ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

宇部市宇部岬・見初‥漁港と寺社巡り

2024年09月06日 | 山口県宇部市

               
               この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製加工したものである。
         宇部岬・見初(みぞめ)は沖宇部にあり、旧長門国の東南端に位置する。隆起海岸の台地が
        見られ、かつては岬から海底にかけて炭鉱があって賑わった地である。(歩行約6.6㎞)

        
        
         JR宇部岬駅は山口県の最南端駅で、1923(大正12)年8月に宇部鉄道の駅として開
        業する。駅舎の建築年代はわからないが、いずれはJR常盤駅のような簡易駅舎になるの
        であろう。

        
         駅の正面に創業100年を超える旅館・福久があり、日帰り温泉も可能とか。

        
         浄土真宗の法泉寺の本寺は、小野村(現宇部市小野)の棯小野にあったが、世の中が移り
        変わり、新川方面の発展により当地へ移住する者が多くなった。1921(大正10)年に出
        張所を開設したが、仮屋で狭隘であったため、1929(昭和4)年に説教所として認可を受
        け、のちに仏堂を建立したとされる。

        
         岬町2丁目界隈の通り。

        
         八王子町の交差点は、八王子児童公園への道を進む。

        
         公園の先から丘に上がれば離陸する旅客機が見える。

        
         反対側の宇部岬漁港は木の生長でよく見えない。

        
         漁船が並ぶ宇部岬漁港。

        
         宇部岬漁港前に蛭子神社。

        
         山口県管理の第2種漁港で、湾内の中央部が出っ張って2手に分かれている。海面近く
        を飛んで着陸する旅客機が見えるようだが、その姿を見ることはできなかった。

        
         明神児童公園脇に住吉神社が鎮座するが、海上守護の神で「見崎明神」とか「水崎明神」
        と呼ばれた。寺社由来は神社の由来を明らかにしていないが、境内の石碑(1879年建立)
        によると、平安期の845(承和12)年に神のお告げにより住吉神を祀ったとある。

        
         本殿階段の右側に大きな「かんかん石」がある。名のとおり叩いてみると、「カンカン」
        と通常の石にはみられない音がする。石には盃状穴(はいじょうけつ)があって魔除け石や古墳
        の蓋石など諸説あるようだ。

        
         もとは海近くにあったようだが、海の埋立てで遠くになったのか、この地に遷座したの
        かは知り得なかった。

        
         1945(昭和20)年4月26日から8月5日まで計8回の空襲を受けて、被害は死者2
        54人、罹災家屋6,243戸と推計されている。
         7月2日の宇部岬から西中町一帯の東部市街地の空襲では、罹災者24,270人余とさ
        れ、宇部空襲最大の空襲であった。罹災した市民は復興への事業に取り組み、約10余年
        の歳月と巨費が投じられた。(区画整備された松山5丁目付近)

        
         浄土真宗の福勝寺は、厚東村にあって住職は華道の大家であった。1925(大正14)
        要望により、この地に出張所を開設したのが始まりという。(昭和町4丁目) 

        
        
         西覚寺(真宗)は、1695(元禄8)年に原村(現宇部市厚南区)に創建されたが、1900
        (明治33)年現在地に移転する。寺というより御殿のようであった。

        
         寺の西側(寺からは行けない)に東見初街区公園があり、中央に四阿があって昼食休憩を
        させてもらう。

        
         松山町4丁目付近の通り。

        
        
         松山町3丁目と4丁目の境に「曹達(ソーダ)の引込線」跡が残されている。美祢市の重
        安駅から原料の石灰石が厚狭駅を経由して宇部岬駅まで輸送された。ここから約1㎞の宇
        部曹達専用線で運び込んでいたが、2009(平成21)年に廃止された。
         宇部曹達工業㈱は、1963(昭和38)年に旧セントラル硝子を吸収合併し、セントラル
        硝子㈱に社名変更する。

        
         常安寺(曹洞宗)は、1929(昭和4)年に熊毛郡勝間よりこの地に移建したという。

        
         松山通り公園を過ごし、虎月堂(こげつどう)のある通りを南下する。1953(昭和28)
        創業の洋菓子店で、甘党の方にとっては最高のお店のようだ。(この先を右折) 

        
         区画整理された町並みだが、この一角だけ斜めに設けられている。

        
         昭和町3丁目にある白亜の塔には、「宇部港東導灯(後灯)・初灯昭和28年(1953)」と
        表示されている。導灯は狭い港への入港進路を示すもので、灯高は19mで光到達距離は
        約13㎞とされる。前灯はセントラル硝子工場内に設置されている。

                           
         コンテナが並んでいるので近所に方にお聞きすると、コンテナ型ホテルで全国チェーン
        とのこと。よく見るとコンテナにはホテルと記載されている。

        
         再び引込線跡を横断する。

        
         幸町界隈。

        
        
         智照院太子堂の位置がわからず、少し右往左往してしまう。セントラル硝子の入口交差
        点をフジグラン方向へ進み、コンビニ先の狭い脇道に入ると案内板がある。
         1927(昭和2)年に京都の仁和寺よりお大師様が移されて創建されたという。本堂と周
        囲には健康にご利益のある地蔵が並んでいる。

        
        
         1958(昭和33)年にオープンした「友恵湯」は市内唯一の銭湯である。汗だくのため
        ひと風呂浴びたかったが、15時30分からの営業となっていた。昭和の時代の雰囲気を
        色濃く残す銭湯は、この地域のコミュニティの場にもなっているのであろう。

        
        
         日蓮宗の圓満寺は、大内氏時代には吉敷郡宮野村にあり、享保年間(1716-1736)に同吉
        敷村に移転する。将来の発展と日蓮宗寺院がないなどの理由で、1918(大正7)年に現在
        地に移転する。
         1945(昭和20)年の宇部空襲の際に堂宇は全焼し、その後再建されたが、往時の遺構
        は堂脇に立つ供養塔のみとのこと。

        
         ケヤキ通りと右手に昭和町公園。1953(昭和28)年戦災復興時に設けられた公園のよ
        うで、通称・ハトポッポ公園と呼ばれているとか。

        
         炭鉱地だった面影はなく寺巡りをしたようで、最後の三徳寺(真宗)も立派で、各真宗寺
        院は競ってか豪華な本堂だったのが印象的である。(商工会議所前バス停からJR宇部新
        川駅)