は基本的には製造のみで販売店などは特に設けていません。

     並んで、販売開始を待っています。

月に一度、第4土曜日のみ、工場内に特設会場で販売します。
販売時間は午前11時から午後4時まで。開店前から並びます。

近くは、川島町の”白鳥飛来地”があります。

・・・・・ 白鳥は、先日の大雪以来、姿をみせない、とのことです。先ほど・・三井精機工業株式会社の社員の方と立ち話をして確かめました。”北へ帰る旅人の旅立ち”は例年三月の頃の”晴れた日”の筈です。雪で見つけにくくなった”えさ”を、懸命に探しているのかも知れません・・・。

さて、・・・

「ハムやソーセージの工場直売」に関心を持って、機会があればと思っていたのは、ブログの知人の記事に触発されたからです。・・・今日、思いが叶いました・・・

入場は、買い物籠が空いた分を渡せる人まで、ずいぶん待ちます。
並んでいて、自分の番が来ました。買い物籠を貰い、入場です・・・店舗内の入口近くにテーブルが置かれ、試食品が置かれています。

 

試食品のそばには従業員がいない場合は、遠慮無く、食べ放題です(笑)

品揃えを見るとウインナー・ソーセージ・ハム・ベーコンなどがある。

そこで、ソーセージの違いについて少し説明。

・・・全部、にわか仕込みの受け売りの知識です・・・

[厳密な意味でのソーセージの種類]
・ウインナーソーセージは羊の腸に詰めたもの。
・フランクフルトソーセージは豚の腸に詰めたもの。
・ボロニアソーセージは牛の腸に詰めたもの。
・・・現在では羊や豚の腸の代わりをする詰め袋(人工ケーシング)が開発されました。
 保存面や衛生面、コスト面などから、日本では人工ケーシングを多く使用しています。

日本では現実的に、日本農林規格(JAS)は、太さによってソーセージを分類。
[日本農林規格(JAS)でのソーセージの分類]
・太さが直径20mm未満の人工ケーシングに詰めたものをウインナー。
・太さが直径20mm以上36mm未満の人工ケーシングに詰めたものをフランクフルト。
・太さが直径36mm以上の人工ケーシングにつめたものをボロニアソーセージ。
・・・基本的にウインナーもフランクフルトもボロニアも、原料や製造方法は同じです。
 ソーセージの違いは、ケーシングの種類と径の太さで分類しています。

◇ポークソーセージ(ウインナー)
・パック入りの袋ごと計量すると365gのウインナーソーセージが入っている。
・・ウインナーは一般的なものと同じ位の大きさがあり、それが24本入っている。
・・・表面に焼き色が付くまでしっかりと焼いてから頂きました。
 皮のパリッとした食感、塩加減、香辛料の加減、豚肉の旨味などなかなか美味しい。

◇ポークソーセージ(リオナソーセージ)
※リオナソーセージはフランス中部のリヨン地方が発祥。
・豚肉と牛肉を原料とし、これに角切りの豚脂肪やグリーンピース・レッドピーマンなどを加え、牛腸などに詰めた大型のソーセージ。
・・パック入りの袋ごと計量すると531gのソーセージが入っている。
・・ソーセージと言う名称だが、丸い形状のスライスしたハムと同じ様に見える。
・・・不揃いな厚さで2mm~2cmと幅があるが、塩加減・香辛料共に控えめな味付け。
 あっさりとした赤身部分、角切りの脂身、ピスタチオから成るソーセージ。
 上品な肉の旨味がする誰もが食べられる万人向けの味わいのソーセージ。

◇ポークソーセージ(ボロニアソーセージ)
※ボロニアソーセージはイタリアのボローニャ地方が発祥。
なおボローニャ特産のソーセージは「モルタデッラ」と言います。
細かく挽いた豚肉に、豚の喉の脂身を細かく切って加え、円筒形に成形して蒸したもの。
・・パック入りの袋ごと計量すると532gのソーセージが入っている。
・・ソーセージと言う名称だが、丸い形状のスライスしたハムと同じ様に見える。
・・不揃いな厚さで2mm~2cmと幅があるが、塩加減は控えめながら香辛料は強い。
 あっさりとした赤身部分、角切りの脂身から成るスパイシーなソーセージ。
 スパイシーと言っても特に辛い訳では無く、香辛料の香りや風味が強い。
 個人的な感想ですが、サラミに似た香辛料の香りや風味がする味わい。
 これは個性的な味わいなので、万人向けのソーセージとは言えない。

