「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

責任の明確化は住民訴訟へ~原点に帰って空港は必要か~

2008-11-09 01:28:45 | 静岡空港
地権者の要求する謝罪を拒否し、県は工事業者を決め、ついに2200m暫定運用がほぼ確実となった。
その追加工事費用1億1千万円。
なぜ、税金で?
この疑問は当然である。
自然災害というなら格別、明らかに人災である。
誰かが責任を負うべき事案である。
この点については、10月31日のブログ(http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/290.html)で検討し、知事の責任に言及したところであるが、本人にはその気はまったくなく、リコールされない限りという発言が象徴するように、任期満了直前の開港の時までは何があっても知事としてとどまるつもりである。
議会も世論も、彼の前には無力ということは明白である。

残された道は法的手段のみ。

毎日新聞によれば7日の収用裁決取り消し訴訟の口頭弁論後、原告代理人から「滑走路短縮に伴う追加工事費用の支払いを、石川知事に求める住民訴訟の提訴なども検討している」との方針が明らかにされたとのこと。
自然な流れである。
彼はそこでも責任逃れの主張をするだろうが、任期満了できれいさっぱりというわけにはいかない。
裁判の結果は役所寄りの地裁では期待できないが、問題の立木がある限り知事と役人の愚かさの象徴として語り継がれるだろう。

だがここで原点に戻って考えようではないか。
今回の一連の事件で焦点が2200m延期開港か2500m開港かという二択問題に矮小化されがちであるが、原点である空港の開港によって毎年の(1億1千万の追加工事費を優に超える)赤字負担を税金で賄うことの是非(問題)を忘れてはならない。
ばらまき定額減税の所得制限論が低所得者への税の配分であるとすれば、この空港赤字負担は空港を利用するだけの資力ある者への税金の配分であって、正確がまったく異なる。後者は明らかに醜悪なばらまきである。
テレビで空港ができたらソウルに何回も旅行したいというような発言をする人がいたが、その旅行に貴重な税金が注がれるんだという自覚が全くないのが浮「。
静岡空港は離島の空港や日常生活で不可欠な生活道路とは違って、性質的には高速道路に近い受益者負担がふさわしいインフラだ。
中部国際空港などのように建設費まで利用者が負担すべきとまでは、いまさら言っても仕方ないが、せめて空港の赤字は利用者が利用料などの形で負担すべきで、それができないなら廃港すべきであろう。
長年にわたり赤字を出し続けて最後は二束三文の鉄くずとして廃船にした防災船の教訓(http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/90.html)を忘れてはならない。