ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

国営昭和記念公園の秋・イチョウ落葉

2016-11-29 22:21:35 | 名勝

国営昭和記念公園の秋・イチョウ落葉

いまは、むかし・
 ・戦前に、陸軍の”立川飛行場”があった。
 ・・敗戦で、米軍が”立川飛行場”を接収して”立川基地”をつくり、
 ・・・その後、、、砂川(・立川の旧名である)。砂川?!
 ・・・その後、返還により、自衛隊の駐屯地と公園になった。

・その公園の名を、”国営昭和記念公園”という。広大で、立川市と昭島市に跨る。

 ・国立公園と国営公園 ・・・
  ・国立公園、・国立公園とは、国が指定し、その保護・管理を行う自然公園である・・環境庁
  ・国営公園、・国営公園とは、都市公園法に定められた要件の公園/緑地である・・国土交通省

  
ここのイチョウ並木の写真を撮りに来た ・・・
 大宮から35Kmなので、最短1時間ぐらい、混んでても1.5時間で来られると予測したが、
 とんでもない、 ・・・2.5時間かかった。
  大宮>富士見有料(今は無料)>浦所街道>所沢>狭山湖>立川  ・・浦所以降が進まない・
 
最盛期の落ち葉敷・

 

薄毛の頭髪の如・いま・

  


「大崎八幡」・

2016-11-24 22:18:38 | 神社・仏閣

仙台は、かっては年に1,2度の割合で訪れていたのだが、さすがに街中をそれほど知っているわけではない。

仙台回遊・・・最後は、「大崎八幡」・ ・つまり 八幡神社 という訳である。
 ・ここには国宝があるという、、、

  ・・・ 旧社格は村社。社殿(本殿・石の間・拝殿)は国宝 ・・・
 ・・・ 入母屋造、こけら葺で、正面に千鳥破風を付け、向拝には見事な軒唐破風を付けています。
石の間の格天井には、多数の草花や薬草が描かれています。
内外とも漆塗・胡粉、下地に彩色を施し、彫刻・金具に飾られ、絢爛たる雰囲気を表しています。桃山建築の傑作 ・・・

 


工事中だったので、絵葉書から転載です・・
 
 
もう一つ、青葉神社 がある。 
旧社格は県社。1874年に創建され、武振彦命(仙台藩祖伊達政宗の神号)を祀る。

 

 こちらは、明治に創建。新しいが、県社。

 

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こんなことを書いている日に、”藤原てい”さんが亡くなったのを知った。
今は亡き母が”ファン”だった人。その昔、地元の田舎に講演にきて以来ファンになったらしい。
”藤原てい”さんの主人は、小説家:新田次郎、息子は数学者:藤原正彦。
母には、新田次郎は”ていさんのご主人”、藤原正彦は”ていさんの息子”。あくまで”ていさん”を通してしか表現しなかった。 

・・・そんな記憶が蘇った。
藤原てい:2016年11月15日没:黙祷

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仙台の”ナナカマド”の紅葉・

2016-11-22 15:03:20 | 街 探求!

11/20:日:晴れ・・・
同期会2・・・今年は仙台・ 年に一度、お互いの”白髪の数”を確かめ合うのも”一興”であろう・

仙台は、かっては年に1,2度の割合で訪れていたのだが、さすがに街中をそれほど知っているわけではない。

 

仙台市内で、ナナカマドの紅葉を見つけた。
杜の都・仙台は、森や林や、とにかく公園の多い街である。
森や林の、赤い木の実は、・・・ほとんどが野鳥たちの食料 ・・・仙台は、野鳥に優しい街である。


> 宮城県美術館の中の佐藤忠良記念館:外テラスにて
* 佐藤忠良 日本の彫刻家、女優:佐藤オリエの父、
、”この人の語りに、、日本人として心に染み込んでいくような言葉がある”

