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女性が自由になれば世界平和が達成される。

2015-07-16 | 社会問題
暇人たちは、何時でも何処でも世紀末を信じて、滅亡説をライフワークにし、

またある暇人は「この世界はダメだ」という厭世主義であり、

そのまたある暇人は「もう無理」とする末法思想であるが、そのほとんどが驚いた事に男性である。

どうやら男性は子供を産めない為に「暇人」になってしまうようであり、産むのは女性で喪うのは男性、そんなところか。


哲学の巨匠であるヘーゲルは自由の実現こそが世界の進歩であると断言したが、一つだけ言い忘れた事があるようだ。

世界史は自由の意識の進歩であるから、世界史とは女性の意識の進歩にあると言うことである。

低次の矛盾は高次の段階に移行する事で解決されるように、全体は一部の有機的統一のきっかけとなる。

またヘーゲルの弁証法とは一度対立させて止揚する考えだから、現代の自由を更に発展し批判させるとどうなるか考察してみる。

市民社会とは、そもそも個人は自由に権利と欲求の充足を求め、仕事を通じて相互に依存するものである。

それは対等の契約で結ばれた人倫であり、法律と行政が管理する経済社会であると同意する。

市場では競争原理が科学や生産性を発達させるが、この社会は各人が互いに自己の欲求の為に利用し合う欲望の体系に他ならず、

全体と個人とが分裂した「人倫の喪失状態」でもあるから、国家がするべきことは止揚することである。つまり社会の発展だ。

ただ現代は最高の人倫状態であるはずの国家が事実上機能不全に陥っている。

民主主義国家が資本主義経済に否定され振り回された状態で、その矛盾を止揚するものが何かを問われているのである。

もう既に、一国では解決できない情勢だから、世界国家建設が必要になるのは必然である。

実際、国家が経済によって問題が解決出来ないでいるから、世界中のエリート集団が模索しているのが現状であるが、良いアイデアに恵まれていない。

現代の国際連盟は世界に貢献する機能が疑わしいから、私達は一発で問題を解決する新しい世界観が必要だ。

人々の目を開かせる啓蒙思想が何よりも必要なのである。


私達の社会性の根本には、人間の弱さが隠されている。

2015-07-15 | 社会問題
弱さを忘れた、驕る社会に未来なない。

地球の大事件、人はいつから人間になったのか。

そして人は何処から来て、何処に行くのか。

そのカギは「自立」にある。怠け者にはようはない。

私達の社会は連続的である以上、自己保存、自己防衛を忘れた社会は力が弱くなるように、

毎日の生活は大昔から自然環境への挑戦と民族同士の応戦の中の連続にある。

従って歴史を忘れた民族には夢や希望が無く、未来もないと言う事になる。

ヘーゲルはこう言っている。

「歴史と人生はやり直しの連続である」と。

ヘーゲル哲学の核心は、歴史とは精神が自己を意識していく過程だというところにある。

我々人類は人間関係の修復を求めているのだ。


歴史には二面性があるように、人の行く裏にこそ華の山へ続く道がある。

血が流れることが歴史の片面であるなら、もう一方の裏に書かれている事実は女性の歴史なのである。

その歴史を紐解いて見れば判るように、「女性の活躍が消された」「女性の犠牲史」であるように、まさに歴史を忘れた女性に人類の未来はない。

私達はこの歴史の事実を無意識ながらに受け止めては本能的に応用し、豊かな社会の実現を可能にしているのであるのだが、実際はそう上手く行っていない。

歴史物語とは両極端な振り子の様に理知と情緒を揺れ動きながら、しかし前にしか進めない不器用で崇高な魅力を持つものであり、事実は良ければ良いほど悪く、悪いと思うことが良くもなっている。

