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さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

刈り終わる圃場広々と藁ポッチ

2017-10-08 | 日記
肥育牛農家の方の圃場ですなんか牧歌的な楽しい秋の風景です



牛は反芻動物で一度食べたものをまた胃から口に戻し繊維質を細かに噛み砕いて胃に戻し微生物の働きで繊維質を消化するんだそうです。そのために牛は穀物だけでなく良質の繊維質を食べなければならないんだそうです。その良質の繊維質に稲藁は最適なんだそうです。

普通の稲作農家では脱穀した稲藁はコンバインで細かにして田圃に鋤き込んで肥料にするみたいですけど、肥育牛農家では脱穀した稲藁はコンバインで結束して束にしてこんな稲ポッチにして乾燥して保管するみたいです。

私は90年9ヶ月生きてきました。私の古里奥会津只見の子供の頃(70数年昔)はやっぱり稲藁はとても大事な物でした。乾燥した稲藁は大事に屋根裏などに保管して置き冬の農閑期に取り出して槌で打ってやわらかくして、縄や藁草履や藁靴やむしろなどにしました。それは当時の農家の生活の必需品でした。ですから小学生の子供でも夕食が終わると「ようわり」(宵割り?)と称して必ず30mくらいの長さに藁縄をなってから眠りました。少し大きくなると軟らかくした藁をもって集落の作業場(今の集会場)に集まって美しくて丈夫な藁草履や藁ぐつなどを競いあってつくりました。でもそれはとてもたのしい若者たちの夜だったらしいです、なぜってそこは大人に干渉されない若者たちの自由な世界で遠い昔から伝わる集落のしきたりでもあったんですね。仕事が終われば大きな炬燵を囲んで楽しむことも出来たらしいんです。らしいというのは私の父と母は物堅くて夜は一歩も外には出してくれませんでした。 それに私は小学校高等科を終わるとすぐに遠い寄宿舎のある学校に入れられそれこそ「男女七歳にして席を同じゆうせず」の厳しくおかしな生活をさせられました。ですから私はその若者たちの楽しい夜の世界を知ることができなかったのです。私が融通の利かない偏屈な社交性に欠ける人間になってしまったのはそんなことが原因のひとつか?なとも思っているんです。またまた余計な馬鹿のことを書いてしまったようです。恥ずかし恥ずかし・・。