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・・・ 女優:佐藤オリエが・・・役者になりたいって父に言ったら、
    反対されると思っていたのに・・・そんなことはなくて、
     「じゃあ五十歳になって本物の役者になれ」、って言いました。
  兄が医者になりたいと言ったときは、「金儲けの医者にはなるな」、って 
                 ・・・でも父は決してゆるぎませんでした。
  「役者になって、十年間は稼ぐなんてことは考えないでやる、って約束するか?」 って、・・・

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仙台の秋 紅葉・

2016-11-21 19:21:50 | 神社・仏閣

11/20:日:晴れ・・・
同期会・・・今年は仙台・ 年に一度、お互いの”白髪の数”を確かめ合うのも”一興”であろう・

仙台は、かっては年に一二度の割合で訪れていたのだが、さすがに街中を知っているわけではない。
知っているのは、駅周辺と職場だったところと昼食に利用したところ、仕事の解放後の夜の街一部。
それも、もう20年以上前になるのかと ・・・

一行は、市内観光の”LOOP BUSS”に乗った。 ・・このバスは”ループル”というのらしい・

 ・ループル

 
向かった先は、”瑞鳳殿”

・瑞鳳殿 ・・・仙台藩:伊達家の廟所である。
伊達政宗をはじめとする、歴代の藩主の墓があるという・


 ・霊廟の周辺は、紅葉の季節 ・・・


 
 かつての勇者の霊を慰める彩は、あくまでも鮮やかであった ・・・

建物は、どう見ても新しい。実はs20年に空襲で焼失し、最近建て直したという。

 戦前の建物・

すぐ下の別当寺(神宮寺)の瑞鳳寺の庭の紅葉・

 

別当寺:
神仏習合の時、神事は宮司(神官)が勤め、仏事と経済差配などの職務全般(事務統括)などを行う部署(別当/蔵人別当)をいうが、大神社の場合は仏閣として神社の脇に構えた。・・江戸以前
明治維新の時、廃仏毀釈が起こり多くの別当寺(神宮寺)は存在をなくした。


アイコス。参上!

2016-11-19 16:38:29 | ひとりごと

 

  アイコス。参上

”煙の出ないたばこ”の謳い文句だが、全然煙が出ないわけではない。

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IQOSは、
 ・たばこ葉を燃やさずに過熱する次世代のたばこ。
 ・火を使わないから、灰が出ない。
 ・たばこの煙のニオイもない

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ヘビースモーカーの自分がIQOSに切り替えた。
 ・切り替える際に、「たばこの風味があるのだろうか?」の懸念があった。
 ・物足りなさが感じられれば、切り替えはうまくいかない。
 ・そんな懸念は、ギリギリ・クリヤー。
  ・・・「たばこの風味はある」-・つまり、たばこの喫煙の満足感は、ギリギリ残るのである。


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街中では、「喫煙者」に冷たい。
  家族からは”嫌われ者”。
    喫煙の場所と時間を限定され、まるで”煙の放浪者”・・・
      この”煙の放浪者”に対して、政府は、罰金の如く「たばこ代」を吊上げていく ・・・
        俺らは、犯罪者なのか。ただの「たばこの嗜好家」にすぎないのに ・・・曰く、不条理

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IQOS:アイコス

   ・外形

  ・チャージャー

  ・ホルダー

  ・・ホルダーをチャージャーで充電して使う・

 ・アイコスたばこのことを「ヒートスティック」といいます。

  ・・>ヒートスティックをホルダーに差し込んで,
  過熱ボタンを押して、ヒートスティックを過熱します。
  ・・>すると、多少ニコチンを含んだ水蒸気が発生するようです。
  ・・>これが、たばこの風味。
 
 ・確かに灰は出ません。
 ・確かに煙は出ません(水蒸気)。
 ・確かにタールはありません。
 ・・ニコチンはごく少量のようです。
 ・・匂いは、かすかに残りますが、気にならない程度(家族談)。
 
 ・時々神経がとがっている時など、連続で2,3本続けて灰にすることがあったが、、、
  IQOSだと、一々充電が必要なので、チェーンスモークはなくなった。 かなりグー!

