ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

安楽亭  ・炭火焼肉・の炭

2018-01-30 22:26:08 | 日記

安楽亭  ・炭火焼肉・の炭


まあ!!埼玉が誇る?焼肉レストラン安楽亭!
近くにあるので、たまに利用する、、メニューが豊富で、価格がリーズナブル!
と、まあ・ でも「グルメ」の話ではない。

「炭火焼肉」の炭、のことであるが、・・・
火力は強い、ようである。
見ると、四角い・・・
見ると、穴が開いている・・・
ぬぬ・ これはなんだ!きわめて人工的?な炭・




オガ炭(オガたん)というのだそうで、、
 --製材時に発生する大鋸屑(オガクズ)を圧縮加熱成形して製造する
   ・オガライト(成形薪) を主な原料とした木炭である。--
 特徴は、火力が強く、一酸化炭素の発生が少なく、飲食店に使われるそうで・・
少し面白い


梅は咲いたか・・

2018-01-29 11:09:16 | 草・木・花 風に吹かれて

梅は咲いたか・・
          梅は咲いたか・桜はまだかいな・


紅梅は、白梅より先に花が咲く・
紅梅2:画

野辺は、春を待つ・
紅梅5:画

紅梅の中に、白梅・一点・・
白梅1:画

 

江戸はうた(端唄)・小唄
梅は 咲いたか桜はまだかいな
   柳やなよなよ風しだい
     山吹や浮気で 色ばっかりしょんがいな
あさりとれたか蛤やまだかいな
   鮑くよくよ片想い
     さざえは悋気で 角ばっかりしょんがいな
柳橋から小船を急がせ
   舟はゆらゆら波しだい
     舟から上がって土手八丁
       吉原へご案内
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
由来をたずねると・・

花柳界の芸妓を例えているようで、
案外きわどい色気で、江戸の事情とわかる・・
「しょんがいな 」は、合いの手、囃子言葉ともとれるが、、
どんな意味なんだろうか
柳橋から吉原へ、船で ??
吉原って,三ノ輪や大関横丁の方面でしょう・
隅田川を逆流して進む当時の「動力」って何?
そういえば、*川越鉄道ができる前に、
  江戸(東京)から川越に、行楽に行くのって、
     船旅って読んだことがあるが・
  これも、墨田川、荒川、新河岸川の逆流で辿るので、
     どのように船を運んだか、その時も訝しがった。

 >川上へは、船を綱に結んで、引き揚げたようです。
 >綱引きの岡の道を、「綱道」と呼んだようです。

 >*川越鉄道、・後に変遷を経て「西武」に合併・

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なあーんだ!あまり季節とは関係ないんだ!


消えた「鷲神社」・・

2018-01-15 14:37:04 | 神社・仏閣

消えた「鷲神社」・・

宮田、宮前、宮内、宮城、大宮、宇都宮、三宮、西宮、富士宮・・・
宮が付く地名は、全国に意外と多い。
この場合の”宮”は、概ね「神社」のことで、関連する地名になる。

 

さて、さいたま市見沼区に、昔「門前村」というのがあったらしい。そして、字・「宮の上」を中心として「東宮下」「宮ヶ谷塔」「東門前」という字・地名が散在する。こうなると、「宮の上」には確実にかなり大きな神社が存在したのは、疑いの余地のないところだろう。
このことについては、かって余正確ではない情報を書いたことがある。
◇:「大宮 風渡野の宮 を探って」:http://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_1946/e/e0caa3dc754ed4bc8739d49060423534:参照


さて、東門前通り・を蓮沼から東上して突き当たった近くが「宮の上」という地籍。この「宮の上」には、あまり大きいと言えない「湯殿神社」というのがあるのだが、・・。どうも、門前町を形成る神社としては、「力不足が」が否めない感じがする。


そこで「湯殿神社の由緒」を尋ねてみる。---「埼玉の神社」による湯殿神社の由緒
湯殿神社<大宮市東門前三五六(東門前字道際)>
当地は、『風土記稿』に「風渡野村枝郷門前村」と---この門前という地名の由来は、当地に社領23石の鷲明神社があり、その門前が発達して---この鷲明神社は、当地の字「上の宮」に鎮座していたが、当地が分村独立するに及び、本村である風渡野村へ遷座した---「鷲神社」が移転したことでその跡に「湯殿神社」が勧請されたという説明である。
古文に記された「鷲明神」は神領23石を持つ神社とあるので、江戸中期までは、この地方に君臨する「威風堂々」の社格を有する神社であったことが覗われる。この地は、七里の地名が示すように、数村の離散併合が繰り返され、明治後期の「神社令」が決定的になり、天神社への併合によって、僅かな痕跡をとどめるに至ったわけで、今に残る地名を生み出した神社としては、いささかさみしい限り、と言わざるを得ない。


