久々に浦沢直樹『PLUTO』の感想を。毎月「ビックコミックオリジナル」で20ページずつ淡々と連載されているこの漫画。情報量の多さ故、立ち読みでざっと読んでるだけだと「あ、あれ、つまりこれはどういうことだっけか?」と混乱することもしばしば。やっぱ浦沢漫画は単行本でまとめ読みするのがベストだよなぁ。でも単行本発売ペース遅すぎ&続きが気になって仕方ないので毎月本誌でチェック。『20世紀少年』の連載が終わり、『PLUTO』一本に全力を注いでいるだけあり(今のこの状況、常に連載を掛け持ちしてきた浦沢にとっては異例なことだろう…)、毎回濃厚だ。
『PLUTO』は言わずと知れた手塚治虫『鉄腕アトム』のエピソード「地上最大のロボット」のリメイク。ロボットと人間が当たり前のように共存する未来世界。世の中に溢れる様々な種類のロボットの中でも特別な存在…破格の大金を注ぎ込んで製造された特殊なロボット達が、謎のロボット「プルートゥ」によって次々と破壊される事件が発生。原作の手塚治虫版では特殊なロボットの中の一人であり、プルートゥに命を狙われる主人公のアトムを中心に物語が進むが、浦沢版では同じく特殊能力を仕込まれて造られたドイツの刑事ロボット「ゲジヒト」が事件の解決に挑む。原作ではあまり見せ場もなく、プルートゥにあっさり倒されてしまうゲジヒトだが、浦沢版では捜査官として大活躍。主人公の交代により、必要最低限の分量でテンポ良く話が進む原作とは全く違う魅力を放つ作品となっている。
主人公が変わってもストーリー展開は原作を踏襲している浦沢版。コミック第一巻と原作版を併せ売りした「豪華版」が売られていることからもわかるが、浦沢は『PLUTO』を完読する前にまず手塚治虫の原作を読み、ストーリーを頭に入れておく事を推奨している。アトムを含む強い強いロボット達がプルートゥと死闘を繰り広げ、破壊されていく…という展開を頭に入れてから読め、と。これはかなりつらい。原作ではサラッと、そして子供向け故にどこかコミカルに描かれていた各ロボット達の境遇や性格、生き様は、浦沢版ではおもいっきりドラマチックに脚色されている。誰からも愛される存在で、ロボットなのに情にもろく優しかったり、あるいは暗い過去を引きずりながら頑張ってたり(『PLUTO』の世界では高性能ロボット=大量破壊兵器でもあるのだ…)。そんなロボット達が次々に破壊され、散っていく。分かってはいるものの、いちいち切なく、悲しい。
原作とほぼ同じ順番で、『PLUTO』で破壊されていったロボットたち…モンブラン、ノース2号、ブランド、アトム、ヘラクレス、ゲジヒト…そして今月、遂に最後の一人、エプシロンの番になってしまった。兵器として最強の力を与えられながらも徴兵を拒否した平和主義者。そのことで世界中から批難を浴びながら、オーストラリアで戦災孤児の世話に励む、心優しいエプシロン。
平和な世の中なら、エプシロンの莫大なエネルギーは平和的に利用されるだろう。しかし戦争が起きれば真っ先に戦力と見なされる。「ロボットを争い事に巻きこんではならない」というお茶の水博士のような主張は少数派だ…。ロボットの心理描写があっさりしている原作でも、主人公のアトム、そして、エプシロンだけは特別だった。原作エプは、ある事件がきっかけで瀕死状態のプルートゥに出くわす。そのまま放置すれば大量破壊兵器プルートゥは死ぬ。子供たちを見守りながら平穏に暮らすことを望み、戦いを拒むエプシロンはプルートゥを見捨てようとするも、「目の前で苦しんでいる者を見殺しにしていいのか?」と自問自答した末、手を差し延べる…。この設定は浦沢版でもしっかり生かされており、エプシロンは常に苦悩しまくり。あぁ…エプシロンよ…「戦いを拒んだ破壊兵器」という矛盾した生き様が素敵だぜ…。そして最終的に…。
思えば浦沢版エプシロンは貴重なキャラだった。普段クールなシリアスキャラのくせに子供の前だと優しいお兄さんキャラに変貌。保育士という仕事が憎たらしい程ハマってた。長髪のイケメンというルックスは、渋いオッサンだらけの『PLUTO』に確実に華を添えていた。そもそもあの世界ではロボットのルックスをどう決めているのだろう。生みの親である博士に一任されるのか?アトムは生みの親である天馬博士の息子そっくりに造られた。プロレスラーとして造られたヘラクレスとブランドはルックスも見るからに強そう。しかし刑事ロボ・ゲジヒト…何故あんな、薄毛が気になる枯れたオヤジ風に造られちゃったんだ!?エプシロンはあんなにイケメンに造ってもらえてるのに…。兵器として造られたのに、平和主義者のエプシロン。戦争に行って戦ってくれないロボットなんて世間から見れば失敗作であろう。しかし自らの意志で人間の命令に背いているという意味では超進歩的なロボットとも言える。実際、「ロボットが仕事をサボるようなことがあれば、それは進化だ」という主旨のセリフも作品内にあるしね。