私達がわくわくする望ましい姿とは、女性たちが女性たちの手によって共存社会を発展させていくその過程こそが「正義」の渇望にあると考える。

男性が創造者であるならば、女性は守護者である。きっと創造主も喜ばれるに違いない。

未来はどっちだ。間違っても血が流れる方であってはならない。力による支配関係にはもううんざりだ。


第三次世界大戦は父権的なのか、母権的か、それとも・・・。

2015-07-14 | 社会問題
日々、私達の日常的な生活習慣である「道徳的な生き方」には、おのずと限界があるように、

第一次、第二次世界大戦がまき散らした民族同士の敵対と言う道徳観念の限界は、「女」によってブレイクスルーされるものである。

「女」によって世界の固定観念をチェンジ出来るのなら、男女にとって最高の突破だ。

なぜかと言うと、世界大戦の根底には、労働搾取とプロレタリアートとの対立が引き起こした戦争であり、

市民の解放が労働者解放運動に繋がり、民族の解放が民主主義へと発展した事実だからだ。

問題なのは、その解放運動に道徳的手段である思想や理想がなく、ただ行動と必要があるだけである。

確かに、必要は「生みの母」だが、その肝心な「母権制」が忘れ去られているのである。

事実、現実の男社会には限界があるが、愛と思想の世界は無限で、道徳観念は必要不可欠な要素であるが、

そこに夢やロマンが無ければ、誰も受け継いではくれないように、道徳は手段であって目的ではなく、こそに共感が必要になる。

なるほど、確かに共感が持てる女性社会では共存社会が生まれてくるし、それは聡明感があって可憐、感謝の世界だと思われるから、これはいける。

世界統一が道徳家の主観的判断だけではなく、人間性の客観的法則の上に樹立させるように、男たちは主観的な理由による、客観的な正当性との上に樹立させるべきである。

つまり、ただの支配主義では道徳違反であり、犠牲による破滅への代価となりかねない。

安心と安全を望む社会にとって道徳の象徴化の主張は間違いなく善いおこないであるし、

不安と苦痛から回避する方法として道徳を説くのは大切だが、現実には、そう上手くいっていない。

人間には生まれつき「良心」が備わっていて、創造主が何よりも合理的なのだから奇跡を信じる前に、天分よりも経験値のほうが重要となる。

したがって正しさ、あるいは正しいと考えられているものが「力」によって実在するよりも共感の方が正しさが優先される。

ゆえに、男女との共存共生に訴えかける方法が真理について利用できるという意味では、第一に有用なものであるように思えるし、男女関係の自尊心も満たされるのである。

実際、男社会が誤った行動を取るのは女性や道徳を忘れたからではなく、欲望が強すぎるからでもない。良心が弱いからである。

強い衝動と弱い良心とのあいだには何の自然的なつながりは無い。自然的な繋がりはむしろ逆である。

多くの男性による迷惑行為は無くならないかもしれないが、より確実に多くの女性たちの活躍する場が認められてそこに集中する事が第三次世界大戦からの脱却となる。

女性が社会を平和にするのは何よりもその人物の体質によるものであり、生まれ持った考え方であり、自己の規制が道徳の使命ならば、欲望の節制が未来に命じられた使命である。

男性社会にはおのずと限界があるから、女性社会と偶然とは理由なきものではなくして、原因と結果に導かれた意図である。

私達、現代人はグリーンでクリーンな生き様を選択しなければ、子供達や孫は我々の世代を決して許してはくれないだろう。


救世主のテーゼ。

2015-07-13 | 社会問題
救世主を定義すればこうなる。

「救世主とは、より多くの救世主を生み出した者が救世主である」と。

従って、釈迦にせよ、モーゼにせよ、イエスにせよ、ムハンマドにせよ、沢山の預言者を生み出しているのだから、まぎれもなく救世主と言える。

しかし、疑問が残る。宗教戦争はどう説明するのかと。

仮に、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がこの世界に存在していなかったら、恐らく今以上に辛く過酷で悲劇的な「ああ無情」が待ち受けていたに違いない。

なぜなら、戦争指導者は女性ではなく、まして神でもなければ聖戦でもなく、それどころか、「思い込み」による「思い違い」の無知が原因だからだ。

従って私達に必要なのは「救世主」であり、その救世主に必要なものはその目的論的論証である。

アリストテレスが生きていたらきっとこう言うだろう。

「世界統一にとって一番相応しい人間とは、この世界を誰よりも上手に楽しめる者のことであり、力の強い者が支配によって制覇するのでもなければ、怠惰な臆病者でもない。それは世界統一を果たした時に全ての民に幸福を分け与えられる者のことである。つまり自らが世界を所有しない者である」と。

そう考えると、世界統一は個人プレーであってはならない。「チーム地球人」とはやはり団体戦だと考えられるから、協調性が備わっている女性が望ましいと思われる。

実際、人間の大権利である自己保存でさえ、3回繰り返せば、憎しみや怒りが込み上げてくる現実の中で、私のやり方とか、あなたのやり方という手段ではなく、やはり人類には何らかの明確なビジョンの協調が必須であり、国家も同様に、今までかみ合わなかったものも、より話し合えるようになるのではなかろうか。