また、「鷲明神」の神領23石はどこであったのかも興味が尽きないが、江戸中期以前のこの付近の古地図が近くの図書館に有りそうな「地方史・収録」でもあれば、確かめようもある。当たらないかもしれないが、七里駅周辺の小字名が「鷲」という名前であるそうで、そこが鷲神社の「神領」であれば合理的に説明がつく。

 

追記:門前のこと

しかし、・である。
この程度の規模の神社で、門前町を生み出すには、かなり訝しい?
そこで、門前村・「鷲神社」だけの特色を探ってみることにすると、大和田や野田とは違い、「神領」・23石を持っていることが他との違いではないかと思われる。どうやら、近在やその郷村の氏子に支えられた氏神の性格ではなくて、「神領」を所有する神官一族の「守り・氏神」という性格が強いのではないか・と思われる。

そこで、「鷲神社」の”鷲”について「おさらい」をしてみる。
 ・ 鷲は、記紀の時代、「大きな白い鳥」を意味していた。
 ・ 記紀の時代は、古事記、日本書記の時代のことで、伝承・説話のこと・
 ・ この場合の「大きな白い鳥」は鶴であったり白鳥であったり・と記されている。
 ・ この大きな白い鳥は、嘴に稲穂を加えてやってきて、稲作の農耕を伝えたとされる。
 ・ 稲作文明の伝搬に関与したとされる「伊勢神宮」系の神道の要でもあり、天皇制の柱でもある。
 ・ これに、「イザナミ」の終末話・「白鳥伝説」が加わった。
 ・ いつの頃からか、鷲の意味が大きな鳥という意味になり、猛禽類の鷲:種目が加わった。
 ・ いつの頃からか、「鷲」種目から白鳥の類が除かれていった。
 ・ 記録に「朝廷や伊勢神宮の遷宮の折などに鷲の尾羽を献上」と残っている。
 
 ・現在の、鷲の意味とは違い、「鷲神社」の「鷲」は白鳥だろうとする方が合理的?!
 ・「鳳神社」/「大鳥神社」と「鷲神社」は同義語。あるいは「鷲」を「おおとり」と読むかも?
 ・・多少、想像力のところもあるのだが
 
酉の市
 ・3っつ手前のブログで、「大和田・鷲神社」のことを書いた。 ・・参照
 ・「鷲神社/大鳥神社」と「酉の市」は深いつながりがある。
 ・「酉の市」は、そもそもの日本の物流、物販、商業の源流であり・・
 ・寺や神社の境内や参道を商業地にして、
     また寺や寺院が商業を保護して、日本の貨幣経済が発展してきた事例が示され・
   この手法を「真似た」信長や秀吉が、楽市楽座として積極的に取り込み・・
   一向宗は、寺の不入特権と寺境内の「市」の経済力で、巨大な権力構造を作り出して、武家権力と対抗し・・・
   
  ・このようなことを背景にすると、こんな仮説が構想される・
  ・「鷲神社」の別当だった某は、参詣道の保護と「市」の育成に努めた。
    --・でなければこのような門前町の形成はなりえない。
    --・神社の規模と参詣道・門前町の規模の不釣り合い。
    
七里(・この地名は、後年になって付けられたもの)周辺は戦国期は、岩槻(岩付)の大田藩の領有下にあったものと思われるが、大和田陣屋・伊達氏や中丸陣屋・中丸氏の勢力下であったとも思えない。むしろ、岩槻藩主・大田氏の直轄地のような気がする。---が資料が不足し見えてこない。

いずれにしても、門前を形成することに尽力をした、商業・貨幣経済に造詣が深い、理解した某の存在を感じる。


背高のっぽの軽・・・

2018-01-11 07:55:28 | 日記

背高のっぽの軽・・・

先日、・---入院していたとき、隣のベッドの、好漢と知り合いになった。歳は50歳代、初老か?・・
それはどうでもいいことだが、たまたま車の話になった。
車の話になったので、だと思うが、彼は経歴の話をしてくれた。---四国に生まれ四国で育ったが、大学を卒業して、埼玉の自動車メーカーに就職した、エンジン設計のエンジニヤだそうである。埼玉の自動車メーカーって、--そう「○○○」。
今、ホンダが、次世代で注力しているのは、ハイブリッドではなく、アメリカ・「ステラ」に対抗すべくの「電気」でもなく、「水素」だそうである。
そして、現時点で、ホンダが、他メーカーを”圧倒”しているのは、「N-box」という、背高のっぽの軽・なのだそうである。

外見でも、車高が、普通車を超えている。今室内空間の居住性を極限まで高めているようで、どの自動車メーカーもこぞって、”背高のっぽ”の競争に励んでいるらしい。--・の勝ち組が「N-box]ということか!