今後のために、改めてここまでの約3か月間の経過をおさらいしておくとともに、問題点を指摘する。
平成26年2月21日:
県が「担当職員が申請に必要な書類を約半年間放置し、大井川流域の7市に水道水を供給する「県大井川広域水道企業団」(島田市、石川俊一企業長)が 進めている調整池の工事などに、厚生労働省から交付されるはずだった補助金約1億2800万円が受け取れなくなった」事件を公表。
平成26年2月23日:
事件関係の公文書の開示を請求。
平成26年3月8日:
3月7日付けで、3月10日までの決定期間を4月9日まで延長するとの通知が到着。
その理由は「開示請求に係る公文書の範囲が広く、かつ、その内容も複雑であり、文書の探索、特定及び開示の可否を決定するのに多くの時間を必要とするため」とのこと。
平成26年4月9日:
4月7日付けで、請求公文書全てについて非開示と決定した獅フ通知が到着。
その理由は、「現在、事実関係を含めた原因の調査・分析等を行っているところであり、現時点で対象公文書を公にすることにより、当該調査・分析等に係る事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるため」とのこと。
また、非開示の根拠条項は静岡県情報公開条例第7条第6号「県の機関、国の機関、独立行政法人等、他の地方公共団体の機関、地方独立行政法人又は地方三公社が行う事務又は事業に関する情報であって、公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの
ア 監査、検査、取締り、徴税又は試験に係る事務に関し、正確な事実の把握を困難にするおそれ又は違法若しくは不当な行為を容易にし、若しくはその発見を困難にするおそれ
イ 契約、交渉、渉外又は争訟に係る事務に関し、県、国、独立行政法人等、他の地方公共団体、地方独立行政法人又は地方三公社の財産上の利益又は当事者としての地位を不当に害するおそれ
ウ 調査研究に係る事務に関し、その公正かつ能率的な遂行を不当に阻害するおそれ
エ 人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ
オ 県、国若しくは他の地方公共団体が経営する企業、独立行政法人等、地方独立行政法人又は地方三公社に係る事業に関し、その企業経営上の正当な利益を害するおそれ」
平成26年4月10日:
非開示決定についての異議申立書を県水利用課に送付。
平成26年5月8日:
すみやかに行うこととされている異議申立ての事務処理が行われていないため、経営管理部職員局人事課監察班あて、県水利用課による異議申立ての事務処理放置について法令違反の嫌疑で通報。
平成26年5月13日:
静岡県職員倫理ヘルプラインから、くらし・環境部総務監を通じて静岡県くらし・環境部環境局水利用課水道環境班あてに早急に対応するよう依頼した獅フ連絡を受信。
平成26年5月17日:
5月16日付けで県水利用課から、異議申立てについて静岡県情報公開審査会に諮問した獅フ通知が届く。
平成26年5月18日現在、以上のとおり。
<所感>~違法への抵抗感のなさから見る根深い組織風土の闇~
県の非開示理由についての問題点については今後の審査会への意見書提出などで明らかにしていくので、それに先立つ根本問題について感じるところを以下に述べておく。
知事は先日公表された収賄容疑の県職員逮捕に関連して、記者会見で透明性を確保していくことが大切であると述べるとともに、少数精鋭で多くの責任と権限を持っている中でそれが乱用された試w摘したが、そうしたことが常態であるとは到底思えないとも述べた。つまり、事件は特殊な個別事例であるという認識である。
しかし、その認識は甘いと言わざるを得ない。
確かに、通常の多くの業務中で、あえて権限を悪用しようなどということは起きないであろう。
一方で、個々の職員又は組織がその能力を超えた不都合な真実に直面したときはどうだろう。
これまでの職務上の不祥事を見れば、安易に法令に違背し、その場しのぎの保身に走るのが常というのが本県の現実だ。
結果、日常的にごまかしの成果を誇ることで本質的な反省や改革は阻害され、行政による施策はばたばたと羽ばたくのみで飛び立てずじまい、県勢は沈み行くばかりである。
プラトンは、飛翔しようと欲して羽ばたきはするもののそれが出来ずに空を眺めるばかりで、下界のことをなおざりにする様を狂気と評したが、現に県の行政はこの時勢にあってなお、富士山、空港、演劇文化など地に足がついていないことに過度に税金が費消され続けている。
このような中にあっては、職員個々にあっても、県民生活のためになどという地味な正論は顧みられなくなる。
結果として、弱い人間が行き着く先は遊戯化である。