自分の事しか考えられないと人生に価値が認められないように、リーダーが自分の事しか考えなければこの世は悲惨だ。

反対に私達の目指す目的が同じ時、我々はさらに進歩し、レベルが上がる。共通の敵?を探さなくても共存共栄は可能である。ビジョンがそれを信じさせてくれるからだ。ビジョンの良いところは、それは必ず達成することにある。


世界の心配事は人類の共通の問題であると同時に、個人が解決するカルマでもあって、心配事に目を奪われて、大切なビジョンを置き去りにしているのではなかろうか。

問題や心配事とは一度表面化して軽く見えてしまえば消えて無くなるように、現代は一度立ち止まって問い直してみると楽になる。

逆に問い直されない妄想や思い込みの強さほど酷なものはない。

人類の問題とはいったいどこから生まれてくるのだろうか?

また、現代の救世主はいつ現れるのだろうか。


「世界統一」のビジョンを掲げれば小さな問題は消えてなくなる。

2015-07-12 | 社会問題
我々、人類には目的が欠けている。それも大いなる目的だ。

世界中の人々が沸き立つ様な、世界中が一致団結するような明確な目標が存在しない。

目標が不明確ならビジネス同様、上手く行くはずがないにも拘わらずに、それがない。

私達は自己欲求に忙しすぎて共同体と自己との間にある物語を忘れている。
私達は怠け心にうつつを抜かして人間としての使命を知らぬうちに忘れている。

綺麗事を掲げるつもりはない。
選ばれた生命体として、地球の守護者に相応しい、わくわくするような時代を超越する美しいビジョンが何よりも必要だ。

実際、世界中の優れた人達は燃えるような人類の目的に飢えている。

新しい指導者による刺激的でダイナミックな思想や哲学による生活習慣の変革を待ちわびている。リーダー待ちの状態だ。

男性たちが度肝を抜き、女性たちが活気づくような、「21世紀はここにあり」と言える目的が必要であることを私達は薄々気づいているのである。

覇気のない平凡な暮らしの中で、何時しか人類は戦争でしか気を紛らわす事しか出来なくなっているのが現状なのだ。

いい加減、同じ歴史の繰り返しでは、多くの知的生命体には、そろそろ飽き飽きしているのが現状だ。


私が宇宙の視点に立って思う事は、女性社会とは優れた男性社会であるとも思わるれのです。
それは生きる権利を与えられた、少しプライドが高い選び抜かれた種族である。
未だ人類は地球の「支配者」としては未熟だが、この星を愛する「守護者」としては一人前であり、
人と神との共同事業による霊的な芸術作品が「地球」であり、何より象徴的なのは、神と男と女との三位一体であるようにも見えるからだ。

もしも宇宙人がやってきて、アンドロメダ星雲が男性社会だったら、我々地球人の方が勝っていると言えるかもしれない・・・・・・・・。

「行き止まり」の男性社会がもたらすものとは、女性がこの世にバランスを創り出すグレートマザー的存在であり、他に人類の未来が見えない。

誰だって迷子になれば初心に戻り、家に帰るように、男性社会が混乱すれば女性社会が中庸だ。

極端に行き過ぎた現代人にとっての処方箋は、女性がその中庸をもたらす女性たちの手の中にある。

何事も適度な共存社会がこの世にバランスをもたらしている真実であるからだ。



人類みな兄弟思想は母性的原理。

2015-07-11 | 社会問題
私達が幸せであるには、自らが幸福であるだけでは十分ではない。他人が不幸でなければならない。

私達の心は自らの欲求が他人の不幸を食い物にしているのである。

他人の不幸を量産するほどに、幸福感は日々に増すのだ。

1人の幸せが9人の不幸を呼び、私達の薬であるはずのものが、いつしか社会の毒になる。

未だ、不完全な人間社会と未熟な支配関係とでは、男性社会は世界に於いて必ずしも良いものではないと言える。だから争いが絶えない。必要悪と言う言葉が正義になる。

実際、男性社会が行っていることを分析すれば解るように、我々は戦わなければいられない性分だが、それが善意であるのか悪意であるのかも定まらないまま、判断を誤り、問題を複雑にしては、後悔するのが私達の「悲しい性」であるのは誰もが理解しているにも関わらずに、不本意にも同じ過ちを繰り返しては上手く誤魔化し、自己中心的で自己保存の争いが毎日テレビに鮮明に映し出され、それをあたかも人間の権利であるかのような態度で大手を振って、無理やり自己を正当化しては、善人を装い、自信の無さを隠すかのように、見栄を張って生きているのが我々だ。

