大宮第二公園・梅園
いつの間にか、さいたま市で最大級の本数を誇る梅園に成長しました。
紅梅が最初で、今は・・しだれ梅、白梅が・”さかり”・
この人出は、敷地内で、陶器の産地直売会を開催しているからです。
名称は「全国大陶器市」だそうです。
大宮→上尾→桶川と場所を替えながら・・販売会をしている様子です。
記憶では、もう10年来の開催・・
この人だかりを見ると、定着したと言っていいのでしょう。
自分は、脇役の”漆器”を時々覗きます。
大宮第二公園・梅園
いつの間にか、さいたま市で最大級の本数を誇る梅園に成長しました。
紅梅が最初で、今は・・しだれ梅、白梅が・”さかり”・
この人出は、敷地内で、陶器の産地直売会を開催しているからです。
名称は「全国大陶器市」だそうです。
大宮→上尾→桶川と場所を替えながら・・販売会をしている様子です。
記憶では、もう10年来の開催・・
この人だかりを見ると、定着したと言っていいのでしょう。
自分は、脇役の”漆器”を時々覗きます。
氷川神社の鯉!?
氷川神社 ・・武蔵一宮氷川神社(通称・大宮氷川神社)
氷川神社にはいくつかの池がありますが、龍が棲むという「神池」は、三の鳥居を潜って直ぐの左手、中ノ島に「宗像神社」が祀ってある池のことです。
この池は、かってコンコンと泉が湧き出し、それはそれはきれいな澄んだ池だったそうですが、今はよどんで面影すらありません。それでも、いつも鯉や亀の泳ぐ姿が、赤い桟橋から見られます。
氷川神社の池に鯉が住むようになった歴史は、そんなに古い話ではありません。かっての江戸時代以前は、魚が泳いでいたのかもしれませんが・・・。戦後10年ぐらい経った頃、信州佐久のホテルの女主人が氷川神社に参詣に訪れたそうです。敗戦から復興の10年、まだ世の中は、寂れた神社の整備には目が向いていなかったようです。「佐久のホテルの女主人」は、池に鯉を放つことを思い立ち、「佐久の鯉」をトラック一杯積んできて奉納したそうです。今ここで泳ぐ鯉のふるさとは、佐久なのかもしれません。
後に、埼玉水産研究所から緋鯉が奉納されました。なかに「金色にかがやく鯉」が混じっていて、池を”我が物顔”に泳ぎまわっています。見た人は(・行けばほとんど見られますが)なにか得をしたような気分になれます。「幸運を呼ぶ金色の鯉」を目的で、訪れる人もいるようです。
この金色の鯉は、サッカー場に近い方の池にいました。
氷川神社が、三社に分かれていた頃、・・・氷川神社はもともと、大きな御沼(=見沼)を挟んで、沼のほとりに三社がありました。
・男社 ・今の氷川神社
・女社 ・浦和・三室の女体氷川神社
・簸王子社 ・中川の中氷川神社
三室の女体氷川神社には、「片目の鯉」の伝承が残っています。
「片目の鯉」は、”ひょっとこ”に通じ、”たたら”に通じると言われています。
”たたら”は”金”や”鉄”の作り手のことです。
中氷川神社には、「火祭り」の祭事がつい最近まで行われていたそうです。
御沼(=見沼)は、砂金か砂鉄の宝庫であったのかもしれません。
出雲神族を祖先に持つ氷川神社の神官には、”たたら”の技術が伝えられてきたのかもしれません。
○ 谷の鯉 もみあう夜の 歓喜かな 金子 兜太
鯉を見ていたら、こんな句を思い出しました。
金子兜太の句は、池の鯉ではなく谷の鯉ですが、おそらく、幼年をすごした秩父の谷川を想像します。夜に鯉の情景ですから、月明かりを思い浮かべます。鯉が群れてもみあうさまは、生殖活動でしょうか。なまめかしさと躍動する生命力を感じます。金子兜太は、戦場に行って復員した人だと聞ききます。死と向かい合った人が、強烈に発する、生命への肯定のメッセージのように思えます。ここには表現されていないが、鯉の銀鱗が、月明かりに浮かび上がる光景が眼に浮かぶようです。この句はすごい・・