*セブンイレブンで予約して、待つこと1っヶ月 ・・・ようやく届きました。


左甚五郎の龍・

2016-11-10 15:15:11 | 神社・仏閣

  左甚五郎の龍・

浦和:大崎・国昌寺・山門

 ”開かずの山門"の”龍” ・・・


 
◇ 逸話 ◇
昔、御沼という大きな湖があった。
時に、御沼は洪水をおこして、御沼の周辺を災害した。
住民は、これを”水怒り”と呼んで恐れた。
 ・・・ 住民と寺の和尚は、御沼の龍神が怒って暴れていると信じた ・・・
 ・・・ 住民と和尚は、当時江戸で有名だった”龍の彫師”に頼んだ ・・・
 ・・・ そしてできたのが、山門・欄干の”龍”であった ・・・
 ・・・ 以後、山門の龍を慰撫し、供養して時を過ごした。
寺は、付近の住民の菩提寺であった。
葬儀あった後、埋葬のため遺体を山門から墓地に運んで埋葬したという。
翌日に、埋葬は掘り起こされていて、遺体は、影も形もなくなっていたという。
 ・・・ 誰が言うともなく、龍が山門から離れて、遺体を食らった、という噂が流れた。
 ・・・ 彫師に相談すると、龍の彫り物を欄干に釘付けにして、山門を閉じた。
以来、その寺の山門は、”開かずの門”になった。

 ・・ 御沼は、いま見沼と呼ばれている
 ・・ 彫師の名は、左甚五郎
 ・・ 寺の名は、大崎山国昌寺
 ・・ 時代は、江戸初期・家康から家光の時代か?


 
 
左甚五郎・

左 甚五郎:江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。
 ・・講談では地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を失い、また、左利きのために左の姓になった説もある。
 ・・日光東照宮の眠り猫が有名。
 
伝承と関連する逸話
 1:足利家臣・伊丹左近尉正利を父として、文禄3年(1594年)に播磨国明石に生まれた。
 2:父親の亡き後、叔父である飛騨高山藩士・河合忠左衛門宅に寄寓。
 3:慶長11年(1606年)、京伏見禁裏大工棟梁・遊左法橋与平次の弟子となった。
 4:元和5年(1619年)に江戸へ下り、将軍家大工頭・甲良宗広の女婿となり、堂宮大工棟梁として名を上げた。
 
 ・江戸城改築に参画し、西の丸地下道の秘密計画保持のために襲われたが、
   逃げて、老中・土井利勝の女婿で讃岐高松藩主・生駒高俊のもとに亡命。
 ・その後京都に戻り、師の名を継いで禁裏大工棟梁を拝命、法橋の官位を得た。
 ・高松藩の客文頭領となったが、慶安4年頃に逝去。


有名作品:眠り猫(日光東照宮)/閼伽井屋の龍(園城寺)/鯉山の鯉(京都の祇園祭)など
 ・日光東照宮(栃木県日光市) - 眠り猫*
 ・妻沼聖天山 歓喜院(埼玉県熊谷市) - 本殿 「鷲と猿」
 ・秩父神社(埼玉県秩父市) - 子宝・子育ての虎、つなぎの龍*
 ・泉福寺(埼玉県桶川市) - 正門の竜
 ・安楽寺(埼玉県比企郡吉見町) - 野あらしの虎*
 ・慈光寺(埼玉県比企郡ときがわ町) - 夜荒らしの名馬*
 ・国昌寺(埼玉県さいたま市緑区大崎)*
 ・上野東照宮(東京都台東区) - 唐門 「昇り龍」、「降り龍」