ひょっとしたら私達は無意識の内に陰謀家になっているかもしれない。

だから男性社会には、ほんのちょっとした戦争状態を用意する必要があるのだと・・・。

それは男性特有に備わった隷属である以上、使わなければ一層過激な方向に走る危険性が含まれており、不満や規則正しい生活は争いの種が育つものであると認識しなければ、ISは決して他人事ではない気がしてしょうがない。

自分の周りを見渡せば、乱暴者や陰謀者がいつも影に潜んでいるように、それが事実だ。


現在において悪意や不正は、それ自体では悪とは呼ばれずに、発覚して初めて悪と言う現象になる。

それは混乱を引き起こしては解決する戦争指導者のように、今やありきたりの正当性や正義だけでは国民は誰も振り向きもしなければ、承認もしないし、魅力がない。

黒と白の正しさが、万能で曖昧な「グレー」一色では、何か汚いものでも隠しているかのように見て取れる。

当たり前だが、男性社会も同様、オスの本能や自然の摂理である因果律に従わなければならないが、だからと言って力の無い者には制裁と支配を加えるか、さもなくば、見て見ないふりを続けるかのどちらかにしても、その結果は、厳粛に受け止めるしかない。犠牲になるのは決まって良心的な生活者である女性たちとその子供達だからである。

それに反して、母性的原理とは、生命と統一と平和にある。

母性本能は、幼児を世話しつつ、自らの愛を、自分自身を超えて他の人に拡げ、そして他の人達を保護し美化する為に、あらゆる才能、想像力を傾ける。

女性社会の原理は全て包括し抱擁する原理であり、家父長制システムが制限性の体系であるのと対照的である。

人類が全て兄弟姉妹であると言う表象は、母性の原理に根ざしたものであり、父権制社会の発達によってそれは消滅する。

女性社会とは、普遍的な自由および平等の原理の基礎であり、平和と愛の人間性との原理の基礎であると共に、物理的福祉と現世的幸福に対する周到な配慮の基礎であると言えるのです。



一度、全てを疑え。

2015-07-10 | 社会問題
世界は男性崇拝の木の上に立つ、禁断の果実によって創出している。

世界は男性社会と女性社会と・・・、分れていない。

世界は女性社会でしか見えない新しい世界観が存在する。

私達の悪意と呼ばれているその多くは善意によって誘導されて行く。
悪意であるように、思われたものでも気付けば、それが社会の発展に大きく役立つことがある。

事実、私達の動機は純粋とは言い難いものがある。
善意で始まり、善意で終わることは稀にしか存在しない。

全てを疑うならば、当たり前に存在する、男性社会が一番の問題なのかもしれない。

なぜなら、人類の記録を見れば判るように、歴史は男性社会の片側しか描かれておらず、
もう一方である過半数の女性たちには気にも掛けていないからである。

もし仮に歴史が女性に手によって描かれていたなら、戦争や闘いの歴史よりもむしろ違った歴史になるに違いなく、
また、歴史が「女性」よりも「力」を優先するならば、社会は安易な者たちの手によって築かれて行く現実となり、そして何より見境ないのは、醜さと、苦しさと、汚らしさである。


実際、女性も男性同様に素晴らしい労働者で、その労働秩序や社会の限界には女性が貢献し、一つの礎であり、自然な姿でもある。

男性はこの過半数の女性たちに支えられた人たちの配慮と援助が報酬へと繋がっている事実である。


私達の毎日の生活は、なぜだか解らないが、楽しい事ばかり続かない。

楽しい事を引き延ばすには苦痛を道づれにしなければならない。

悩みや苦しみがそれ自体、無くなることは一瞬でしかなく、そのほとんどが仏陀やストア派の言う様に「一切皆苦」である。
さしずめ、この世は地獄さながらの楽園かもしれない。

それでも女性たちは、どんな無常な仕打ちにあっても、怒りや憎しみを上手にコントロールしながら、
綺麗事では生きられないこの厳しい環境に適応している健気な善者であると言えるのです。

