秋ですね。糸桜里野(しおり野)の萩の花が気になって、ちょっと山で遊んで来ようかなどと思い立って糸桜里野のスキー場跡に行ってきました。

すすきが秋風にそよいで、ナイターのライトの塔が空に高く見え、第1リフトのチケット小屋もあって懐かしかったです。ゆっくりと眺めながらゲレンデを登りました。

ここまで登るに30分かかりました。昔は5分もかからなかったのに年ですね。心臓が鼓動し息切れがしました。でも会津盆地の眺めが美しかったです。
一歩一歩すすきをかき分けて登って行く大きな萩の株がありました。

すごいです!。大きな萩です。小さな紅の花がいっぱい咲いていました。宮城野ではないんですけど、糸桜里野の萩もきれいです。30分かけてひとあしずつ登った甲斐がありました。


遠い昔、私は小立岩村という小さな山狭の小学校で学びました。同級生5人、茅葺き2教室の学校でした。宮沢賢治の「風の又三郎」の小学校そっくりでした。先生はお二人優しいお方でした。秋になると裏山にはすすきがいっぱい咲いていました。クラキチ君・テツオ君・スミ子さん・イセコさん・トミエさん、私は小学校5年で転校してしまいましたけどみなさんどうしているかな・・しばらくただずんで幼い日を懐かしみました。
萩だけではありません。懐かしいゲレンデ跡にはいろんな花が咲いていました。

なんとまあすすきの中に隠れるように小さい桔梗が咲いていました。山に咲く桔梗なんて50年ぶりです。嬉しかったです。昔この山は学校林だったんですよ。桔梗も咲いていましたけど、小さな桔梗の「センブリ」の花もいっぱい咲いていました。千回お湯の中で振っても強い苦みのでる大事な腹痛の薬草なんですよ。
オトコエシの花

オミナエシの花

オトコエシ・オミナエシなんて昔はどこにでも咲く秋の花でしたのに、今はもう里の野には絶えて見ることができなくなりました。懐かしい花です。
葛の花

葛ってすごく強い植物ですね。今は里の野にはびこる困った植物です。でも、昔はとても大事な植物だったんですよ。かっては農耕機械や軽トラなどありませんから、農作業はすべて人と馬か牛でやっていました。葛は栄養があって馬や牛の好む冬の保存食でした。だから山の葛は無断で勝手に採ってはいけなかったのです。 私の村では夏の終わり頃「鎌そろえ」といってある決まった日に村人が総出で鎌を持って集まり一斉に山の葛を刈って家畜の冬の大事な保存食にしたのです。そんなだいじな葛ですから里の野には葛など見ることができませんでした。私は今でも里の野にはびこる葛を見るともったいないなと思うのです。
それに葛の根から採れる上質なデンプンは「葛粉」といって和菓子の貴重な材料になり、また葛湯は風の熱を冷ます貴重な薬湯でした。
ツクバネウツギの花

お正月の追い羽根突きなって遠い遠い昔のことになりました。今はバドミントンですもんね。羽子板なんて今はお祝いかお飾りです。でも私はこの実を見るとお正月の追い羽根の「カーンカーン」という音が懐かしいです。
漆の実

漆の実がいっぱありました。漆の実(はぜの実)からは木蝋がとれ和蝋燭の材料になりました。だから会津藩で「ははぜの実」を藩外に持ち出すことを禁じていました。幼い頃祖父から「はぜの実を80里越えの峠を越えて越後に持ち出そうとして捕まり厳罰に処せられた人」の話を聞いて怖いなと思っていました。
今はそんなことを知っている人はあまりいません。漆の実がたわわに実っていました。

山を下りると栗の実「イガ」がこんなに大きくなっていました。今は誰も見向きもしませんけど、子供の頃の秋の山はおいしいものがたくさん実る宝の山でした。
栗・アケビ・はしばみ・やず・川原グミ・こくわ・いろんなきのこ・・幼い私ははけごを腰に山を飛び回っていました。家で勉強などした記憶はありません。栗やきのこをいっぱい採ってきて母にほめられるのが嬉しい思い出でした。
時代は変わりましたが、山生まれの私です。山にはいろんな楽しい思い出がいっぱいあって心がうるむ2時間の山歩きでした。

