仕事先から戻ってテレビをつけたら、
秋田県の小学校1年生殺人事件の容疑者の写真がうつった。
「容疑者の心の闇」を知るためと称して、高校の卒業文集が紹介されていた。
ひどかった。
彼女に対する寄せ書きには、
「あったら殺す」「二度と戻ってくるな」「永久追放」「秋田には帰ってくるな」・・・。
アンケートでは、
「仕事をすぐに辞めそうな人」第一位
「はやく墓場に入りそうな人」第一位
どうして、こんなものが「卒業文集」として印刷され後に残ってしまうのだろう。
何のための卒業文集なんだろう。
何年かたって、この文集を開き、こうしたページを見るとき、
(彼女は決して開かないと思うけど)
他の人たちは、幸せな思い出に浸れるのだろうか。
懐かしさに胸が一杯になるのだろうか。
彼女が、殺人の容疑者として浮かんだ事を、
「それ見ろ!」と笑ってまた文集を開くのだろうか。
子供は子供だ。
人生の経験を積んでいない分、ものの見方が狭いし、すぐに周りに迎合する。
その子供達に、社会で積んで来た色んな経験から、違う見方を提示して、
物の見方を広げ、自分なりの筋を持つ事を教えていくのが、大人の役割なんじゃないのかな。
こんな卒業文集を作らせて印刷を許した先生も、
子どもが持ち帰ってきた文集を問題とも思わなかった親も、
そして、今はきっと大人になって、少しは経験を摘み成長した彼女の同級生達も、
自分たちのした事は「とてつもなく恥ずかしいこと」なんだと思っていて欲しい。
間違っても、
「ほうら見ろ!」とは思うような情けない人間ではあってほしくないなぁ。
秋田県の小学校1年生殺人事件の容疑者の写真がうつった。
「容疑者の心の闇」を知るためと称して、高校の卒業文集が紹介されていた。
ひどかった。
彼女に対する寄せ書きには、
「あったら殺す」「二度と戻ってくるな」「永久追放」「秋田には帰ってくるな」・・・。
アンケートでは、
「仕事をすぐに辞めそうな人」第一位
「はやく墓場に入りそうな人」第一位
どうして、こんなものが「卒業文集」として印刷され後に残ってしまうのだろう。
何のための卒業文集なんだろう。
何年かたって、この文集を開き、こうしたページを見るとき、
(彼女は決して開かないと思うけど)
他の人たちは、幸せな思い出に浸れるのだろうか。
懐かしさに胸が一杯になるのだろうか。
彼女が、殺人の容疑者として浮かんだ事を、
「それ見ろ!」と笑ってまた文集を開くのだろうか。
子供は子供だ。
人生の経験を積んでいない分、ものの見方が狭いし、すぐに周りに迎合する。
その子供達に、社会で積んで来た色んな経験から、違う見方を提示して、
物の見方を広げ、自分なりの筋を持つ事を教えていくのが、大人の役割なんじゃないのかな。
こんな卒業文集を作らせて印刷を許した先生も、
子どもが持ち帰ってきた文集を問題とも思わなかった親も、
そして、今はきっと大人になって、少しは経験を摘み成長した彼女の同級生達も、
自分たちのした事は「とてつもなく恥ずかしいこと」なんだと思っていて欲しい。
間違っても、
「ほうら見ろ!」とは思うような情けない人間ではあってほしくないなぁ。
それは、その時の大人が、ひどすぎますね。
でも、そういう話、けっこう、周りにあるみたいなんですよね。。。(溜息)
自殺に追い込まれた、ある生徒の記事でも、そういうこともありましたし・・・
そこまでひどくなくても、実は、私の小学校の文集で、ある子が、万引きをしたことを書いた作文が、載っていました。
その子は、おそらく低学年時のことだったので、
「近所のお兄ちゃんに ひどく怖い顔で『○○をとってこい。』と言われたから 盗った。怖かった。」
って書いていましたが・・・
それって・・・大きくなってから読み返したら、どうなのよ?
って、子供ながらに思っていたりしました。
(そう感じたのは 私だけだったのでしょうかね?)
話は戻って、そんな 人を中傷する記事(よせがき)を黙認した大人たちは一番、ひどい。そんな大人たちに育てられた子供たちも可哀想。
弱い部分を持った子って、そういう目にあいやすいんですよね。悲しいことに子供は『寛容』になれない。自分と同じレベルで見てしまう。で、親自身もちょっとしたことでいちいち周りと比べたり、子供を馬鹿にしたり、できないことで怒ったりするから・・・。もちろん子供も悪いけど、周りの大人の責任もあると思います。
それにしても先生はいったい何をやっていたのか?容疑者の親は何も抗議しなかったのか!?そんな扱われ方じゃ心が曲がってしまうの仕方ないんじゃないの?
