この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 令元情複 第546号)
大島は徳山湾と笠戸湾に挟まれた大島半島部に位置し、中央に太華山があり、集落は笠
戸湾に面して形成されている。
粭島(すくもじま)は徳山湾の湾口に位置し、ほぼ三角形をなす島だが橋で大島半島とつな
がっている。(歩行約7㎞)
JR徳山駅から防長バス粭島行き35分、本浦バス停(13:41)で下車する。
恵比寿社と思われる祠には、明治36年(1903)と刻まれている。
徳山方向に戻って旧道に入る。
大島集落には新しい住宅が並ぶ。
漁村集落特有の細い道が海へ向かう。
地元の女性数人にお尋ねしたが、「権現さん」という返答のみだった。
約500mで県道粭島櫛ケ浜停車場線に合わす。
庄ノ浦に入ると日本精蝋(せいろう)徳山(庄ノ浦)工場。
日本精蝋は南満州鉄道の子会社として発足する。ワックスの製造過程で得られる重油を
海軍に供給してきたが、戦後は日本で唯一のワックス専門メーカーとなる。(道に沿ってタ
ンク群が並ぶ)
西の森地区付近から進行方向に粭島。
フグ延縄漁発祥の地される粭島。そのフグ2匹がデザインされたマンホール蓋。
日本精蝋開発研究センターは歴史を感じさせる煉瓦造。
1916(大正5)年に鈴木商店は日本金属㈱彦島精錬所を設立し、亜鉛鉱を徳山で焙焼し
たが、ガスによる公害の発生を避けるため人里離れた場所で生産が行われた。1928(昭
和3)年鈴木商店が倒産すると事業は三井鉱山に譲渡される。
大煙突が最短で見える位置は鼓南(こなん)小中学校とのことで、打上集落から山道に沿う
とグランドが見えてくる。
中学校の先生から煙突は煉瓦造りで、ヒビが入っているように見えるが、煉瓦が剥がれ
た痕跡と教えていただく。
1935(昭和10)年に完成した小瀬戸橋により半島と粭島がつながる。
粭島側より見上げると煉瓦造煙突がもう1本ある。
フグの延縄漁法発祥の地として入口にモニュメントが建立されている。延縄漁法とはフ
グの鋭い前歯に釣り針を取られていたが、1877(明治10)年頃に高松伊予作が糸を切ら
れないような方法を考案したとされ、さらに改良された漁具として県内外に伝授された。
海岸通り。
通りには珍しい煉瓦造の倉庫。
漁師から海の神として信仰されている龍神さん。
2012(平成24)年に閉校した粭島小学校は、洋風の木造校舎は島の象徴として残され
ている。
海岸線に沿う新道には、一段高い歩道が設けてあるが、「海を渡る神輿」で有名な貴船
神社の夏祭りを見学できる場所でもある。
貴船神社の手前に土曜日昼のみ営業のホーランエー食堂がある。入口には「手打ち蕎麦、
40杯が精一杯です。」と貼紙がしてあるが、平日は他に仕事をお持ちだとか。
貴布祢神社の創建年は不明だが、18世紀の初め頃に2祭神を祀ったと伝えられ、また、
西国の大名が風待ちをしている間、粭島に散在する鎮堂を集めて社を建立し、海上安全を
祈願したとも伝える。
貴船祭は海上安全を祈願して、慶安年間(1648-1651)頃に始まったとされ、神社から御旅
所までの海上500mを神輿が渡る。
神社入口に石丸好助翁の像があるが、1875(明治8)年粭島で廻船業営む家に生まれ、
父親を手伝って約26年間北洋漁業に従事する。帰郷後は太華村長などを務め、島の発展
に貢献したとされる。
神社前から見る小学校付近。
宮の鼻を廻り込むと対岸に大津島が見えてくる。
島を一周することはできず、この先で行き止まり。
ホーランエー食堂の裏側は神社参道。
島民には「高松」「石丸」「末田」姓が多い。(S邸)
細い路地は生活道で、共同井戸もあって赤煉瓦が目立つ。
地形に沿って住宅が建てられており、路地もその間を縫うように設けられている。
傾斜地利用のため山手側は石垣である。
海に通じる階段状の路地が山手に向かう。入口には運搬用の一輪車も用意されている。
門を構える民家で海岸通りに出る。
大東バス停16時7分の最終便に乗車するが、本数が少ないので慌ただしい散歩となる。