goo blog サービス終了のお知らせ 

しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

何かが道をやってくる レイ・ブラッドベリ 大久保 康雄訳 創元推理文庫

2013-05-02 | 海外SF
先月ブックオフで購入(どこだか忘れた)
この本は間違いなく実家にあるはずなんですが、改めて購入してしまいました。

実家にある方は小学生くらいの時に入手したのですが、数ページで挫折し未読でした。
ブラッドベリは「火星年代記」も「華氏451度」も持っていて未読だったんですねー。
なんだか背伸びして「俺はブラッドベリもわかる文学少年だ!」ということで持っていたような気がします....。
「華氏451度」で「ブラッドベリは苦手かもしれない」などと言っておきながら、また買ってしまうというのは今でもその傾向は続いているんでしょうね..。

さて本作はブラッドベリのファンタジー(ダーク?)長編で原書は1962年刊行。
本書の「ノート」でも書かれていましたが、ブラッドベリは本来短編作家なんでしょうから長編ばかり読んでもしょうがないのかもしれませんが....。

内容(表題ページ記載)
ある年の万聖節前夜,ジムとウィルの二少年は,ともに13歳だった。そして彼らが一夜のうちにおとなになり,もはや永久に子供でなくなってしまったのは,その10月のある週のことだった。夜の町に訪れて来たカーニバル,その回転木馬の進行につれて,時間は現在から過去へ,過去から未来へと変わり,それと同時に魔女や恐竜が徘徊する悪夢のような世界が現出する。SFの抒情詩人レイ・ブラッドベリが世に問う一大ファンタジー!

この内容紹介どうもいただけないですがどう書いたらいいのかはわかりません...。
少なくとも恐竜は1センテンスしか出てこない。

読後の感想、やはりブラッドベリとは合わない気がしました。
SFの「詩人」といわれるだけあってかなり「抒情」的です。
詩も苦手なので本質的に抒情的な文章が合わないんでしょうねぇ。

特に本作はSF的要素はほとんどなく純粋に幻想小説の範疇になっているため苦労しました。
現実離れした展開もなにかしら(「サイエンス」でも「トリック」でも)定義して説明してくれるだろうと思って読んでいるとと安心できるのですが、それがなく展開していくとどうも安心できない...。
年甲斐もなく読み進めるのにかなり苦労しました。
そんなだから純文学もダメなんだろうなぁあというのを再認識しました。

と、自分とは合わないとは思いましたが、作品自体は傑作だと思いました。
「火星年代記」「華氏451度」よりも「SF」的要素がない分、ブラッドベリらしさが存分に出ているのはないでしょうか。
父と子、闇と光、子供時代のノスタルジー...、全編なんともいえない不安感が掻き立てられ心がざわざわしました。
子供時代の私にはがんばっても読み切ることは不可能だったと思います。
40過ぎても、数ページずつ休み休み読みました。
エンターテインメントを求める小説ではないですね。
厚木淳氏がノートで分野をまたがる作家ということでフレドリック・ブラウンとブラッドベリを比較していましたが見事に真逆な二人ですね。
共通なのは短編が得意なことくらいでしょうか。
厚木氏もブラッドベリを「詩人」ブラウンを「職人」と定義していましたがそんな感じですね。
私は職人の方が合うようです。
余談ですが厚木淳氏が草創期の日本SF出版事情を語っているページを見つけました。
ブラウンとブラッドベリを対比するという無茶な解説の裏がわかって面白かったです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神々自身 アイザック・アシ... | トップ | アンドロイドは電気羊の夢を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海外SF」カテゴリの最新記事