買い物の一例・・・

 

*切り落としハム・サラミ ・・・¥300

 

*ソーセージ・ウィンナー 0.5Kg  ・・・¥300

 

*ポークソーセージ  ・・・¥150

 

*ベーコンブロック  ・・・¥300

  

*ボロニアソーセージ  ・・・¥400

 

*ミートローフ  ・・・¥200

 

*黒糖焼豚  ・・・¥300

なお、かなり安いと思いますが、基準が分かりません。恥ずかしながら、知っているのは、ウィンナー二袋で¥298ぐらい・・・。当分我が家の食卓と酒の肴は、ウィンナーが続きそうです。、


なお、大量のパックいりのハムを買い、使い切れない場合は冷凍保存できます。
・こつ
・・残ったハムを、一回で食べる量に小分けします。
・・ラップにくるんでフリーザーの袋に入れます。
・・・ラップにくるむ時、空気を抜きます。・・乾燥と酸化を防ぐため。
・・冷凍保存期間は一ヶ月程度まででしょうか。
・・食べる時、前日に解凍庫で解凍します。レンジの解凍機能でもOK。
・以上
・ウィンナーも同様ですが、ケーシング仕様のため、ラッピングは必要ないかも。・・・(しなぶれるようでしたら、空気に触れない工夫が必要です)・・・これも受け売りですが・・・

帰りに・・・農産物直売所で”野菜”を買おうと思いましたが、ほぼ”空”でした。雪で、野菜がないのか、行ったのが遅かったのか・・・分かりません。

 


喫茶店・・開店中・・ ”もちぽにょ” 談義

2014-02-21 03:01:50 | グルメ

ときどりの鳴く喫茶店          ・・本日開店中・・

コーヒーブレイクに、こんなスウィーツの話題もいいかなと思って・・・


   ”もちぽにょ”

最近、”もちぽにょ”という、スウィーツがやけに人気らしい。

    読売新聞 2013年12月7日 によると・・・

生菓子「エフスタイル もちぽにょ」(スリーエフ、105円=1個)生地にもち米粉を使って、やわらかくて、もちもちとした独特の食感に仕上げた。中には新鮮な牛乳ベースのカスタードクリームをたっぷりと詰めた。食べると口の中いっぱいにミルクカスタードの風味が広がるという。

評判・評価の言葉を拾うと 

 ・これは名前で買わせにきてる・・・

 ・そいえば今日発見したもちぽにょ美味しかった!名前も可愛い・・・

 ・もちぽにょ最近ブーム。・・・

 ・脱いだらすごいんです系・・・

 ・包装から出して直に手に持つと思わず「おおっ」と言ってしまう触感です。・・・

 ・パクっと口にするとプリン風味のクリームが溢れ出る!・・・

 ・見た目の地味さででスルーしてしまうにはもったいない触感・食感で・・・

 

 ・・もちぽにょ パッケージ!

 

どうやら、スウィーツの手触り感触に、独特の特色があるみたい。それと、プリン風味のカスタードクリームが、味わいを上げていて好評のようだ。何よりは、ネーミングで、”もちぽにょ”は、なんともかわいい。

このネーミングが、人気爆発の要因のような気がする。

 

販売は、コンビニの「スリーエフ」・・・

大宮にはこのコンビニは少なく、駅前にのみあるようで、人気に惹かれて探しました。最近は、コンビニ発の人気スウィーツが時々ヒットする。少し前の”ロールケーキ”(ローソン)を思い出す。

”もちぽにょ” ゲット!!

評判どうり・・   ・味グッド!!、手触り・・おもしろい・  ・・でした。

 

