どんよりと曇った日曜日、霧雨が時々思い出したように降ってくる日でした。ダッファリン島にはカメラを抱えた人達が数人来ていました。三脚を設えていた男性の連れの女性が通りすがった私に「素晴らしい、とても綺麗ね」と声を掛けました。 この人達は此処は初めてなのだと私は思いました。綺麗ではないと彼女の感想を否定するつもりは無いのですが、でも、数年前を知る人なら「以前はもっと綺麗だったのに。。」と言うでしょう。 もちろん素晴らしい色を見せてくれる木が未だ何本もあります。とは言えまだまだ緑のまンまでつっ立ている木が多いし、恐らくこれらの木々は色付く前に冬の寒さに蝕まれてしまうのではないかと思うのです。 自然にも老化現象というものが有るのかもしれないと、その時思いました。 それはただ木や草が育っては枯れていくというだけのことではなく、もっと広い大きな意味で自然というものが瑞々しさや活き活きした力を失ってしまうと言うという現象があるのかもしれないのです。 人間が作り出す排気ガスやゴミのせいにしているけれど本当は、人間の愚かさや不精さには関係なく衰えていくものなのかもしれません。 この時期には毎年大勢の素人、玄人の写真家達が秋の美しさを撮りにやってくるのですが、今年は少ないような気がします。老化現象のことを知っていて、来ないのかもしれません。 ローレンシャンにしろ、アルゴンキンにしろ、以前の華やかさが無いし、この周辺の郊外の森林も同じように衰えて見えます。 こんな狐につままれた様な考え方を馬鹿馬鹿しいという人も居るでしょうが、案外「私もそんな気がしていた。。」という人が多いかもしれないのですよ。 周囲の自然を見てください。霊験あらたかといわれる山の山頂を切り崩して土産店街にしてしまうのは人間の愚かさでしょうが、みんなで大切にしていた心算なのにいつの間にかなくなっていくのは老化現象としか考えられませんから。 |