ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

武蔵一之宮 二章・氷川神社は、本来は「ニ社」・・

2020-06-30 23:33:42 | 神社・仏閣

武蔵一之宮 二章・氷川神社は、本来は「ニ社」・・


毎朝の日課で、約Ⅰ時間10分、10000歩の散歩を課している。まあ・、ほぼ達成しているわけだが、時に気分で、コースを変えることもある。


 
普段は、近くに公園を四周強すれば達成できる目標だが、、今日は、街の方へ歩き、参道へ出て、「二の鳥居」を潜って、参道から「氷川神社」に入った。
「氷川神社」は、「武蔵一之宮」として知られる。
この形になったのは、明治維新以降・・、それまでの「氷川神社」については、案外知られていない。知られていても、かなり断片的だったりするようで・・・
それまで・・「神社の歴史」などに興味を持つものなどかなり「マイナー」で少数派だと思っていたのだが、ある時の問わられ語りに、案外食いついてくれた人がいたりして、それでは、、と書く気になった」という訳である。
とはいえ、この分野について、それほど物知りでもなければ専門家でもない。それどころか、連れ合いが大病し、「何か思うところ」があって、秩父札所回り(三十四巡礼)に行きたいと言い出し、暇を見つけて、秩父の寺を回り、合間に神社も参詣した時に、「アッシー」君の役割を担ったまでは、「神社の社叢の森」はひたすら薄暗く、なるべく近寄ることを避けていたぐらいであったのだが・・。
、「アッシー」君は、「アッシー」の役割だけでは暇を持て余し、行く先々の「神社仏閣」の由緒を眺めている内に、少しずつ知識が集積し、分からなかったことは、帰宅してから調べるようにもなり、いつの間にか蘊蓄が深くなっていったようである。

”武蔵一之宮:大宮氷川神社”は、創設当初は「二社」であった。

由来書・・


 
氷川神社の創設は、生没年 紀元前506~前393とり、孝昭天皇の時代とされるが、孝昭天皇の存在自体があやしいそうで不確か?紀元前の表記は、弥生時代を指すと思われる。景行天皇の御代、「氷川神社」で、日本武尊は東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっており、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって当社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わります。

 

男体:氷川神社と女体:氷川神社


氷川神社の存立する地名は、高鼻町といい、大宮台地に、鼻が突き出るような土地を示し名付けられました。この大宮台地に挟まれるように大きな沼があり、その岸辺に、間をおいて、「二社」の氷川神社があったということです。沼の名は、「御沼(みぬま)」、もう一つの「氷川神社」のある地名は「御室(みむろ)」と言いました。「御室」は今では「三室」と名を変えています。昔々の豪族の墓を意味します。、「御沼」も名前を変えて「見沼」になっています。。「御室」の方の「氷川神社」は女体社、高鼻の方は男体社と読んだようです。

この二社配置の在り様の”様”は、ほぼ「諏訪大社」の湖のほとりの「上社」と「下社」に似ており、「男体社」や「上社」が”‎須佐之男命‎”を、「女大社」や「下社」が”稲田姫命”を主祭神として祀っています。


この位置関係は、「太陽は夏至に西北西の氷川男体神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている」そうで、大陸の遊牧民族の、道しるべやコンパスの、科学的方法論のようでもあり、出雲族や須佐之男の出自を覗わせるものとして興味深い伝承でもあります。


武蔵一之宮 一章・茅の輪潜り・・

2020-06-29 00:41:49 | 神社・仏閣

武蔵一之宮 一章・茅の輪潜り・・

6月28日は、6月30日より少し前だが、氷川神社の「茅の輪・神事」に行くことにした。
6/30:は病院に行かねばならないので、一足先に」ということである。
実のところ、「茅の輪・神事」のことは、数年前に飯能の「竹寺」(=医王山薬寿院 八王寺)に行くまでは、詳しく知らなかった。「スサノウ」と「牛頭天王」がどうやら同一人物らしい」とも知らなかった。「牛頭天王」はどうやらインド仏教に由来するようだ。つまり、大陸の習俗らしいということが分かった。
「茅の輪・神事」は「蘇民将来」という逸話から、「厄・回避」の風習らしい。「素戔嗚尊=スサノウ/牛頭大王」は疫病をもたらす神であると同時に、疫病を防ぐ力も持っている、ということらしい。「茅の輪・神事」は、お祓いの儀式である「夏越の祓」ともいい、天皇家の「神事」でもあるわけで、「茅の輪くぐり」とは別の儀式だという説もある。
6/30は梅雨の時期で、食物が腐り易い「高温多湿の時期」で、食中毒は、昔は、「厄」の代表格であった。この時期的な背景は、「厄・回避」の儀式があるということは辻褄が合う。「理に適う」ということだ。
それに、今年は「新型コロナウィルス」の流行り・・、
で、初めての、「茅の輪・神事」という訳である。

 


氷川神社・三の鳥居の近くの太鼓橋に「茅の輪」があります。


 
本来は、「茅の輪」を8の字に潜るのですが、今年は、「三密」を防ぐということで、勝手が違うようです。



茅の輪を潜って、桜門を入ります。
左手に、紙人形があり、自分の名前を書き、紙人形に息を吹くかけ、
「人形収め」に奉納します。
息を吹きかけるのは、自分の「厄」を紙人形」に移して、
身代わりになってもらうのだそうです。

拝殿で、参詣してから、「東門」から出ます。
「車のお祓い所」の方へ戻るところに、二つ目の「茅の輪」があります。
 

 

8/29:記