なんだか悲しいですね。
この容疑者については、少し前に
「人柄が変ったのは小学校時代」
という話も、どこかで紹介されていました。
当時の同級生の話として、
その頃の担任が給食を残す事を許さず、
残した子は掌に残り物を乗せられ、食べるまでそのままにされた。
彼女はそれを机に隠したが、生ものだからそのうちに匂ってくる。
「臭い」「汚い」・・・
で、周りから苛められるようになり、
暗いいじけた子供になっていった。
というもの。
こちらは、「伝聞」なので本当かどうかわからないけれど、聞いたときには、やはり「ひどい話」って思ったわ。
私もそうだったけれど、集団の中に溶け込んでしまえない子はいる。
「いやなやつ」「むかつくやつ」「きもちわるいやつ」
いるでしょう、確かに。
「近づきたくない」という気持ちを、おかしいとも悪い事とも思わないです。
でもね、周りを巻き込んで皆で無視したり苛めたりするのは、話しが別だわ。それは、おかしな事です。
自分の子どもや自分の生徒が、路上でパンツを降ろしたら止めるでしょ。
「皆やってるから」「本人達が楽しんでるんだから」って、知らん顔はしていられない。
同じように、おかしな事は止めなくちゃ。
そういう感覚、今の大人世代はなんだかとても薄いですね。
教師も一緒になって,ひどい事を書いたなんていう事もありましたっけ。
日々投げつけられる「言葉」も確かにきついですけれど、
自分の辛かった日々が、そうして「形」として残されるという事がどういう気持ちを呼ぶものなのか、
せめて「教師」という職業の人には、
しっかり考えていただきたいと思います。
「万引き」の件も、配慮は足りない気がしますね。
教師としては「正直でいい作文」という気持ちなのでしょうが、「作文」の良し悪しをみるよりも、その子と周囲にどれだけのサポートをしてあげたかが大事じゃないかしら。
今回の卒業文集でも、
「じゃぁ、教師が無理に止めさせたら、それでいいのか?
それは、子ども達の自主的な行動を止めて、反感しかかわないぞ」という意見を持つ方もいると思うんです。
そうじゃなくて、子ども達が自ら、
「こういうことは、おかしいことで、するべきではない」
「自分たちの3年間を記録するものとして、そういう事を書くべきではない。」
と、せめてそこまでは気付くようにしないと。
それは、教師だけではなく、周囲の大人全体の責任だとも思うんですけどね.
食べなくちゃいけないのに、どうしても食べられなかった。隠したり捨てたりしたときの、切羽詰った気持ち。そのときの後ろめたい気持ちは、今でも忘れられるものじゃない。それをいじめの材料にされたら、辛いなあ。
容疑者のやったことは許されることではないけれど、
でも、そのときどんな気持ちだったろうと思うと複雑です。
私も今朝、この寄せ書きをテレビで見ました。
ひど過ぎます。
子供達もさることながら、周りの大人、特に教師はそれをそのまま印刷にかけたことに関して、憤りを抑えられません。
活字として残る事。書いた人たちも恥を知るべきです。
高校生の書く事とは思えません。
ほんとに悲しくなります。
彼女は取り返しの付かない事をしてしまい、それに同情は出来ませんが、もっと周りの大人達も考えなければいけないと思います。
思いやりの欠如なのかな?
「優しさ」や「思いやり」という言葉よりも、
「損」か「得」かという言葉で、考えてしまうんです。
(性格の悪さが出てる?)
自分が苦手な相手だからといって、他の人間を巻き込んで意地悪をする人間に、他の子達は本当の信頼を寄せるでしょうか?
今回の寄せ書きだって、例えば恋人に見られたとしたら、
「こんなにひどい言葉を使う人間なんだ」って、心醒められたりしないでしょうか。
心醒めずにいる人間もいるでしょうけど、それはそれでねぇ、あんまりお付き合いしたい人間じゃないよねぇ・・。
自分と違うタイプ、自分が苦手なタイプの人間は、自分とは違う興味や人脈を持つ可能性のある人間だという事でしょ。
ただ距離をとっていたという関係なら、いつかその人の人脈や知識を自分の役に立てる事も出来るかも知れない。
子供の時には「キモ」くっても、成長した暁には、いい男、いい女になっているかもしれない。
そういう、自分のチャンスを広げる可能性を自分からぶっちぎっていくのも、知恵のない話だと思うんです。
それに、今回の容疑者だけではなくてね、
もともと「弱さ」をもっていた人間(大概の人間は、どこかに弱みを持っています)が、追い詰められて反社会的な行動をするというのは、結構よくある話です。
小、中学校の時のいじめがPTSDになって、成人してから仕返しにいき、苛めた先輩の両親を殺したなんていうニュースも最近あったばかりですよね。
自分達の社会を、わざわざ危険なものにするために行動するなんて、それも物凄く「損」な話だと思うんですよ。