この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
和田は深瀬山南麓の山地に位置し、津和野川が大きく南に屈曲している河岸段丘に集落
を形成する。1875(明治8)年麓耕村と合併して耕田村になる。
直地(ただち)は、津和野川流域の青野山の北麓に位置し、東に地倉山、西に矢立山が聳え
る。(歩行約4.3㎞、🚻なし)
石見横田のバス停から津和野行きバスに乗車するが、山口線の新山口駅行きに時間があ
ったので、青野山駅に近く青野山が見える直地バス停で下車する。
バス停から眺める直地地区は、歩く距離が短そうなので隣地区の和田地区を訪れるが、
唯一の道である国道9号だが歩車分離のない「酷」道であった。ハシモト自動車工業の先
で左手に入ると、この道が津和野奥筋往還道である。
津和野川沿いの道を進むと、正面に東津和野大橋が見えてくるが、右岸側は岩盤までが
深いため、支間90mの曲弦トラスが一部に採用され、高さ32mのコンクリート橋脚が
支える構図は機能美を感じさせる。
東津和野大橋の下にもう1本の架橋。
和田集落の真上を大橋が跨ぐ。
橋下を過ごして西進すると行き止まりだった。橋の架かる津和野バイパスは青野山の安
山岩質の流動堆積土と途中に進入路がなかったため、工事は困難を極め、1959(昭和3
4)年に着手して7年の歳月をかけて完成する。(東津和野大橋の全長は180m)
藩校養老館の掘割に泳ぐ鯉とハナショウブ、町の花ツワブキがデザインされたマンホー
ル蓋。
引き返して耕田バス停への道に入ると、石州瓦が際立つ中に紅一点のトタン屋根家屋。
1889(明治22)年町村制施行により、直地、耕田、滝元、寺田、商人(あきんど)、笹山
の6ヶ村をもって小川村が発足する。昭和の大合併で津和野町と合併して村名が消滅する。
この集落は住家と蔵がセットである。
和田集落から再び国道筋を歩いて直地バス停に戻るが、直地という地名は、古代岩石信
仰の対象とされた地倉権現に関連するという。
銘茶の秀翠園舞台から見る青野山は、お椀を伏せたような形状で青野山火山群の1つで
ある。その麓の麓耕(ろくごう)集落内の棚田畦畔には、4月下旬から5月上旬に1万本株の
ツツジが開花する。秀翠園さんでは茶摘み体験をしながら、ツツジとその上を泳ぐ鯉のぼ
りが堪能できるとのこと。
浄土真宗の了徳寺。
割木が積まれた光景を見かけることが少なくなった。
蔵に鏝絵。
国道から駅に向かう道の左右に小さな集落を形成する。
JR青野山駅は、1961(昭和36)年津和野ー日原間に新設された駅で、単式1面1線
に待合室がある。
麓耕集落から谷筋を眺めて新山口駅行き(16:51)に乗車する。