ドイツの詩人シラーの「人は遊ぶ時にのみ真に人間となる」の意味するところ、自由な存在・自律の証しとして、また、創造性の原動力として、それを求める欲動は価値あるところ、一方でその自律的抑制は難しいことも真実である。社会の中にあっては道徳・法令、社会的使命感などによって人はよくその限界を画するものであるが、権限という裁量(自由)を持った者にあって、もしこの箍が外れたらどうなるだろう。しかも組織的に。
「競争」(たとえばさまざまな球技のスメ[ツ、および将棋、碁など)
「僥倖」(ルーレット、その他のギャンブリング)
「擬態」(こどものゴッコ遊び、演劇など)
「眩暈」(スキー、スケート、回転遊びなど)
と、遊戯を原則的な4類型化したのはフランスの社会学者カイヨワであるが、続いて彼は、正常の境を超えた態様(異常)として、
「競争」は規則無視の攻撃となり、
「僥倖」は迷信に、
「擬態」は分裂病に、
「眩暈」は薬物嗜癖に
なるとした。
自身の競争ゲームとして職務に当たるが故の県民不在と規則無視、ギャンブルのように空港が県勢発展につながるとの迷信に走る無責任、組織間の目的整合性のない分裂病的行政など、まさに行政が遊戯化し異常に陥ったという左証である。
しかも、よくいう遊び心などという程度ならかわいいものだが、組織風土化することによって、既にその程度は超越してしまっているのである。
今回の水利用課の対応は、そもそもこの補助金不交付事件の端緒が事務処理の放置にあったにもかかわらず、これを顧みることなく規則違反の放置を繰り返したのであって、いかに組織として病んでいるかを示す好例である。
こちらがなんら動かなければ、不都合な文書の改ざん等が終わるまで、さらに処理は放置し続けられたであろう。
時間稼ぎが目的であることは、非開示の理由からも見て取れる。
彼らの非開示の理由であれば、開示決定期間の延長をし、その期限直前まで待って非開示決定する引き延ばしの必要はあるまい。
知事の言うところの透明性を考えるなら、開示はもちろんだが、非開示とするものがあってもその判断は早くあってしかるべきだ。
結果として、本来開示請求から14日で開示されるべき文書が開示されず、はや3か月になろうとしている。
さらに、これから数か月を要して情報公開審査会で審議されることとなり、県民の目からこの事件の真相が隠される事態が続く。今まさに本来あるべき態様を離れた遊戯の態様、駆け引き・ゲームの感覚下にある。
病根は深く、時は容赦なく遷ろう。
今は遊戯に耽るときではない。
否定的な言い回しになるが、今、行政は「過去にとらわれ未来におびえる成人」になるべきときである。
平成26年2月21日:
県が「担当職員が申請に必要な書類を約半年間放置し、大井川流域の7市に水道水を供給する「県大井川広域水道企業団」(島田市、石川俊一企業長)が 進めている調整池の工事などに、厚生労働省から交付されるはずだった補助金約1億2800万円が受け取れなくなった」事件を公表。
平成26年2月23日:
事件関係の公文書の開示を請求。
平成26年3月8日:
3月7日付けで、3月10日までの決定期間を4月9日まで延長するとの通知が到着。
その理由は「開示請求に係る公文書の範囲が広く、かつ、その内容も複雑であり、文書の探索、特定及び開示の可否を決定するのに多くの時間を必要とするため」とのこと。
平成26年4月9日:
4月7日付けで、請求公文書全てについて非開示と決定した獅フ通知が到着。
その理由は、「現在、事実関係を含めた原因の調査・分析等を行っているところであり、現時点で対象公文書を公にすることにより、当該調査・分析等に係る事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるため」とのこと。
また、非開示の根拠条項は静岡県情報公開条例第7条第6号「県の機関、国の機関、独立行政法人等、他の地方公共団体の機関、地方独立行政法人又は地方三公社が行う事務又は事業に関する情報であって、公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの
ア 監査、検査、取締り、徴税又は試験に係る事務に関し、正確な事実の把握を困難にするおそれ又は違法若しくは不当な行為を容易にし、若しくはその発見を困難にするおそれ
イ 契約、交渉、渉外又は争訟に係る事務に関し、県、国、独立行政法人等、他の地方公共団体、地方独立行政法人又は地方三公社の財産上の利益又は当事者としての地位を不当に害するおそれ
ウ 調査研究に係る事務に関し、その公正かつ能率的な遂行を不当に阻害するおそれ
エ 人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ
オ 県、国若しくは他の地方公共団体が経営する企業、独立行政法人等、地方独立行政法人又は地方三公社に係る事業に関し、その企業経営上の正当な利益を害するおそれ」
平成26年4月10日:
非開示決定についての異議申立書を県水利用課に送付。
