んびり娘の横に張り付く私。
毎日の風景ですが、何故ピッタリ横にいなければならないのか。
ただ宿題をする(つまり、『埋める』っていうことです)だけなら、
横にいる必要はないかもしれません。
でも、「どのように考えて、どのように回答を導き出したのか。」
という「経緯」を読み解くのには、彼女の目の動きや手元の動きをみている必要があるんですね。
例えば、英単語の綴りがなかなか覚えられない。
音は出せているのに、つづりとなると入りが悪い。
書く宿題も多いのに、何故か?
と、課題を感じた時、
視写する彼女の目の動きを追うと原因の一つがつかめます。
例えば、yesterday という単語を書き写す時、
彼女の目が、ye、s、te、rd、ay
みたいな間隔で動いていたら、
これはもう、全然言葉(音)の繋がりを考えていないっていうことです。
このやり方だと、何回書き取りをしたって、つづりは頭に入りません。
これが、
yes、ter day という動きだと、
既に記憶している yesとdayの間に、ter(erが伸ばす音だということは入ってます)が入れば良い。
という風に、覚える取っ掛かりができるんですね。
学校の指導も、「声を出して書く」ですし、後者の考え方は丁寧に指導していただいているのですけど、
のんびり娘の脳は「それはそれ」ですので、『写す』となると、前者の動きになっちゃうんですね。
本人は「一生懸命、間違えないように」書いているわけですから、
書きあがったものはちゃんとしているんですから、
自分で『まずい。やり方変えよう』とはなかなか気付かないわけです。
そのため、誰かが止めるまでこのやり方で通してしまう。
こうしたやり方が強化されてしまうんですね。
本人、止められると文句たらたらなんですけど、
何時間も『写す』勉強をした上に、それから改めて『つづりを覚える』勉強なんて、
したくもさせたくもないですから(第一そんな時間なんかない!)、
一度で両方が済むやり方をどうしても身につけてもらいたいんですよ。
それが、習慣になるまでのサポートなわけです。
英作文も同じです。
例題を見て、指示された語を入れ替えるというやり方で彼女は英作文をしようとしますが、
私としてはそれぞれの文章を、基本のルールにのっとって書けるようにしていきたいんです。
基本ルールを近くに書き、それを見ながらやらせたい。
そのことで、近くに例題がなくても文を作る力を獲得させたいから。
わからなくなったときに、戻ってくるべき場所をつくりたいから。
ですが、これもしっかり見ていないと、直前に書いた文章だけを見て、
指示された単語の部分だけを入れ替えるというやり方になってしまうんです。
もうこれで半年も、口を酸っぱくして『主語』と『動詞』に拘らせているのに、
まだ、そちらのやり方が彼女の自然になっていないんでしょうね。
身についてしまえば、お任せできる子(サボらない手を抜かないから)なんですけど、
今は、『違った方向』の刷り込みをしてしまわないよう、やはり横に座っていなければならない時間が
長いです。
数学もそうなんですよ。
昨日は、扇形の面積と体積を、公式を使って求める演習をしたんです。
ノートの一番上に、ふたつの公式を書き込ませて、
それに、数字を入れていけばいいという話しをして、
(この前段階の理解があやふやで時間とられてますけど・・)
そうして、問題を解いていきます。
すると、2問目を解く時には、最初に書いた公式ではなくて、
一つ目にやった自分の書いた式で考えるんですね。
これも目の動きをいていて気がついたんですけど、
上に書いた公式には目がいかないの。
結果としてできてはいます。
でも前の問題でやった式では、r(半径)だのa(中心角)だのという記号が無いんです。
すると、のんびり娘がその記号を意識するチャンスがなくなり、頭に刷り込まれるまでに
余計な時間がかかってしまいます。
そして、このやり方では『柱』になるものが入らないから、ほんの少し問題のタイプが変るだけで
また新たな『例題』が必要になってしまう。
テストでは、公式なんて書いてありません。例題もないでしょう。
何度も元の公式に戻ってみる事で、視覚記憶の強い彼女の脳に
公式も刷り込んでしまいたいのに、このやり方ではちーっとも入らないのですよ。
でも、本人はそういう事に丸きり気付かない。
気付かないのは無理ないですけどね。
ちなみに、彼女がやり方を獲得している学習に関しては放っておきます。
それでなくても乏しい、「家事にかける時間」がなくなっちゃいますからね。
毎日の風景ですが、何故ピッタリ横にいなければならないのか。
ただ宿題をする(つまり、『埋める』っていうことです)だけなら、
横にいる必要はないかもしれません。
でも、「どのように考えて、どのように回答を導き出したのか。」
という「経緯」を読み解くのには、彼女の目の動きや手元の動きをみている必要があるんですね。
例えば、英単語の綴りがなかなか覚えられない。
音は出せているのに、つづりとなると入りが悪い。
書く宿題も多いのに、何故か?
