児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

アウトリーチについて

2008年10月20日 | 徒然
先週は講座の週だった。水曜に長崎でアウトリーチコーディネーターの講座(これは、田村緑さんに実践も含め手伝っていただいた)。木曜にTANのアウトリーチコーディネータの講座、土曜に新百合丘で川崎市のアウトリーチの講座。
東京と川崎で話したこと・・。
1,アウトリーチの概念は拡散していて、これがアウトリーチだ(というかこうでな家ではアウトリーチではない)と言える固定的な思想は無いといっても良い。そう言う意味では実践優先。良く考えられた実践が数多く点の集合のように行われることで、座標がだんだん定まっていく,といったものだろう。
2,アウトリーチ活動にはいくつかのフェイズ(顔)がある。会館に来られない人のために行って演奏する、文化権の顔。音楽普及活動の一環としての顔。教育や社会的な問題を解決するツールとしての顔、そして、途中から気がついたこととして演奏家を育成するツールとしての顔。
3,アウトリーチをする、という形式や構造に関してはかなり日本全国に普及してきている。しかし、それが形骸化する直前にあるような気がしている。これからは、いった先で、何のためにどのように行うかという「内容」が課題になって行くであろう。
4,そのときに、音楽を鑑賞するということを,どういう芸術行為と考えることが出来るかが大きな要素になるだろう。
ということ。
しかし、各講座に来ている人の種類はずいぶん違い、多分求めていることも同じではないように思えたので、同じ話で良かったのかどうか・・・(少しは変えたけれど,ほぼ同じレジュメだったので)