date14;02;21:w81.15→ 


高遠そばと更級そば  保科家とは  ・・・雑談記

2013-08-09 19:01:38 | グルメ

高遠そばと更級そば   ・・・雑談記

                   高遠そば・・・ 転記1

                      転記2

一昔前より、”そば好き”の間で有名になり、少しずつ復権している”そば”がある。”そば通”が会津で食し、独特な風味で好評を得、各地に広まりつつある”高遠そば”のことである。会津で高遠の名は、歴史に関心のある方なら、直ぐに想像されようが、会津松平藩二十三万石の初代藩主は、三代将軍家光の弟保科正之公であり、保科正之は、信州高遠の食文化を、”高遠以来”の家臣とともに会津に連れてきたようである。
その高遠そばは、大根おろしの絞り汁にそばつゆを割って、焼き味噌を溶かして、大根おろしと玉葱を薬味にして食べる盛りそばだそうだ。この大根は、辛み大根で、通常の煮物や漬け物には適さないらしい。玉葱の薬味は、長ネギに置き換えられ処もあるという。
高遠そばのルーツの高遠では、この大根そばの食文化は、途絶えていたと聞く。最近の人気で、会津からの逆輸入で、少しずつ復活させているそば屋があるとも聞く。高遠そばのもっと前のルーツは・・・行者そばと言うらしい。行者そばは、奈良時代のはじめ修験道の開祖と言われる「役小角(えんのこずね)」が、木曽駒ヶ岳で修行の折り、木曽駒の登山道の一つ黒川林道の途中にある「内の萱」の里人に篤いもてなしを受けたお礼に渡したそばの種が伝承で今日に至っていると聞く。・・・「行者は、常備食としてそばを持ち歩いていました。行者の修行の中には五穀を食べない五穀断ちがあるのです、がそばは五穀に入らないのです。またそばの粉は、火を使わなくても食べられるので、行者の常備食としては最適であった・・・というわけで。保科家が高遠の領主になるずっと昔、木曽駒を含む木曽の領地は、木曾義仲の末裔が治めており、木曽家の隆盛期には、高遠も木曽家の領分でした。その頃、高遠そばの食文化は、高遠に根付いたものと思われます。

*会津のそば処で、高遠そばの名店を紹介してくれてるコメントが届いています。参考にどうぞ!

 

 

            更級そば・・・ 転記3

            転記4

                                                  飯野藩の陣屋は、富津市下飯野


会津藩の藩主保科正之は、将軍家光の弟と言うことで、家光から”松平”を名乗るように勧められたそうです。正之は義理堅く律儀な人で、養父に保科正光に育てられた恩義から、”松平”の姓を名乗ることを断りました。しかし、徳川家の親藩第一、御三家に次ぐ第四親戚筋ということで、会津藩四代目から”松平”を名乗ることになりました。そこで、名門の”保科”の名が途絶えて消えることを惜しんだ末、養父保科正光の弟、祖父正直の子の正貞に、飯野藩を創設して保科家を継がせました。この正貞は、父を保科正直、母を家康の妹の多劫姫とします。その保科飯野藩の正貞のもとへ、信州保科の里から、衣料用の布地を商いに来る者がいました。場所は、木更津の飯野藩か飯野藩の江戸屋敷かは、調べても分かりません。恐らく両方のような気がします。この布地は、絹か麻の様な気がしますが、飯野藩江戸屋敷は、麻布にあったところを見ると、麻の方が理屈に合いそうです。この布地の商人は、正貞や飯野藩の家臣と懇意になると、商いが終わると、そばを自分で打ち、振る舞ったと言います。正貞から七代目の藩主は、このそばが大変好きで、そばの店を出すように勧めたと言います。資金援助もあったのかもしれません。そばの希少な一番粉(粗挽きでそばの実の芯(胚乳)が割れたものを細かく篩った白く細かい粉)が主体のさらしな粉と小麦粉(江戸時代は蕎麦粉よりも高価)の混合粉を湯捏ねした白い蕎麦で、かなり上等な食べ物だったようです。これが、江戸における更級そばの由来です。木更津で、古い更級そばの店を探したが、見つかりません。あったのに潰れたか、元々無かったか、分かりませんが、江戸では今も存続しています。店の名は、昔の商いから布屋を付け、更に明治に堀井を苗字としたと聞きます。「信州更科蕎麦処布屋太兵衛」・・・この名前のまま営業しているかどうか、気になります。

 

・・・麻布の名前・・・

阿佐布、安座部といわれた古い集落が始まりだったようです。初めて歴史に記録されたのは意外に新しく、永禄2年(1559)と言われています。その後、元禄時代(1688~)ころから今の「麻布」が使われるようになったようです。多分このあたりで麻の布を作っていたのでしょう。
アイヌ語のアサップル(向こう側へ渡る?)を語源と言う方もいるようですが定かではありません。古く縄文までさかのぼって考えるより、むしろ単純に 鎌倉時代か 室町時代、或いは江戸時代 のころ この辺りで麻を作っていたと考えた方がいいのかもしれません。・・・麻布の地名考より

・・・これを読むと、そば屋の堀井家(明治に苗字を許されてから)が布地を商っていたのが、たまたま麻布だったという、偶然で、深読みの勇み足と言うところでしょうか・・・