大宮公園の梅
サッカー場、野球場入り口付近
梅が咲いています。暖冬で暖かいせいか、散策の人多し・・・
河津桜、そして寒緋(かんひ)桜・(=緋寒(ひかん)桜ともいう)
例年より一週間ぐらい早いのかもしれない・
河津桜・満開寸前・
寒緋桜・こちらは蕾も多い・
土手の斜頚地には、、蕗の薹が・
・・・春よ来い、早く来い・・・
R254・武蔵嵐山・本多静六
むかし・むかし・
免許とりたての頃の話。
三桁国道が好きで、よくドライブに出かけていました。 ・・・よくある話です。
R254もその一つで、嵐山、小川町、東秩父村・あるいは寄居にはよく出かけていました。
山が残る、”里山”っぽい風景がきっと好きなんですね。
R254のメインの景観地の一つ、「武蔵嵐山郷」の名づけ親であり、公園の造園に深く関わった「本多静六」さんの展示会が、県立歴史博物館で開催されております。
・本多静六 -菖蒲町に生まれ。日本で最初の林学博士。各地の公園設計者。資産家。
●期間:平成28年1月19日(火)~4月24日(日):●会場:常設展示室 第9室
この人は、じつに逸話の多い人で、かつ魅力にあふれる人です。
まず若い頃、一身奮起し向学に燃え勉学に勤しむわけですが、「勤労を疎かぬせず」を哲学として、農繁期には農業に従事し、冬場の農閑期に東京に出て勉学に励みます。
そんな訳ですから、同輩の徒より勉強時間が不足し、それでも何とか「東京山林学校」に入学します。入学したときの成績は”ビリ”だったそうです。「東京山林学校」は、本多静六が在学中に、東京帝国大学農学部山林科に昇格します。本多静六は、帝大農学部山林科を卒業する時点では首席だったそうです。
この方は質実な倹約家で、講演会に呼ばれるごとに、「収入の四分の一を先行きの備えに回しなさい」と説いたそうです。自らも言行一致で蓄えたそうです。それが超長期投資法で、林学を学ぶために和歌山の山林王に寄宿したときのヒントの投資が、のちに巨額の富を生み出したそうです。巨額の富は、子息に相続せずに一切を寄付したと言われています。
逸話は、まだまだこんなものではないので、少し深掘りして、人柄を味わうのも悪く無いと思います。
本多静六は林学博士ですが、各地の公園の造園にも深く関わり、およそ埼玉の、自然林の残る公園、氷川神社・大宮公園、武蔵嵐山郷、羊山公園などなどで、他の地区でも、彼の関わった公園は、東京の日比谷公園、明治神宮の森をはじめ、大沼公園(北海道)や鶴ヶ城公園(福島県)など百をくだらないと言われています。
個人的な好みの問題かもしれませんが、洋式公園よりも、自然林の残る公園のほうが馴染みます。
冬のK大・薬学部 ・薬草園
たまに訪れるのですが・
やはり、冬の薬草園です。常緑樹らしきはたまにあるのですが・
あまたの草・采系は枯れて芽も出ていません。
みかん
紅梅
みつまた
ここは、かなり刺激的な場所です。
こんなものが薬(毒)になるのか、と驚かされるものがたまにあります。
方や食用、方や毒草。
花でも咲けば、毒の方は紫、食用の方は二輪の白い花。見分けはつくのですが・・・
今は、影も形もありません・・
白鳥の季節・
久しぶりに、越辺川の白鳥を見にやってきました・・・
毎年の恒例になってしまったようです。
穏やかな川面と白鳥と葦が(枯れてはいますが)生い茂る川辺は、
どうも癒しの空間になっているようです。
岸辺の見学者は、今日は特に多い。
駐車場をあふれた車は、狭い道路の脇に縦列駐車して、片道をふさいでいます。
川の中州に休む白鳥・
逆光に、かがやく白鳥・
周りに、白鳥を数える人がいて、・・七十羽を超えているそうです。
餌さがしか、空の散歩を終えて、帰還すると百羽を超えるそうです。
暖冬で、来訪が遅れましたが、やはり来てくれました・