ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

田布施町の馬島にトンボロ現象と麻里府に国木田独歩

2020年10月25日 | 山口県上関・平生・田布施町

        
                この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
         麻里府は田布施町の南西に位置して瀬戸内海に面し、かって廻船業や塩田で栄えた港町
        である。地名は古くからこの地を麻里府浦と称していたことによるという。
         馬島は麻里府から南の海上1㎞に浮かぶ島で、「馬飼い島」だったことから島名となる。
        (歩行麻里府約2.5㎞、馬島約4.8㎞)

        
         JR徳山駅発の防長バス柳井駅行き1時間5分、馬島渡船場バス停(12:09)で下車するが、
        出航(13:35)まで時間があったので麻里府の旧道を散歩する。

        
         バス停から国道188号を東進して旧道に入る。

        
        
         旧道を進むと長屋門のある住宅。

        
         白壁土塀が並ぶ所の四差路を左折すれば渡船場。

        
        
        
 重厚な構えの塩田家。廻船業だったとされるが詳細は知り得ず。

         
         公民館付近にも白壁の塀が続く。

        
         1891(明治24)年国木田独歩は21歳のとき、東京専門学校(現在の早稲田大学)を退
        学し、家族が住む麻郷村(現田布施町)の吉見家に身を寄せる。
         また麻里府村の浅海家に仮宮し、近くの石崎家にしばしば出かけ、初恋の人・石崎トミ
        に出会う。「酒中日記」(小説集「運命」収録)は、田布施の青春時代の思い出の中から創
        作された馬島を舞台とする作品である。

        
         国道を横断する。

        
         別府(べふ)集落。

        
         1877(明治10)年開校の麻里府小学校は、2015(平成27)年3月をもって閉校とな
        る。

        
         桜川を挟んで小学校の向かい側に住吉神社。

        
         馬島渡船場は尾津漁港の東端にあり、待合所もあって客が猫に餌をやるのか屯(たむろ)
        ている。

        
         馬島と佐合島は自治体が違うが、合理化を図るため「麻里府~馬島~佐合島~佐賀」を
        往復する離島航路である。13時35分に乗船、馬島まで往復320円と格安運賃である。

        
        
         わずか8分の船旅であるので船内でなく、船尾のデッキで潮風を受けながら景色を楽し
        む。

        
         馬島集落が見えてくる。

        
         馬島港にはトイレ付待合所と島の案内板がある。

        
         港から右折して海岸線の広い道を進む。

        
         馬島漁港だが島の人によると、高齢のため漁業する人は少ないとのこと。

        
         2015(平成27)年の国勢調査によると人口は27人。調査から5年経過したが、生活
        条件は厳しい状況に置かれているようだ。

        
         海岸道路から山裾側に入ると1本の路地がある。

        
         門構えのある大きな住宅も空家だそうだ。出会った女性から野菜等は畑で賄えるが、そ
        れ以外は渡船で麻里府に出て、バスで隣町の平生で買い求める。帰りの重たい荷物は重労
        働だし、無医島で病気も心配だが、住み慣れた地が都であると笑顔で話してくれたのが印
        象的だった。

        
         路地を進むと馬島八幡宮の参道に出る。

        
        
         参道周囲は竹林化しているが、想像に反して倒竹もなく管理されているが、秋祭りと関
        係しているのだろうか。

        
         島にはこの神社と恵比須神社があるそうだが、恵比寿さんは見つけ出すことができなか
        った。八幡宮は山城国から勧請したと伝えられるが、詳細は知り得なかった。

        
         八幡宮参道より寿命寺跡の道は、竹の繁茂で廃道化していた。海岸道路に戻ると猫がお
        供してくれる。(八幡宮への道標あり)

        
         1889(明治22)年麻里府小学校馬島分校として開校したが、1964(昭和39)年頃に
        廃校となったようだ。
         校舎は個人の家となって現存するが、民地のためこの地点からの撮影となる。(庇の奥に
        校舎の窓が見える)

        
         渡船場まで戻って南へ向かう。

        
         小山(島)の対岸に風力発電用風車が建つ大星山。

        
         岬の先にも民家が連なるが空家も目立つ。 

        
         くるまえび養殖場跡はアサリ養殖池となったようだ。

        
         「のんびらんど・うましま」と刎(はね)島分岐。

        
         海水浴場とされる地は波穏やかだ。

        
         刎島は馬島の南側にある無人島だが、干潮になると陸続きになって渡ることができる。

        
         のんびらんど・うましまはキャンプ場として整備された施設で、テントサイト、キャビ
        ンなどがある。

        
         要害山への登山道(遊歩道)も整備され、登山靴でなくても登山可能である。

        
         島内で最も高い要害山(標高110m)への道は、倒木もなく途中にはベンチも設置され
        ている。

        
         山頂から近くの島々を一望することができる。山名のとおり昔はのろし場だったとか、
        見張り場であったともいわれているが詳細は不明のようだ。

        
         刎島と陸続きになるトンボロ現象が見られる。右下の標柱は墓地。

        
         手前に標高65mの大塩山があって、刎島、佐合島、上関町の長島、左手には半島上に
        皇座山が聳える。

        
         正面に牛島(うしま)と奥に祝島。残念ながら北面は樹木が邪魔をして展望を得ることがで
        きない。

        
         馬島港に戻って16時10分に乗船。渡船場バス停(16:41)からJR柳井駅に出る。
      


この記事についてブログを書く
« 周南市土井は鹿野街道筋に古... | トップ | 周南市福川は旧山陽道の宿場... »