『PLUTO』は言わずと知れた手塚治虫『鉄腕アトム』のエピソード「地上最大のロボット」のリメイク。ロボットと人間が当たり前のように共存する未来世界。世の中に溢れる様々な種類のロボットの中でも特別な存在…破格の大金を注ぎ込んで製造された特殊なロボット達が、謎のロボット「プルートゥ」によって次々と破壊される事件が発生。原作の手塚治虫版では特殊なロボットの中の一人であり、プルートゥに命を狙われる主人公のアトムを中心に物語が進むが、浦沢版では同じく特殊能力を仕込まれて造られたドイツの刑事ロボット「ゲジヒト」が事件の解決に挑む。原作ではあまり見せ場もなく、プルートゥにあっさり倒されてしまうゲジヒトだが、浦沢版では捜査官として大活躍。主人公の交代により、必要最低限の分量でテンポ良く話が進む原作とは全く違う魅力を放つ作品となっている。
主人公が変わってもストーリー展開は原作を踏襲している浦沢版。コミック第一巻と原作版を併せ売りした「豪華版」が売られていることからもわかるが、浦沢は『PLUTO』を完読する前にまず手塚治虫の原作を読み、ストーリーを頭に入れておく事を推奨している。アトムを含む強い強いロボット達がプルートゥと死闘を繰り広げ、破壊されていく…という展開を頭に入れてから読め、と。これはかなりつらい。原作ではサラッと、そして子供向け故にどこかコミカルに描かれていた各ロボット達の境遇や性格、生き様は、浦沢版ではおもいっきりドラマチックに脚色されている。誰からも愛される存在で、ロボットなのに情にもろく優しかったり、あるいは暗い過去を引きずりながら頑張ってたり(『PLUTO』の世界では高性能ロボット=大量破壊兵器でもあるのだ…)。そんなロボット達が次々に破壊され、散っていく。分かってはいるものの、いちいち切なく、悲しい。
原作とほぼ同じ順番で、『PLUTO』で破壊されていったロボットたち…モンブラン、ノース2号、ブランド、アトム、ヘラクレス、ゲジヒト…そして今月、遂に最後の一人、エプシロンの番になってしまった。兵器として最強の力を与えられながらも徴兵を拒否した平和主義者。そのことで世界中から批難を浴びながら、オーストラリアで戦災孤児の世話に励む、心優しいエプシロン。
平和な世の中なら、エプシロンの莫大なエネルギーは平和的に利用されるだろう。しかし戦争が起きれば真っ先に戦力と見なされる。「ロボットを争い事に巻きこんではならない」というお茶の水博士のような主張は少数派だ…。ロボットの心理描写があっさりしている原作でも、主人公のアトム、そして、エプシロンだけは特別だった。原作エプは、ある事件がきっかけで瀕死状態のプルートゥに出くわす。そのまま放置すれば大量破壊兵器プルートゥは死ぬ。子供たちを見守りながら平穏に暮らすことを望み、戦いを拒むエプシロンはプルートゥを見捨てようとするも、「目の前で苦しんでいる者を見殺しにしていいのか?」と自問自答した末、手を差し延べる…。この設定は浦沢版でもしっかり生かされており、エプシロンは常に苦悩しまくり。あぁ…エプシロンよ…「戦いを拒んだ破壊兵器」という矛盾した生き様が素敵だぜ…。そして最終的に…。
思えば浦沢版エプシロンは貴重なキャラだった。普段クールなシリアスキャラのくせに子供の前だと優しいお兄さんキャラに変貌。保育士という仕事が憎たらしい程ハマってた。長髪のイケメンというルックスは、渋いオッサンだらけの『PLUTO』に確実に華を添えていた。そもそもあの世界ではロボットのルックスをどう決めているのだろう。生みの親である博士に一任されるのか?アトムは生みの親である天馬博士の息子そっくりに造られた。プロレスラーとして造られたヘラクレスとブランドはルックスも見るからに強そう。しかし刑事ロボ・ゲジヒト…何故あんな、薄毛が気になる枯れたオヤジ風に造られちゃったんだ!?エプシロンはあんなにイケメンに造ってもらえてるのに…。兵器として造られたのに、平和主義者のエプシロン。戦争に行って戦ってくれないロボットなんて世間から見れば失敗作であろう。しかし自らの意志で人間の命令に背いているという意味では超進歩的なロボットとも言える。実際、「ロボットが仕事をサボるようなことがあれば、それは進化だ」という主旨のセリフも作品内にあるしね。
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