ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

周防大島の森・平野に星野哲郎・宮本常一記念舘 

2019年11月30日 | 山口県周防大島町

           
        この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 令元情複 第546号)
         森・平野は屋代島の北海岸(内浦)中部の入海東端に位置し、人家は海岸付近に密集し、
        山麓部にも集落が発達し農業地域(みかん栽培)となっている。

         1889(明治22)年町村制の施行により、神浦、和佐、森、平野村が合併し、村名は合
        併時の中心であった森、平野の1字をとって「森野村」とし、1955(昭和30)年油田、
        和田、森野、白木村が合併し、東和町となったが町行政の中心地であった。(歩行約4㎞)


           
         伊保田港バス停から森野小学校バス停で下車し、次のバス時間(16:04)を確認して町図書
        館へ向かう。

           
         星野哲郎記念館や民俗学者・宮本常一記念館があり、歩いた後のバス待ち時間にと思っ
        ていたが、旧森野村役場跡の場所を教えていただいた地元女性との長話で見学することが
        できなかった。

           
         平野は、1974(昭和49)年埋立てによって完成した国道437号線と、その山手側に
        並行して2本の旧道がある。中間の道も埋立てによってできた道だが、
賑やかな時代もあ
        ったと思われるが、今は静かな通りとなっている。

        
         中間の道に郵便局、駐在所、JA、公民館などがあり、学校や図書館、行政機関は海辺
        の埋め立て地に移転している。(村井酒店)

           
         200mほど歩くと片添ヶ浜への道に合わす。

           
         三叉路を左折すると正面に白木山。

           
         3本目の道に入る

           
           
         古くからの道のようで山手側に古民家が点在するが、道沿いは空家と空地が目立つ。

           
         森地区との境にある八坂神社。平野地区民は下田八幡宮の氏子で、八坂神社はその末社
        として位置づけられている。

           
         八坂神社正面には旧小学校校舎が図書館に引き継がれたが、現在は空家のまま放置され
        ている。

           
         1955(昭和30)年合併により東和町が発足すると、森野村役場があった地に町役場が
        置かれた。町名は郡の東部にあって4ヶ村が「和」していくことを祈念したとされる。(
        されているのは旧東和町教育委員会)

           
         反対側には塀に囲まれた大きな民家。

           
         「桜・みかん・鯛・みかんの花」がデザインされた旧東和町のマンホール蓋。

           
         湾と三方を山に挟まれた平野地区。

           
         1696(元禄9)年建立の神山神社の石鳥居は、森集落の有力者であった岡本仁兵衛が寄
        進したとされる。
(周防大島町指定文化財)

           
         伊予国の弓削神社から勧請して森村の神山(こうのやま)に祀ったのが始まりとされるが、
        創建年などは不明とのこと。その大破したので現在地に遷座し、1871(明治4)年現社号
        に改称されたが、五穀豊穣と家内安全の神として崇敬されている。

           
         周防大島はみかんの産地。至る所にみかん畑が広がる。

           
         往古は法寿院・法明院という禅宗が2ヶ所あったが法寿院は断絶し、法明院は神山神社
        の社僧寺として栄えたが衰退する。慶安年間(1648-1651)に再建され、1870(明治3)
        に和佐村の心月院と合併し、寺号を法心寺(曹洞宗)と改めた。

           
           
         森の一部に古民家が残る。

           
         山手の路地歩きを終えて、下車したバス停からJR大畠駅に戻る。


周防大島の情島は山口県最東端の地 

2019年11月30日 | 山口県周防大島町

        
        この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 令元情複 第546号)
         情島(なさけじま)は周防大島町の最東端の瀬戸ヶ鼻から北方750mの海上にあり、島の
        北は広島・山口・愛媛の三県の境界水域である。伊保田港から北東へ3.1㎞の位置にあり、
        1日4往復の町営渡船が就航している。(歩行約2.8㎞)

        
         JR大畠駅(8:58)防長バス周防油宇行き約1時間10分、伊保田港バス停で下車する。

        
         桟橋から目指す情島が見える。

        
         町営の渡船に乗船する。(11:00)

