さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

90と88歳の爺いとばばちゃん、二人の朝が元気です。

2017-08-05 | 日記
私の家でばばちゃんの寝室は階下の部屋にあってベットが入れてあり、爺いの寝室は二階のトイレ付きの6畳の畳の部屋で二人は独立しております。ばばちゃんは私のいびきがうるさいといい私はばばちゃんのいびきがうるさいといい喧嘩になり話し合って独立したのです。結果は最高二人とも自由にゆったりと眠ることが出来るようになりました。喧嘩しても尾を引かなくなりました。ゆったりと寝ている間に二人とも喧嘩のことなど忘れてしまうのです。

朝4時30分頃目覚めた私は布団をたたみ身支度をしてゆっくりと階段を下りるのです、すると廊下の灯りがついていて台所のレンジの上の火に鍋とヤカンが載っていてカタカタとばばちゃんの包丁の音が聞こえて来るのです。

それを見て聞いて私は「あ、ばばちゃんは今日も元気だ」とホットするのです。
するとばばちゃんは笑顔で「おはよう。よく眠れた」と爺いの私に声をかけてくれます。

私は元気で台所で仕事をしているばばちゃんの姿が嬉しくてほっとしているのに顔はぶすっとしてひと言「うん」といって洗面所にいくんです。アホな昔気質亭主関白の沽券の残りかすが90歳になってもまだ消えていないんですよ。なーにばばちゃんは無力で哀れな沽券だけの爺いことなどとうに見抜いてはいるんですけど・・

洗面所の私はまず洗濯機の中の洗濯物の量を見計らって柔軟剤と洗剤を入れてスイッチを入れます。私は粉の洗剤より液の洗剤のほう効率がよく使い安いことを知っています。洗濯機についてはばばちゃんより私のほうがベテランなんです。ばばちゃんが洗濯機を回す時は昔買いためていた粉剤の洗剤を使っています。液の洗剤の使い方を聞くんですけどかたくなに粉の洗剤を使うんですよ。

洗面が終わると掃除を始めます。3年ほど前までは毎朝掃除機を使っていましたけど、今は古式の座敷箒です。ばばちゃんの寝室から居間、廊下玄関、玄関外のたたきまで狭い家の中ですけど手際よく掃いて後マップを掛け必要な場所は布巾で拭くんです。日曜日は丁寧の掃除機を掛けます。

掃除が終わったら台所のばばちゃんの脇に立ちます。そしてばばちゃんの指示で台所仕事を手伝います。私が台所に立つようになってからはばばちゃんの包丁も私の包丁も鋭くピカピカに研ぎ上げられていて良く切れるのでばばちゃんは喜んでいるんです。刃物の研ぎ方は子どもの頃から肥後の守といわれるナイフや山遊び必携の鉈を研いでいますから私の身についているんです。

これは煮物と称するばばちゃんが主になって作る鍋物です。もちろん私も手伝います。



これは私が主になって作る肉汁です。これらはカタカナ料理ではありません。結婚以来60数年続いている古来の料理で美味しくて欠かすことの出来ない二人のだいじなメインの料理なんですよ。



トマトはばばちゃんが切りました。目玉焼きは爺いがフライパンで焼きました。




これは爺いのおかゆです。爺いが作ります。



そのほか野菜の料理や漬け物や生協からかったおかずなどはばちゃんが調えます。





私の家は家庭内のバイキングです。それぞれの好みにあわせて自分で盛りつけて自分で食卓に運んで食べるのです。

台所の仕事が終わると食事前に爺いとばばちゃんにはそれぞれの大事な仕事があります。
爺いはまず洗い終わった洗濯物を物干し竿に干さなければなりません。始めた頃に比べると今はすごく手際よく上手にできるようになっています。洗濯物を干していると庭で私のスズメたちがどこからか飛んできて早く餌頂戴とちゅんちゅんと鳴いています。実は毎朝食パン1枚を丁寧に刻んで庭に撒くのです。スズメたちが集まってそれを食べてる姿を見るのがとても楽しいのです。





何組かのスズメのカップルがいるんですよ。少し太めのスズメは雌ですらりの軽やかな姿のスズメガ雄なんです。カップルが飛んで来ると雌のスズメは近くの枝に止まってパンくずには近寄りません。すると雄のスズメは止まっている雌のスズメの所にパンくずを運んで口移しにたべさせるのです。とっても微笑ましい情景です。抱卵している雌に餌を運ぶ雄の習性なんでしょうね。私はカラスの雄が餌を雌に運んでたべさせているのを見たことがあります。雄鳥が雌鳥に餌を運ぶのは鳥たちの習性なんでしょうか、かわいいですよ。

その間、ばばちゃんは神棚と観音様に水を上げ、マルとエリー(愛犬)の写真の前に線香を立てお菓子などを上げ深々と手を合わせてお祈りをするんです。無粋で神信心の薄い私は感心してそれを見ています。

食事がおわった跡の片付けと食器洗いは爺いの仕事です。足が痛くて歩行が困難なばばちゃんですから当然の爺いの仕事です。ばばちゃんは爺ちゃんが惨めに見えるから食器は洗うな私が洗うからといいます。でも私はかまわず食器も丁寧に洗い納めて台所も丁寧に綺麗にして終わります。

昔の私は「男子厨房に入らず」と称して決して台所などには入りませんでした。スーパーなどで食料品を買い求めることなどは決してしませんでした・

ちょっと改まった外出や仕事に出るときはハンカチちり紙ネクタイ靴下などが揃えられており磨かれた靴が玄関に揃っていました。現役時代の私はそれが当然だと思っていました。

しかしあるときばばちゃんにちょっとした病で寝込まれた時私は呆然としてしまいました。家事について私はなんにも分からずどうしていいのが狼狽するばかりでした。いちいち寝ているばばちゃんに聞きながらなんとか乗り切ったのです。

その時以来私はばばちゃんから独立しなければならない。このままだったらもしばばちゃんに倒れられたら介護どころか自分が破滅してしまうと恐ろしくなってしまったのです。

そしてばばちゃんに、仕事を手伝うのではく自分で仕事を覚えるためにばばちゃんと仕事を一緒にすると宣言してばばちゃんを先生にして家事を学び始めました。それはたやすいことではありませんでした。たとえば洗濯物のタオル1枚干すにしたってそれが上手に手について出来るようになるのは簡単ではなかったのです。しわを伸ばせ、曲がっている、等間隔に並べよ、いやはや大変でした。一事が万事家事のすべてを身につけて自然に出来るようになるのには大変な苦労をしなければなりませんでした。

それが今の私はたとえばデーザービスでばばちゃんが留守になっていても私の受け持ちの肉汁の鍋物を楽しみながら材料を揃えて煮ることが出来るようになっていますし。乾燥した干し物のシャツなどはばばちゃんと同じ程度に綺麗にたたむことができるようになっています。私の寝室には私の衣類はすべて分類されて綺麗に保管されています。病院に行くときなどばばちゃんの手を借りずに一切を手際よく調えることが出来るようになっています。

私はばばちゃんと話しながら男子厨房に入らずなどとおかしなプライドに固まっていた私がよくもまあこんな爺いになたものだとばばちゃんと一緒にあきれています。まあ頑固でアホな私が普通の爺いになったということに過ぎないとは思っているんですけど。

「90と88の爺とばばちゃん 二人の朝が元気です。」臆面もなく爺いの恥を書きました。笑いとばしてください。恥ずかし恥ずかしです。