今日の散歩で風の強い堤の道に細い1本のアザミの花が揺れていました

友はいつも言っていました。
「この堤の道から俺の好きな薊の花が消えてしまって淋しい」
「それは堤の草を大型の草刈り車ですごいスピードで見さかいもなく草を刈り飛ばすからだ」
心の通う大事な友でした。野草のことなどなにも知らない私にいろんなことを教えてくれました。
「ここにね、どうゆうわけか1株の萩があって十五夜頃に綺麗な花を咲かせていたんだ。でも今は花が咲く前に刈りとられてしまうんだ」
「タンポポには日本古来のエゾタンポポと外来種の西洋タンポポがあって、新しく造成されたり、耕地の基盤整理などされた土地に咲くタンポポはほとんどが西洋タンポポで、日本古来のエゾタンポポの生えてる土地は少なくなっている。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
などなど私に教えながら嘆いていました。
懐かしい友は5年前に亡くなってしまいました。老いた私にとってはたった一人の心の通う友でした。
でも、いま私が独りで散歩するこの堤の道の脇にはアザミの花が幾株も見られるようになり、夏には赤いオニユリやヤブカンゾウの花が見られ、十五夜明月の頃には萩の花も美しく咲くようになりました。
それは長い堤の道脇に桜並木を作ろうとする町の事業で、町民がその事業に賛同して幾ばくかの寄付をすれば「○○さんの桜」と名前をつけた桜が植樹され、以後その桜の手入れと周りの土手の草地の管理は○○さんがするという年次計画の事業がおこなわれ数年前に数kmの長い桜並木が出来上がったのです。堤の土手の草地はひとりひとりの草刈り機で手入れされ、アザミも、萩も、オニユリも、ヤブカンゾウも自然と残さされるようになったんです。しかも堤は古い時代トロッコとモッコなどで作られました、だから西洋タンポポではなく早春には日本古来のエゾタンポポの群落も見られるのです。
風に揺れてるアザミの花を見るとしみじみと友のことを思い出されるのです。
「○○さん、今はあちこちに綺麗なアザミがいっぱい咲いているんよ。よかった!、嬉しい・・」小さな声で私は友にそう呼びかけるのです。
本当に心優しい友でした。風にゆれているアザミの花を見てると懐かしく亡き友のことがが思い出されるのです