石榴
テーブルの上に石榴(ザクロ)が置いてありました。
食用ではなく、静物画の”モデル(被写体)のようです。
”ザックリ”と口を開けている”さま”は、”傷口”に思えて、昔から”ぞっ”とします。
4,50年前に口にして以来食べたことはありません。
東京・雑司が谷に鬼子母神(きしもじん)がありますが、”おどろしい”名前や逸話に似ず優しい風貌が伺えます。この鬼子母神は、由来はインドにあるといわれ、その先はユダヤ教に通じるという説も存在するみたいです。ザクロの呼称は、ペルシャのザクロス山脈を現地音に近い「石榴」の字で音訳したともいわれ、ユダヤ教では、虫がつかない唯一の果物として神殿の至聖所に持ち込むことを許された、なんとも神聖な食べ物だったようで、古代ユダヤ教を源流としたキリスト教の”聖母マリア像”には”石榴”を配した絵画が幾つか存在します。
それにしても、日本の神話や逸話の中に、中東・アラブやイスラム圏やユーラシアを源流と覚しきものが多いのは興味深いですね。真偽のほどは分かりませんが、記録を辿るのは“ロマン”を感じます。
割れた”ザクロ”の中の沢山詰まった実に、”子だくさん”を思って、子孫繁栄の思想につながって行くのは、たまに「おどろおどろしい」名前の”鬼子母神”が生まれたとしても、底流には、子供を宝と思う優しさがあるのですね。
○あまのはら冷ゆらむときにおのづから
柘榴は割れてそのくれなゐよ 斉藤茂吉
*冷ゆらむ・・(ヒ)ゆらむ