と、課題を感じた時、
視写する彼女の目の動きを追うと原因の一つがつかめます。
例えば、yesterday という単語を書き写す時、
彼女の目が、ye、s、te、rd、ay
みたいな間隔で動いていたら、
これはもう、全然言葉(音)の繋がりを考えていないっていうことです。
このやり方だと、何回書き取りをしたって、つづりは頭に入りません。
これが、
yes、ter day という動きだと、
既に記憶している yesとdayの間に、ter(erが伸ばす音だということは入ってます)が入れば良い。
という風に、覚える取っ掛かりができるんですね。
学校の指導も、「声を出して書く」ですし、後者の考え方は丁寧に指導していただいているのですけど、
のんびり娘の脳は「それはそれ」ですので、『写す』となると、前者の動きになっちゃうんですね。
本人は「一生懸命、間違えないように」書いているわけですから、
書きあがったものはちゃんとしているんですから、
自分で『まずい。やり方変えよう』とはなかなか気付かないわけです。
そのため、誰かが止めるまでこのやり方で通してしまう。
こうしたやり方が強化されてしまうんですね。
本人、止められると文句たらたらなんですけど、
何時間も『写す』勉強をした上に、それから改めて『つづりを覚える』勉強なんて、
したくもさせたくもないですから(第一そんな時間なんかない!)、
一度で両方が済むやり方をどうしても身につけてもらいたいんですよ。
それが、習慣になるまでのサポートなわけです。
英作文も同じです。
例題を見て、指示された語を入れ替えるというやり方で彼女は英作文をしようとしますが、
私としてはそれぞれの文章を、基本のルールにのっとって書けるようにしていきたいんです。
基本ルールを近くに書き、それを見ながらやらせたい。
そのことで、近くに例題がなくても文を作る力を獲得させたいから。
わからなくなったときに、戻ってくるべき場所をつくりたいから。
ですが、これもしっかり見ていないと、直前に書いた文章だけを見て、
指示された単語の部分だけを入れ替えるというやり方になってしまうんです。
もうこれで半年も、口を酸っぱくして『主語』と『動詞』に拘らせているのに、
まだ、そちらのやり方が彼女の自然になっていないんでしょうね。
身についてしまえば、お任せできる子(サボらない手を抜かないから)なんですけど、
今は、『違った方向』の刷り込みをしてしまわないよう、やはり横に座っていなければならない時間が
長いです。
数学もそうなんですよ。
昨日は、扇形の面積と体積を、公式を使って求める演習をしたんです。
ノートの一番上に、ふたつの公式を書き込ませて、
それに、数字を入れていけばいいという話しをして、
(この前段階の理解があやふやで時間とられてますけど・・)
そうして、問題を解いていきます。
すると、2問目を解く時には、最初に書いた公式ではなくて、
一つ目にやった自分の書いた式で考えるんですね。
これも目の動きをいていて気がついたんですけど、
上に書いた公式には目がいかないの。
結果としてできてはいます。
でも前の問題でやった式では、r(半径)だのa(中心角)だのという記号が無いんです。
すると、のんびり娘がその記号を意識するチャンスがなくなり、頭に刷り込まれるまでに
余計な時間がかかってしまいます。
そして、このやり方では『柱』になるものが入らないから、ほんの少し問題のタイプが変るだけで
また新たな『例題』が必要になってしまう。
