ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

どどんがどん! 入間川

2021-06-28 09:38:44 | 史跡

「どん」が何を意味するのか?
「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!

入間川:

入間川:1(プロローグ・的!)

 以前の職場の先輩が、リタイヤ後に「絵」を描き始め、そのコピーを送ってきた。なかなかの「もの」である。
その中に「阿須」の公園のものがあった。


「八高線」が入間川を渡るあたりである。飯能の領分に位置するそうである。「阿須」は“崩涯”を意味すると「中国」由来の辞書は語っているそうである。---・いわゆる「崖の端っこ」とか。
こんな地質学的特徴は興味をそそられる。川に、表層を削り取られた地層は、たまに太古の姿を現すことがある。まさに、白亜紀とか第四期の地層のことだ。どうもここがそのようなのだ。
まず、「阿須」の公園は、運動公園と「あけぼの子どもの森公園」とから成り立っている。職場の先輩が、「絵」を描いた対象は、その「あけぼの子どもの森公園」。---・「トーべ・ヤンソンのムーミン」のメルヘンの世界を模した公園なのだ。


<ムーミンの童画的・風景写真:1>

<ムーミンの童画的・風景写真:2>

<ムーミンの童画的・風景写真:3>

こちらの写真は、すべて、飯能市の広報誌からの転用になります


その公園の名付けの冠の「あけぼの」には、「あけぼの杉」の謂れからとった名称のようである。「あけぼの杉」は「メタセコイヤ」とも言い。太古からある「生きた化石」なのだそうで・

あけぼの子どもの森公園」の裏手は、今では珍しい「泥炭」の採掘場である(日豊鉱業株式会社 -亜炭・泥炭ー 武蔵野炭鉱)。太古にここの「メタセコイヤ」が朽ちて積み重なり、地熱と加圧で、泥炭化したのだそうである。

 入間川という川は、上流と下流では、川の名称を幾度と変遷する。
上流部は「名栗川」といい、先述の阿須付近で「成木川」を落合して「入間川」と名を変える。近年「入間川」脇を西武線が走ることにより、「埼玉都民」という新参者が増えて、いつも間にか「名栗川」まで「入間川」と呼ぶ人が増えてきている。「入間」は「阿須」より少し下流なのだから、本来は「阿須」から下流が「入間川」なのだが、・・また入間川の下流の都内部分を「隅田川」と呼んだが、さらに本所吾妻橋から下流を「大川」とも呼んでいる。

 入間川は、荒川の西遷(伊奈郡代)により、川越・古谷あたりで荒川と合流する。江戸時代・徳川幕府三代目将軍・家光のころである。川越街道・川島との境の落合橋のところでの合流ではない。落合橋は、小畔川と越辺川の合流(落合)を意味する。ちなみに、小畔川の源流は「宮沢湖」であり、「宮沢湖」は名栗川から取水してトンネルを通して造った農業用溜池で、当初は「西武鉄道」がかかわった遊園地でもあったが、「ベビーブーム」と「バブル」の退行とともに遊園地は終焉していたのだが、「あけぼの子どもの森公園」の開設の際の、トーベヤンソンと飯能市の良好な関係から、「ムーミンバレーパーク」のテーマパークとして生まれ代わった。「宮沢湖」自体が昭和生まれなので、当然「小畔川」も昭和生まれであるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回:西川(予定) - - - どうなることやら 。

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