標高500mの柳津町久保田集落の小高い丘陵の斜面には三十三体の観音石象が5-6m置きに安置されており「まわり観音」と呼ばれています。安政元年(1818)集落の人々が願いを込めて一戸一体を刻んで観音像を安置したと伝えられています。
(ネットからのコピペです)

その中の一体、七番の観音像は他の観音像と違って洗練されたお姿で微笑笑んでいらっしゃいます。そしてお体のうしろの左手で高々と十字架を掲げていらっしゃるんです。石像のうしろには「佐藤宗五良、文政元年寅」と刻まれております。

「マリア観音」と呼ばれて有名な石像です。この像は隠れキリシタンの石像なんでしょうか? それともキリスト教と仏教の観音信仰とが習合した石像なんでしょうか? 私には分かりません。でもこの石像がキリスト教と関係があるのは間違いないと思います。
会津のキリスト教は天正18年(1590)キリシタン大名蒲生氏郷によって会津に伝えられ会津若松や猪苗代に教会だ建てらてれ人々をキリスト教に導き、会津若松では人口の3割が信者になったと伝えられています。
しかし江戸時代になるとキリスト教禁令が厳しくなり加藤明成の寛永12年(1635)会津若松黒川の薬師堂河原で棄教しないキリスト教信者や宣教師など60余名が逆さ吊りや、はり付けや、斬首などの極刑で処刑されたと伝えられております・
会津のキリスト教についてはネットで調べ抜粋しました。
私はこの地を訪れてこのマリア観音の前に立ったとき、会津にも厳しいキリスト教禁令から逃れてこの地で隠れキリシタンとして密かに信仰を守り続けた家系があったことを知って感動しました。十字架を高く掲げて頬杖をついて笑顔のマリア観音は明るくて美しいです。
(ネットからのコピペです)

その中の一体、七番の観音像は他の観音像と違って洗練されたお姿で微笑笑んでいらっしゃいます。そしてお体のうしろの左手で高々と十字架を掲げていらっしゃるんです。石像のうしろには「佐藤宗五良、文政元年寅」と刻まれております。

「マリア観音」と呼ばれて有名な石像です。この像は隠れキリシタンの石像なんでしょうか? それともキリスト教と仏教の観音信仰とが習合した石像なんでしょうか? 私には分かりません。でもこの石像がキリスト教と関係があるのは間違いないと思います。
会津のキリスト教は天正18年(1590)キリシタン大名蒲生氏郷によって会津に伝えられ会津若松や猪苗代に教会だ建てらてれ人々をキリスト教に導き、会津若松では人口の3割が信者になったと伝えられています。
しかし江戸時代になるとキリスト教禁令が厳しくなり加藤明成の寛永12年(1635)会津若松黒川の薬師堂河原で棄教しないキリスト教信者や宣教師など60余名が逆さ吊りや、はり付けや、斬首などの極刑で処刑されたと伝えられております・
会津のキリスト教についてはネットで調べ抜粋しました。
私はこの地を訪れてこのマリア観音の前に立ったとき、会津にも厳しいキリスト教禁令から逃れてこの地で隠れキリシタンとして密かに信仰を守り続けた家系があったことを知って感動しました。十字架を高く掲げて頬杖をついて笑顔のマリア観音は明るくて美しいです。