すすきが秋風にそよいで、ナイターのライトの塔が空に高く見え、第1リフトのチケット小屋もあって懐かしかったです。ゆっくりと眺めながらゲレンデを登りました。

ここまで登るに30分かかりました。昔は5分もかからなかったのに年ですね。心臓が鼓動し息切れがしました。でも会津盆地の眺めが美しかったです。
一歩一歩すすきをかき分けて登って行く大きな萩の株がありました。

すごいです!。大きな萩です。小さな紅の花がいっぱい咲いていました。宮城野ではないんですけど、糸桜里野の萩もきれいです。30分かけてひとあしずつ登った甲斐がありました。


遠い昔、私は小立岩村という小さな山狭の小学校で学びました。同級生5人、茅葺き2教室の学校でした。宮沢賢治の「風の又三郎」の小学校そっくりでした。先生はお二人優しいお方でした。秋になると裏山にはすすきがいっぱい咲いていました。クラキチ君・テツオ君・スミ子さん・イセコさん・トミエさん、私は小学校5年で転校してしまいましたけどみなさんどうしているかな・・しばらくただずんで幼い日を懐かしみました。
萩だけではありません。懐かしいゲレンデ跡にはいろんな花が咲いていました。

なんとまあすすきの中に隠れるように小さい桔梗が咲いていました。山に咲く桔梗なんて50年ぶりです。嬉しかったです。昔この山は学校林だったんですよ。桔梗も咲いていましたけど、小さな桔梗の「センブリ」の花もいっぱい咲いていました。千回お湯の中で振っても強い苦みのでる大事な腹痛の薬草なんですよ。
オトコエシの花

オミナエシの花

オトコエシ・オミナエシなんて昔はどこにでも咲く秋の花でしたのに、今はもう里の野には絶えて見ることができなくなりました。懐かしい花です。
葛の花

葛ってすごく強い植物ですね。今は里の野にはびこる困った植物です。でも、昔はとても大事な植物だったんですよ。かっては農耕機械や軽トラなどありませんから、農作業はすべて人と馬か牛でやっていました。葛は栄養があって馬や牛の好む冬の保存食でした。だから山の葛は無断で勝手に採ってはいけなかったのです。 私の村では夏の終わり頃「鎌そろえ」といってある決まった日に村人が総出で鎌を持って集まり一斉に山の葛を刈って家畜の冬の大事な保存食にしたのです。そんなだいじな葛ですから里の野には葛など見ることができませんでした。私は今でも里の野にはびこる葛を見るともったいないなと思うのです。
それに葛の根から採れる上質なデンプンは「葛粉」といって和菓子の貴重な材料になり、また葛湯は風の熱を冷ます貴重な薬湯でした。
ツクバネウツギの花

お正月の追い羽根突きなって遠い遠い昔のことになりました。今はバドミントンですもんね。羽子板なんて今はお祝いかお飾りです。でも私はこの実を見るとお正月の追い羽根の「カーンカーン」という音が懐かしいです。
漆の実

漆の実がいっぱありました。漆の実(はぜの実)からは木蝋がとれ和蝋燭の材料になりました。だから会津藩で「ははぜの実」を藩外に持ち出すことを禁じていました。幼い頃祖父から「はぜの実を80里越えの峠を越えて越後に持ち出そうとして捕まり厳罰に処せられた人」の話を聞いて怖いなと思っていました。
今はそんなことを知っている人はあまりいません。漆の実がたわわに実っていました。

山を下りると栗の実「イガ」がこんなに大きくなっていました。今は誰も見向きもしませんけど、子供の頃の秋の山はおいしいものがたくさん実る宝の山でした。
栗・アケビ・はしばみ・やず・川原グミ・こくわ・いろんなきのこ・・幼い私ははけごを腰に山を飛び回っていました。家で勉強などした記憶はありません。栗やきのこをいっぱい採ってきて母にほめられるのが嬉しい思い出でした。
時代は変わりましたが、山生まれの私です。山にはいろんな楽しい思い出がいっぱいあって心がうるむ2時間の山歩きでした。