大和田・鷲神社
大和田・鷲神社は「おおとり・神社」と読む
◇:鷲神社:さいたま市見沼区大和田町2-462
どうやら、浅学ゆえに「わし・神社」と思い込んでいたが違うらしい。
正しくは「おおとり・神社」とよむらしい。
あまた、人口急増の著しい地区は、新参は読みやすい方に読んで、「わし・神社」が定着しているのかもしれないが、本来とは違うのでは・・。
この例は、近在の「猿花キャンプ場」の「猿花」の言葉の変遷でも見て来た。
参考:猿花 ☚(クイックしてください)
文献を漁ると、久古は「おおとり=鷲」は白鳥(鶴を含めて)を指していたというが、
いつの間にか「おおとり」が「鷲」という鳥類種目の意味に変わったようで、
鷲神社が祀るのはもとより「白鳥」のことである。
---- 伝承・伝説 ・古事記/日本書記の記述をもとにした伝承
・鷲神社は日本武尊をお祀りした神社です。現在は「おとりさま」として一般にも親しまれ崇敬を集めており、また十一月の例祭も現在は「酉の市」として広く知られています。 ---天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が、岩戸の前で舞われた折、弦という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びに---「稲穂を持つ鷲」のレリーフ---この鷲のレリーフは「鷲が稲穂を持って飛来し、そこから日本の稲作は始まった-とする伝説」に因むものと思われ---なお、この伝説は出雲系の天穂日命とその子、天夷鳥命(、別名・天鳥舟命、武夷鳥命=鷲大明神)に拘わるもの---伊雑宮の御料田: 三重県志摩市磯部町上之郷:皇大神宮(伊勢の内宮)の別宮伊雑宮の御料田は、「真名鶴の穂落とし(鶴が稲穂を銜えてきたとの)伝説」に因んで日本の稲の発祥地とされています。---真名鶴の穂落とし伝説
-----日本武尊の白鳥伝説---この日本武尊の霊魂ともいえる大白鳥は、大和にいったん降りたもののすぐに飛び立って日本の各地に現れ、飛来地で稲作が始まった、との伝承も多く残っています。--- 一般に白鳥の飛来地は肥沃な湖沼地など低湿地で稲作に適した地形が多く、早くから水田耕作が行われている地でもあります
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近年、鷲宮町の「鷲宮神社」は、神社の持つ宗教性からではなく、
「らす・きた」というアニメで有名になり、
アニメの聖地になっているという。
・ここの「鷲神社」は、鷲宮町・鷲宮神社から勧請された、とあり。
・まだ、見沼が”御沼”とよばれていて、水を蓄えた沼であった頃の話である。
・”御沼”の浅瀬には、越冬の”白鳥”が来ていた、と想像できるが、確証と思っているわけではない。
この見沼縁には、もう一つの「鷲神社」があるが、創建はほぼ同じ理由であろうが、確かめる術はない。
◇:鷲神社:さいたま市緑区南部領辻2914
◇:酉の市のこと
この「おおとり:大鳥/鷲/鷲宮:神社」を起因とするものに「酉の市」がある。
・発祥は、関東の人口集積の多い、「おおとり:鷲神社」の参詣道で始まった。
・時期は、五穀の収穫が終わって豊穣を祝う・新嘗祭の後 ・・
・余剰の五穀と生活必需品の物品交換から始まった。・・・「市」の原型・成立である。
「酉の市」は、この後まず各地の「鷲神社」へ波及し、
・次に、「鷲神社」の参詣道の限定を緩めて拡大し、人の集まる大きな神社・参道や仏閣・境内に拡散・・
・時期も、新嘗祭の縛りを外れ、収穫の終わった年内に広まった。
・扱うアイテムも、「熊手」に加えて様々な露天商を伴った。
・・ 大宮・氷川神社などの「大湯祭・十日市」なども本来の歳時に「酉の市」が加わった形です。