先日、手塚治虫の漫画『MW』(ムウ)が実写映画化されると知り、文庫を読み返した。「MW」と呼ばれる謎の猛毒ガスの行方を追う過程で次々と凶悪犯罪を犯す青年を主人公に据えたハードボイルド漫画。主人公は幼少時代にMWを吸い、脳がやられて極悪人に変貌したという設定で、とにかく悪の限りをつくす。主人公が吸ったのは微量だったので命に別状は無かったが、まともに吸えばあっという間に死に至るMW。「MWを世界にバラまいて、皆が苦しむ所を見てみた~い」という好奇心のみでガンガン人をハメたり殺したりする主人公は、極悪人というよりは狂人か。『ダークナイト』のジョーカーも人々が混乱してるのを見て楽しみまくってたが、あれと似てる。
表向きはデキる銀行マン、裏では犯罪を繰り返す狂人。主人公は二つの顔を使い分け、MWの行方を知る政府高官に近づいていく。彼の武器は悪事を次々と思い付く悪魔的頭脳だが、最大の武器は美貌。梨園出身、売れっ子歌舞伎役者の弟という設定なので美形、というか中性的で色っぽく、そのルックスを駆使して女は勿論、男をも軽々と手玉に取る。男をベッドに誘い込み、骨抜きにするシーンは、ある意味この漫画最大の見所だろう。手塚治虫の漫画は子供向けの作品であってもどこか色っぽいというか、エロな香りがほのかに漂っており、『鉄腕アトム』にも「ちょ、こんなんありかよ」みたいなシーンがよく出てくる(アトムはエネルギーを肛門からグサっと補給する…)。まして、子供向けでない『MW』はエロティシズム全開なのである。
聞く所によれば『MW』は1976年、竹宮恵子が『風と木の詩』をヒットさせたのを受けた手塚が「へぇ、今の少女漫画界は美少年モノが流行ってんだ?俺も描いてやる」と対抗して生まれた作品だという。息子(もちろん手塚眞)が自分の漫画に興味を持たず『ゲゲゲの鬼太郎』に夢中なのが悔しくて、「俺だって妖怪モノ描いてやる!」と発起して『どろろ』を描いたのは有名な話。生涯に渡り、ありとあらゆるジャンルの漫画に対抗・挑戦したと言われる手塚。「な、なにも『風木』に対抗せんでも…」という感じだが、「漫画界の大御所」という立場に胡座をかかず、「自分以外の漫画家は全員ライバル!」という姿勢で描き続けた証でもあるだろう。素敵じゃないか、『風と木の詩』に対抗して『MW』描く手塚治虫。「俺ならジルベールよりエロい美少年を描ける!」とか思ったのかな。
美貌の主人公は女装も得意。作中で何度も女に化けて周囲を欺く姿はいかにもマンガ的だが、まぁとにかく色っぽい。ドレッサーの前で化粧水を手に取る仕草とか…。『MW』というタイトルは、男(Man)と女(Woman)の顔を自在に使い分ける主人公自身から来ているわけだね。
肝心のストーリー自体は入り組んでいるようで至ってシンプル。主人公が順調に悪魔的計画を成功させていく様子は「そんなに何もかも上手いこと行くかぁ~?」とツッコミたくなる。また、主人公の犯罪を立証しようとする検察官の「行き過ぎた捜査」も興ざめ。「そんな捜査が許されるなら誰でも起訴出来るよ」みたいな。サスペンスものの割りにスリルが足りない。
だからまぁストーリー本筋より、美貌を武器にのし上がる主人公に注目するべきなのかもしれない。それなのに現在制作中の実写版『MW』は、同性愛描写がバッサリと切り捨てられているらしい。そ、そんなの『MW』じゃないって!規制等があって難しいんだろうけどさ、手塚治虫が『MW』で一番描きたかった事柄(??)を切り捨てるって酷くないか?そんな中途半端な形での映画化しか出来ないのなら、始めから『MW』なんて題材を選ばなければいい。『どろろ』の悲劇を繰り返してはいけない。断ち切らなければならない、実写化失敗の連鎖を(エプシロン)。
表向きはデキる銀行マン、裏では犯罪を繰り返す狂人。主人公は二つの顔を使い分け、MWの行方を知る政府高官に近づいていく。彼の武器は悪事を次々と思い付く悪魔的頭脳だが、最大の武器は美貌。梨園出身、売れっ子歌舞伎役者の弟という設定なので美形、というか中性的で色っぽく、そのルックスを駆使して女は勿論、男をも軽々と手玉に取る。男をベッドに誘い込み、骨抜きにするシーンは、ある意味この漫画最大の見所だろう。手塚治虫の漫画は子供向けの作品であってもどこか色っぽいというか、エロな香りがほのかに漂っており、『鉄腕アトム』にも「ちょ、こんなんありかよ」みたいなシーンがよく出てくる(アトムはエネルギーを肛門からグサっと補給する…)。まして、子供向けでない『MW』はエロティシズム全開なのである。
聞く所によれば『MW』は1976年、竹宮恵子が『風と木の詩』をヒットさせたのを受けた手塚が「へぇ、今の少女漫画界は美少年モノが流行ってんだ?俺も描いてやる」と対抗して生まれた作品だという。息子(もちろん手塚眞)が自分の漫画に興味を持たず『ゲゲゲの鬼太郎』に夢中なのが悔しくて、「俺だって妖怪モノ描いてやる!」と発起して『どろろ』を描いたのは有名な話。生涯に渡り、ありとあらゆるジャンルの漫画に対抗・挑戦したと言われる手塚。「な、なにも『風木』に対抗せんでも…」という感じだが、「漫画界の大御所」という立場に胡座をかかず、「自分以外の漫画家は全員ライバル!」という姿勢で描き続けた証でもあるだろう。素敵じゃないか、『風と木の詩』に対抗して『MW』描く手塚治虫。「俺ならジルベールよりエロい美少年を描ける!」とか思ったのかな。
美貌の主人公は女装も得意。作中で何度も女に化けて周囲を欺く姿はいかにもマンガ的だが、まぁとにかく色っぽい。ドレッサーの前で化粧水を手に取る仕草とか…。『MW』というタイトルは、男(Man)と女(Woman)の顔を自在に使い分ける主人公自身から来ているわけだね。
肝心のストーリー自体は入り組んでいるようで至ってシンプル。主人公が順調に悪魔的計画を成功させていく様子は「そんなに何もかも上手いこと行くかぁ~?」とツッコミたくなる。また、主人公の犯罪を立証しようとする検察官の「行き過ぎた捜査」も興ざめ。「そんな捜査が許されるなら誰でも起訴出来るよ」みたいな。サスペンスものの割りにスリルが足りない。
だからまぁストーリー本筋より、美貌を武器にのし上がる主人公に注目するべきなのかもしれない。それなのに現在制作中の実写版『MW』は、同性愛描写がバッサリと切り捨てられているらしい。そ、そんなの『MW』じゃないって!規制等があって難しいんだろうけどさ、手塚治虫が『MW』で一番描きたかった事柄(??)を切り捨てるって酷くないか?そんな中途半端な形での映画化しか出来ないのなら、始めから『MW』なんて題材を選ばなければいい。『どろろ』の悲劇を繰り返してはいけない。断ち切らなければならない、実写化失敗の連鎖を(エプシロン)。
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