数ある作品の一部は、年代、作風、彼の行動範囲などから、彼の作品ではないものもあるという。私が見たのは*印の作品・

・左甚五郎は、将軍家大工頭・甲良宗広の女婿、立場は弟子として将軍家の神社建築を任された甲良家の差配に従ったので、日光東照宮や秩父神社の造営に携わったわけであるが、この甲良の神社建築の様式は、個人的には好きでない。
・左甚五郎が、将軍家の関わりの神社建築に携わって名声を博したのは事実のようで、実在の動物の”彫刻”はまるで生きているようであったという。
・「まるで生きているようであった」という伝説が、講談や落語で脚色化されて、伝説として伝承された。
・武蔵野に作品が多いのは、将軍家大工頭・甲良宗広の家門にいたからと思われる。


六地蔵と蜜柑

2016-11-07 11:59:02 | 神社・仏閣

  六地蔵と蜜柑

11月初頭・浦和:山崎:国昌寺
六地蔵の背景は、蜜柑である。すでに黄色く色付いている。

         ◇ 食物月 風冷たくも蜜柑垂る   ・庄


蜜柑の北限は、、知る人ぞ知る、・・であるが案外知られていない。
書の記載によれば、どうも埼玉のようで、「寄居」と記されている。
有名なのは、寄居・「風布」のことで、外秩父丘陵の北端に位置するところ・
 ・通例、標高を高くすれば気温が下がるのが理なのだが、風布は逆に山稜を上るほど平均気温が高いらしい。
 ・荒川の岸縁との比であるのだが、どうも川霧のいたずららしい。
 ・そこに目を付けた、小田原北条から来た鉢形城の殿様が、
   出身の伊豆・多賀から蜜柑の苗を取り寄せて植えたのが始まり、という。
 ・山の反対側は都幾川になるが、こちらにも蜜柑畑がある。
   川霧が必須ということなら、川は都幾川の支流・槻川ということになる、が専門家でないので委細知らず。

・ということだが、・・・
 川越を拠点にした、小田原北条の治世の域には、庭に蜜柑の樹を持つ旧家は多い。
  ・勝手に小田原北条の名残・と思っている。浦和・山崎は、太田道灌の岩槻の領域だったのだろう。

六地蔵に混じって、「五大」の供養塔が見える。
 ・空・風・火・水・まで見えるが、その下は・地・のこと。万物の構成の要素・。

-----五大(ごだい)とは、宇宙を構成しているとする地・水・火・風・空の五つの要素のこと。

地 - 大地・地球を意味し、固い物、動きや変化に対して抵抗する性質。
水 - 流体、無定形の物、流動的な性質、変化に対して適応する性質。
火 - 力強さ、情熱、何かをするための動機づけ、欲求などを表す。
風 - 成長、拡大、自由を表す。
空 - サンスクリット語:Ākāśaの訳。虚空。空とは異なる。
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 ・格調が高いところでは、寺院にある”五重塔”がそれを意味し、簡易の石柱で「五大」の文字を彫って代用した・

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密教では五大を五輪と呼び、この思想に基づく塔婆として五輪塔を造立する。
一般普及は宮本武蔵の『五輪書』によって、五大が知られた。
五輪塔
上から空輪=宝珠形、風輪=半月形、火輪=三角形(笠形/屋根形)、水輪=円形、地輪=方形。
古代インドにおいて宇宙の構成要素・五大(空・風・火・水・地)を象徴します。仏教のいう五大要素でもあります。
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 ・仏教の哲学のようであるが実はサンスクリットで、日本人には宮本武蔵の「五輪書」の”五輪”と同義。
    宮本武蔵の方が、どうやら”馴染み”が深い。

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五輪塔が供養塔・墓標として一般的に造立されるようになったのは鎌倉時代以降。
地輪内部に遺骨等を納めたものが現存。現在も供養塔や墓碑として 造塔され続けています。
現在多く見られる角形の墓石は江戸中期頃から。
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