平成26年5月8日:
すみやかに行うこととされている異議申立ての事務処理が行われていないため、経営管理部職員局人事課監察班あて、県水利用課による異議申立ての事務処理放置について法令違反の嫌疑で通報。
平成26年5月13日:
静岡県職員倫理ヘルプラインから、くらし・環境部総務監を通じて静岡県くらし・環境部環境局水利用課水道環境班あてに早急に対応するよう依頼した獅フ連絡を受信。
平成26年5月17日:
5月16日付けで県水利用課から、異議申立てについて静岡県情報公開審査会に諮問した獅フ通知が届く。
平成26年5月18日現在、以上のとおり。
<所感>~違法への抵抗感のなさから見る根深い組織風土の闇~
県の非開示理由についての問題点については今後の審査会への意見書提出などで明らかにしていくので、それに先立つ根本問題について感じるところを以下に述べておく。
知事は先日公表された収賄容疑の県職員逮捕に関連して、記者会見で透明性を確保していくことが大切であると述べるとともに、少数精鋭で多くの責任と権限を持っている中でそれが乱用された試w摘したが、そうしたことが常態であるとは到底思えないとも述べた。つまり、事件は特殊な個別事例であるという認識である。
しかし、その認識は甘いと言わざるを得ない。
確かに、通常の多くの業務中で、あえて権限を悪用しようなどということは起きないであろう。
一方で、個々の職員又は組織がその能力を超えた不都合な真実に直面したときはどうだろう。
これまでの職務上の不祥事を見れば、安易に法令に違背し、その場しのぎの保身に走るのが常というのが本県の現実だ。
結果、日常的にごまかしの成果を誇ることで本質的な反省や改革は阻害され、行政による施策はばたばたと羽ばたくのみで飛び立てずじまい、県勢は沈み行くばかりである。
プラトンは、飛翔しようと欲して羽ばたきはするもののそれが出来ずに空を眺めるばかりで、下界のことをなおざりにする様を狂気と評したが、現に県の行政はこの時勢にあってなお、富士山、空港、演劇文化など地に足がついていないことに過度に税金が費消され続けている。
このような中にあっては、職員個々にあっても、県民生活のためになどという地味な正論は顧みられなくなる。
結果として、弱い人間が行き着く先は遊戯化である。
ドイツの詩人シラーの「人は遊ぶ時にのみ真に人間となる」の意味するところ、自由な存在・自律の証しとして、また、創造性の原動力として、それを求める欲動は価値あるところ、一方でその自律的抑制は難しいことも真実である。社会の中にあっては道徳・法令、社会的使命感などによって人はよくその限界を画するものであるが、権限という裁量(自由)を持った者にあって、もしこの箍が外れたらどうなるだろう。しかも組織的に。
「競争」(たとえばさまざまな球技のスメ[ツ、および将棋、碁など)
「僥倖」(ルーレット、その他のギャンブリング)
「擬態」(こどものゴッコ遊び、演劇など)
「眩暈」(スキー、スケート、回転遊びなど)
と、遊戯を原則的な4類型化したのはフランスの社会学者カイヨワであるが、続いて彼は、正常の境を超えた態様(異常)として、
「競争」は規則無視の攻撃となり、
「僥倖」は迷信に、
「擬態」は分裂病に、
「眩暈」は薬物嗜癖に
なるとした。
自身の競争ゲームとして職務に当たるが故の県民不在と規則無視、ギャンブルのように空港が県勢発展につながるとの迷信に走る無責任、組織間の目的整合性のない分裂病的行政など、まさに行政が遊戯化し異常に陥ったという左証である。
しかも、よくいう遊び心などという程度ならかわいいものだが、組織風土化することによって、既にその程度は超越してしまっているのである。
今回の水利用課の対応は、そもそもこの補助金不交付事件の端緒が事務処理の放置にあったにもかかわらず、これを顧みることなく規則違反の放置を繰り返したのであって、いかに組織として病んでいるかを示す好例である。
こちらがなんら動かなければ、不都合な文書の改ざん等が終わるまで、さらに処理は放置し続けられたであろう。
時間稼ぎが目的であることは、非開示の理由からも見て取れる。
彼らの非開示の理由であれば、開示決定期間の延長をし、その期限直前まで待って非開示決定する引き延ばしの必要はあるまい。
知事の言うところの透明性を考えるなら、開示はもちろんだが、非開示とするものがあってもその判断は早くあってしかるべきだ。
結果として、本来開示請求から14日で開示されるべき文書が開示されず、はや3か月になろうとしている。
さらに、これから数か月を要して情報公開審査会で審議されることとなり、県民の目からこの事件の真相が隠される事態が続く。今まさに本来あるべき態様を離れた遊戯の態様、駆け引き・ゲームの感覚下にある。
病根は深く、時は容赦なく遷ろう。
今は遊戯に耽るときではない。
否定的な言い回しになるが、今、行政は「過去にとらわれ未来におびえる成人」になるべきときである。