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さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

山の奥に静かな堤がありました

2014-05-05 | 日記
 四月末、勝負沢の峠道でキクサキイチゲのきれいな花の群落を楽しんだ帰り道、道の北側に今はあまり使われていない感じの古い道をみつけました。勝負沢峠道の旧道?、そんなことを思って歩って見たいなとゆかしく思っていました、

 五月になって、糸桜里の湯にばばちゃんを迎えにいく時間を早め出てこの道を歩ってみました。新が美しく鮮やかでした。それに嬉しいことに本当にしばらくぶりにウグイスの声を聞くことができました。



 300mほどいくと新の遠くに大きな堤の土手が見えて驚きました。ロックヒルダムじゃなくって土を突き固めて作った小さなダムなんです。 ああそうか、この道は山の用水堤への道だったのかとわかりました。



 堤の土手をゆっくりゆっくりあえぎながら登りました。(私は心筋梗塞で心筋の3分の1が壊死してるんです)土手には花は終わっていましたがカタクリの群落がいっぱいでした。来年の春が楽しみです。ワラビも出ていて手いっぱいに摘みました。

 大きく広い用水堤の池が静かに緑の木々を写していました。ここは宇内の集落から約1km、峠道から約300m、人里を遠く離れて本当に静かでした。かすかに蛙の声が聞こえてきました。



 今は水田の大がかりな基盤整備が進み灌漑用水路も立派に作られるようなりましたからこのような山の用水堤の必要はあまりなくなったんだと思います。ですから雪解け水を湛えた池も満水ではなく七分くらいの湛水で、豪雨の節の溢水の水路も荒れ果てていました。 もう今は満水の池は必要ではなくて、むしろ豪雨の節の堤の決壊が心配なんだと思いました。

 用水池を見ながら、この用水池が生きていた頃の田植えの頃を思いました。
 水田はほとんど10アール程度の小さなもので馬に馬鍬を引かせて田を起こし、そしてあらくれに砕いて、小学生の子供の鼻取り(馬を上手に水田のなかを引き回す)でしろをかいて町から大勢の人を頼んで田植えをしました。

 田植えは苦しい作業でしたけれども、稲作始めのお祭りでもありました。小学校は10日前後の農繁休業というのががありました。 小学校の子供も3年にもなれば大事な労働力でした。赤ちゃんの子守。小昼(休憩時の食事)の運搬、苗の運搬、苗配り、もう5年にもなれば大人に混じって田植えもしました。

 家には電話も、テレビも、洗濯機も、炊飯器も、ましてや軽トラやトラクターやコンバインなどありません。運搬は馬の背やリヤカーそして人の背で行いました。

 私の家などは貧しくておいしい清酒など買えません、時折回ってくる検査官の目を逃れるために畑の作業小屋の甕に仕込んだドブロクと称する密造酒を造って田植えの人たちに振る舞っていました。

 貧しかったんですけど、たくさんの町の人にお願いした田植えの人たち、それに子供も交えて賑やかな嬉しい田植えでした。

 そんな思いに浸っていると、手の甲から腕から顔からあちこち痛いんです、気がつくとからだの周り、目の周りに小さな蚊がワンワン群れて刺しているんです。

 ここは里から遠く離れた山の中です。強い農薬の影響などないんです。蛙やか蚊がいるということは空中にも水中にも昆虫がいると言うことです。蛙を食べる蛇もいるということです。ここにはまだ豊かな自然が残っているということです。

 この山の堤を見つけて嬉しいです。初夏になればいろんなトンボが見られと思います。溜池から流れ出る流れに大きなヤンマが見られると思います。楽しみです。

 それに来年の春のカタクリの花の群落、新の中の山桜、近くのキクサキイチゲの群落も楽しみです。いい所を見つけました。

 嬉しい嬉しい山の堤です