テストでは、公式なんて書いてありません。例題もないでしょう。
何度も元の公式に戻ってみる事で、視覚記憶の強い彼女の脳に
公式も刷り込んでしまいたいのに、このやり方ではちーっとも入らないのですよ。
でも、本人はそういう事に丸きり気付かない。
気付かないのは無理ないですけどね。
ちなみに、彼女がやり方を獲得している学習に関しては放っておきます。
それでなくても乏しい、「家事にかける時間」がなくなっちゃいますからね。
「お任せできるのならそうしたい!」
それができないと感じているから、やってるんですけど、わかってもらうのは難しいです。
でも、そういう声も、利用の仕方一つだと、年くった私は思えるようになりました。
「親」は、どうしても感情的になりやすいし、手の引きどころが遅れがち。
その辺りを見直すきっかけづくりの一つとして、その手の「外圧」も利用させてもらえればいいかなって、そんな風に思ってます。
これこそが、個人指導だからこそ、個人指導しかできないことですよね。
だれだって、こんな重要なことわかるでしょと
思っていたら、なかなか理解して頂けないのです。
「毎日毎日子供にへばりついて。」とか、「自学自習にもっていかないと。」、「子どものやる気を待って。」
外注すると、挙句の果てに、間違った箇所を消されたプリントがもどってくる。
家でまた親がひっついてやりなおしです。
あ~、悪循環。
キオークマン。懐かしい響きですね。
購入を検討した事、実はあります。
のんびり娘にも、目で見るだけではなくて声に出すとそれが耳に入る。だから「見る」「言う」「聞く」の脳が3つ同時に刺激されるからお得だよ。
ということは言い続けているんですけど、
気がつくと、「書く」ことにだけ夢中になっちゃうんですね。
キオークマンのような器具を使ったら、「声を出す」ことを、忘れないようになるかもしれませんね。
あと、のんびり娘は耳からの記憶は良いんですが、
それを文字と結び付けられないところがあるんです。
この辺りが今英語で苦しんでいる元になってます。
やっぱり同じですか。
うちはもう中学生なので、
『何のためにするの?』という事を確認してからやるんですけど、それでもどうしても「それはそれ」になってしまうんですね。
彼女、自信のない字を書くときには、特に目が机によるんです。私は、それも関係しているような気がして、このところは、
「机から離れて。もう少し遠くから全体を見て。」
という声かけを繰り返してるんです。
たぶん、焦点が本当に限られた範囲にしかあてられないんでしょうね。
字の画がどうなっているかとか、そういう所に意識が集中していて、単語全体とか、文章全体にまでなかなか意識が広がらないような感じを受けます。
普段の行動もそうなんですけど、こういう「焦点範囲」みたいなのと、脳の中身とも関連しているように思われませんか?
たぶん、ぜったい、確実に知っているとは思ったのですが、、、。
スピードは違えど、根っこは一緒ですね
力の配分っていうんでしょうか、集中の配分っていうのか
そのあたりが破壊魔もかなり弱いです
(全く同じことですが、ひらがなの単語の書き写しレベルにようやく…の段階です(^^;)
こちらは多くは、耳慣れぬ、(もしくわ書き慣れぬ)ことが要因で、何回も繰り返していくうちに定着していくのですが
横で張り付いていて今、どんなレベルの間違いをしたのかは一発で…はわからないですね~
わかっちゃうなんてさすがsei先生だなぁ(憧)