        
         “せと丸”は定員23名の小さな船であるが、何といっても操舵室と客室が一緒なのが
        特徴である。町営のためか運賃は290円と安価で、船長に直接支払うシステムになって
        いる。
        
         今日はシケでデッキに出ることはできないが、釣り客と片道15分の船旅である。島の
        東側に廻り込むと航路から仏の浦集落が見えてくる。

        
         本浦渡船場に到着すると、防波堤は太公望たちにとって釣り場のようで、多くの人たち
        が釣りを楽しんでいる。

        
         桟橋を渡ると本浦集落。

        
         港に祀られている恵比寿さん。

        
         車の通行がないので気ままに歩くことができる。

        
         本浦集落の端にある情島神社。

        
         島の氏神とされる情島神社は、かつて村上水軍の大将であった村上武吉が、1601(慶
          長6)年に創建したと伝えられている。(旧社号は荒神社)

        
         境内から見る本浦の町並み。

        
         さらに進むと本浦集落の目の前に無人島の諸(もろ)島。

        
         1976(昭和51)年7月2日情島沖合で宮崎から広島港に向かうフェリー「ふたば」と、
        パナマ船籍の貨物船が衝突してフェリーは沈没するが、情島の住民の献身的な救助活動に
        より犠牲者の数を最小限に食い止めることができた。
         その海難事故による犠牲者(33名)の慰霊碑が、諸島海峡を望む位置に建てられている。

        
         海岸沿いの道を進む。(前を歩く人は釣り人)

        
         情島小中学校は、1888(明治21)年和田村立油田小学校分教場として創立される。1
        959(昭和34)年には生徒数122名いたそうだが、2006(平成18)年には島にあった
        児童福祉施設「あけのぼ寮」で暮らす子供たちだけとなる。寮が岩国市に移転した201
        7(平成29)年3月に休校となる。「山口県のあけぼのをはじめに仰ぐ東の海~」と大島出
        身の星野哲郎作詞の校歌が、島内に響き渡ることはないのであろうか。

        
         1951(昭和26)年に開設された「あけぼの寮」の感謝碑。

        
         大畑(おばた)集落は無住だそうだ。

        
         伊の浦集落へは峠越えとなる。

        
         下って行くと伊の浦港が見えてくるが、ここも太公望にとってはよい釣り場のようだ。

        
         本浦から海沿いの道を20分ほど歩くと終端の伊の浦集落。

        
         情報によると半分以上が空家だとか‥。

        
         猫の額ほどの狭い空間に十数軒が軒を並べる。

        
        
         愛媛県と広島県に浮かぶ島々を眺めながら本浦に戻る。

        
         右手に「たばこ酒類店」と表示され島唯一の店があったようだ。以前はトップカーで移
        動販売されていたようだが、現在はどのようにされているか詳細不明である。

        
         本浦は島で一番大きな集落だが、島には郵便局もなく港の所にポストが置かれている。

        
         渡船が入出港するので他の集落とは表情に違いをみる。

        
         山の斜面に民家が建ち並び、その間を階段でつないでいる。

        
         会えたのは島民でなく猫たちだけだった。

        
        本浦港。

        
         本浦集落の端には、地域づくりの拠点を担う保健福祉館がある。ここを過ごすとトンネ
        ルが見えてくる。

        
         仏の浦集落はトンネルの先にある。

        
         本浦以外の集落と同様に7~8軒だけのこじんまりした集落。

        
         この島にも悲しい出来事がある。1945(昭和20)年代に島民が戦災孤児などの少年た
        ちを集め、船の舵とりとして児童労働させていたとされる「舵子事件」が問題となった。
         1958(昭和33年)に「怒りの孤島」として映画化されたが、児童虐待したという事実
        と同時に、その引き金となった戦災孤児を生んだ歴史も忘れてはならない。

        
         わずか1時間ちょっとの滞在であったが、多島海の景観を楽しむことができた。最後に
        情島神社を拝んで12時20分の定期船で島を離れる。

        
         伊保田港は防予フェリーが寄港し、本土と四国を結んでいるが、その片隅に町営の渡船
        場がある。(13時13分の大畠駅行きのバスに乗車)