約半世紀ほどの昔、40歳台だった私は50ccの本田カブのミニバイクに乗ってあちこちの石仏を撮って楽しんでいました。会津若松氏一箕町金堀の山の神様を訪れた時のことです。
私はそこ珍しいものを見つけて驚いてしまったのです。写真の石段を上がった左側、普通の神社で狛犬さんが座っている場所にこんな石像が注連縄を回らして座っていたのです。私は驚いてしまいました。

会津には保科正之公の藩内のみだらな民間信仰の排除政策によって、奥会津御蔵入り(幕府の直轄地)の集落のはずれのあちこちに多く見られる双体道祖神や金精様が見られないと聞いていました。
それなのに会津若松市にそう遠くない金掘集落の山の神様の境内には金精様が座ってやしろを守っているのに驚いてしまって、右側ある同じように注連縄だ巻いてある石の像に注意して見ることを忘れていたようです。でもそこにある石像がどんなものかわ想像することはできます。
集落に残る古い信仰って意外に強く残っているんですね。今金掘集落の人たちはこの山の神さんの石像をなんと呼んでいるうんでしょうね、聞いて見たいです。

私はそこ珍しいものを見つけて驚いてしまったのです。写真の石段を上がった左側、普通の神社で狛犬さんが座っている場所にこんな石像が注連縄を回らして座っていたのです。私は驚いてしまいました。

会津には保科正之公の藩内のみだらな民間信仰の排除政策によって、奥会津御蔵入り(幕府の直轄地)の集落のはずれのあちこちに多く見られる双体道祖神や金精様が見られないと聞いていました。
それなのに会津若松市にそう遠くない金掘集落の山の神様の境内には金精様が座ってやしろを守っているのに驚いてしまって、右側ある同じように注連縄だ巻いてある石の像に注意して見ることを忘れていたようです。でもそこにある石像がどんなものかわ想像することはできます。
集落に残る古い信仰って意外に強く残っているんですね。今金掘集落の人たちはこの山の神さんの石像をなんと呼んでいるうんでしょうね、聞いて見たいです。