澄みきって飯豊連峰の姿が遠く浮かんで見えました。
飯豊山は、会津・米沢・越後三地方の信仰の山なんですけど、私にもいろんな思い出があるんですよ。
50年ほど昔、私がまだ40歳の始めの頃中学生だった息子二人と一緒に飯豊登山をしたんですよ。切合(きりあわせ)小屋二泊で本山(2105)からお花畑の綺麗な御西岳を通って大日岳(2128)ふもとの沼の見えるところまでの縦走をして帰ってきたのです。中学生だった息子たちは平気でしたけど40歳代の私はだいぶ疲れた強行軍でした。
おかげで上の息子は山好きになってしまって冬山登山はするは、ザイルやらいろんな道具を使って岩登りをするやらして親を心配させました。結婚したら山行きは止まったからいいようなものですけども大変でした。。
登山から帰ると集落の古老の方から「お山登拝無事にすんでよかったですね」と言われました。 私はただの登山とばかり思っていましたけど古老の方には飯豊登山は信仰の登拝だったんですね。
この写真は「会津坂下の伝説と史話」を著された井関敬嗣(けいし)先生のお若いときの飯豊登拝の時の記念写真です。
かつては集落の若者は数え歳で13-14歳になると鎮守の社(やしろ)に何日かお籠もりをして近くの川で潔斎をして身を清め先達に連れられて飯豊山に登拝して初めて集落の成員として認めてもらえたと言われていたんです。
ざーんげざーんげ(懺悔懺悔)
ろっこんしょうじょう(六根清浄)
登拝の時の唱えのことばだそうです。
飯豊山は信仰の山です。昔のことですから当然女人禁制になっていました
昔ある女の人が「女だって男の倍の禊ぎ潔斎をすれば飯豊登拝は出来ると」称して厳しいみそぎ潔斎の後登拝を始めたら途中で気持ちよくなって休んでいたら石になってしまった。それが今に残る姥石(うばいし)であるという言い伝えがるんだそうです。女人禁制の作り話ですけど半ば信じてもいたんでしょうね。
いつでもすごい立派な女の人がいるんですね。大正14年(1925)猪俣竹緒(たけお)という会津女学校を卒業したばかりの18歳の女の人が家の人には佐渡見物に行ってくるといって飯豊登山口の一ノ戸村に至り一泊次の日に村人が止めるのを振り切って解明的な先達について飯豊山に登山したのです。
村人はあの女は自殺志願の登山であって神罰を受けて生きて帰ってはこれないと話しあっていたところ元気で帰って来たので唖然としたといわれています。それ以来少しずつ女の人の飯豊登山が増えてきたんだそうです。
でも竹緒さんが帰宅すると佐渡見物の嘘がばれていて父親に厳しく叱られて勘当されてしまいやむなく叔母の家に身を寄せていたところ叔母の説得でようやく勘当を許されて謹慎だけで済んだとのことです。そのことがあってのち女の方の飯豊登山が増えやがて女人禁制などという馬鹿げた掟が消えたといわれております。
猪俣竹緒さんは昭和43年12月23日にお亡くなりになった会津若松市門田町の方なんだそうです。すごい方なんですよね。
以上は井関敬嗣先生の「会津坂下町の伝説と史話」によりました。