「老いの心は平穏で優しく美しい」お若い方はそう思うんでしょうね。もう枯れていらっしゃるからと・・・
いいえ、そんなことないんですよ。怒り、悲しみ、惑い、それによからぬことの思いに心乱れることもあるんです。
そんな時山は私を誘うんです。秋ならば静かなススキの原が私を誘うんです。
いつもの峠道をひたすら登る私の心は「ああ自分の家に帰ってきた」と安らぐんです
昨日も、意味もなく心が鬱になって・・・いいえちょっとばかりよからぬことに心乱れて「山の神様」に救って頂こうと山に行ってきました。
秋ですね、昨日までの雨に濡れた道にキノコが迎えてくれました
食べられるキノコでもないのに「可愛い」と心がわくわくするんですよ。ホコリタケ」っていうんでしょうか、懐かしいキノコなんです。熟したこのキノコを手にとってぱんぱんたたくとキノコの上の穴から黒っぽい茶色の煙が出るんです。キノコの胞子なんでしょうか。幼かった私達洟垂れ小僧たちはなんの意味もなくそのキノコをたたきながら山の道を歩きました。幼い私達にはそれがすばらしく楽しいことだったのが不思議です。
私はカバンを下ろしてカメラの標準ズームレンズを50mmマクロレンズに変えて腹ばいになってなんカットもシャターを切りました。爺いの心はすっかり幼い頃の心になってルンルン嬉しくなってしまうんです。
このキノコも同じ仲間のキノコなんでしょうか。でも大きいんです。直径が10cmくらいあったと思います。もちろん食べられません。でも楽しんで心いっぱいで撮るんです。それが楽しいんです。
尾根道のこんな高い場所にこんな4cmほどに細くて小さなトンボがいました。オツネントンボ(越年トンボ)といって成虫で冬を越すんだそうです。会津マッチャンさんに教えて頂きました。こんな尾根道の高い場所です。厳しい吹雪の冬をこんな弱々しいトンボがどうやって成虫で冬を越すんでしょうね不思議です。
去年は尾根道にいっぱい咲いていたりんどうの花がどうゆう分けか今年は少なくて1株見つけただけでした。でも野に咲くりんどうの青紫色は美しいです。時期が早かったのかも知れません。10月にもう一度きて見るつもりです。
スキー場の頂上のワイヤロープを動かす大きな輪がススキの中に見えています
リフトを乗り継いでここまで上がってスキーで滑り降りると私のようなへたの者でも15分もすべればゴールしてしまいます。でも徒歩でスト45分くらいかっかります。下るのが大変です。
第4リフトの鉄塔とワイヤリフトが残っています
このワイヤロープに二人乗りのチェアーが着いていました。若い頃、確立は極めて少ないんですけどうまくいくとときめく人と一緒出来ることもありました。もちろんときめいているのはこちらだけでお隣さんは別世界なんの関心もありません。でも女性にはいつも無視されぱなしの私です。それはそれは天国の2分間でした。
スキー場の中腹からの会津盆地の眺めです。集落の点在する周りの圃場は黄金色に輝いていました
2時間ちょっとの尾根道の散策ですっかり心が洗われて、さっきまでの鬱や惑いは誰のことやら心は晴々しているんです。山の道はやっぱりすばらしいです。山は山太郎の大事な修験の道、心を綺麗に洗い流してくれる大事なそして楽しい修験の道なんです。いい1日でした。
寒くなると、手を触れるほど近づいても逃げなくなります。
愛おしい命を見つめながら、時の経つのも忘れて・・・。
それで癒され、満足しています。でも、先ずは健康であれば、と思いつつも、ふと寂しさがこみ上げてきます。
秋はそういう季節なのでしょう。
これから晩酌、静かに諸々思い巡らせたいと思います。
牧水のように、”酒はしづかに飲むべかりけり”で
とは言いながら、貧乏暇なしの昨今、「やるっきゃない」でがんばります。
私といえば少々偏屈、人付き合いが苦手、会津マッチャンさんに見習ってそれを少しでも直そうと思い今日は思い切って「街中ハイキング、終わってやせうま(よもぎ餅と餡の饅頭)作りに挑戦」という催しに参加してみることにしました。近頃の若い者は老人に親切です。楽しんでこれると思います。