まして、女性たちは国家や社会の脅威にはならない。むしろ国家と依存し合いながら、共存している。

安全で安心な社会に従事する強い意志を持つ者たちである。それは社会にとって必要不可欠な存在であると断言できる。

なぜなら、女性たちはこの国に愛着を感じ、文化を担い、国家の繁栄に手を貸し、社会福祉に大きく貢献して来た事実であるからだ。

実際、女性が国家を転覆させた事実など一度たりとも記載されていないように、
日本人の重要な情緒による人間関係や生活習慣にも、女性たちの協力が必要なのである。

そしてなにより、時の権力者たちはこの女性たちの活用者であると同時に、
出来の悪い指導者たちを支えている女性たちとの共存者なのである。

つづく。


民族闘争の原因は男性社会にあり、女性にはない。

2015-07-09 | 社会問題
世界で起きる出来事の80%は必然で必要の因果関係にある。

だから、これまでの男性社会は必然で必要だとしても問題はこの先どうなるかだ。

世界統一を果たすには男女の統一が何よりも必要不可欠であるように、

そう考えると、急に世界統一を達成する必要がどこにあるのだろうか、と思いたくもなるが、

問題はそこで、世界統一後に平和が訪れて闘争が出来なくなることを恐れているところに問題がある。

2,000年続いた争いと言う名の社会現象のほとんどは、男性社会がもたらした原因と結果の集大成だからだ。

男性の心理にせよ、女性の心理にせよ、お互いを考慮しないかぎり、いずれも理解する事は不可能であるが、

だからと言っていつまでも男性崇拝を続けていたのでは、人類の精神年齢は未だ大人に達していない未成年だと言わざるを得ない。


歴史を紐解けば解るように、ことの始まりには母権制が存在する。

メソポタミア文明の母権制や日本の邪馬台国がその一例だ。

今から約2,000年前に父権制が母権制に対して勝利をおさめ、社会体制が男性支配の上に築かれることになりました。

女性は男性の所有するところとなり、女性は強い男性に従う道を選びました。

仕方ありません。平和に暮らしていても部族の一部分が他の部族に争いを仕掛けるからです。

その後、社会は「やられたらやり返す」と言う悪循環に陥り、「支配こそ平和」のスローガンに変わって行ったのです。

それだけではありません。一方の「性」が弾圧をし搾取され、恐怖と不安を呼び起こし始めたのです。

実際、女性は男性不信に陥り、深く傷ついているのです。

現代に至っても「正義」の名の元において男性は争いを繰り返します。一体何が正義なのでしょうか?


もし仮に、世界を破滅させる方法があるとすれば恐らく、男性社会を継続し、国家を分断させ、小さな部族同士を戦わせることではないのでしょうか。

そうすればその報復がやがて世界中に飛び火し、連鎖反応が起きれば人類滅亡説も真実味があるかもしれません

そうならない為にも、両性の共存、女性の社会復帰、グレートマザーの存在が未来へと続く架け橋であると考えます。



世界が行詰っている訳ではない。男性社会が行詰っているのです。

2015-07-08 | 社会問題
この2,000年の間、世界中で最大の問題、最重要課題とは、男女問題であり男性社会の矛盾である。

なぜなら、宗教観のトラブルは、ここぞとばかりの聖戦であり、

資本主義や社会主義の混乱も、意地と勘違いが繰り広げる競争社会の聖域だからです。

それでもまだ、男性社会を続けたいのなら、99%の確率で歴史が繰り返され、破滅への階段を昇るのは必然だ。

破滅への道が避けられないのならば、新しい道を歩き始める事が破滅を遠ざける唯一の道となる。


女性が悪いのか、男性が悪いのかはひとまず置いといて、

颯爽と現代に蘇る救世主伝説は女性がカギを握っているのではなかろうか。


なぜ、戦争、闘争、暴力、がこうもやすやすに続くのかは簡単だ。
支配好きな男性社会がそれを望んでいるからである。他の理由は言い訳だ。

実際、敵がいない我々人類に於いて男性本能の社会体制では、男性独自の主張のいざこざが続くのは当然で、安全で安心に暮らせるようにするはずが、いつからか女性にとって男性が危険な存在になってしまい、まして働かない怠け者のオスに必要性も魅力も感じられずに、存在自体に価値が薄くなっている。

現実に見回しても解るように、男性は何かしら常に戦っている。
敵を見いだせなければ女性とまで戦おうとする。その通りです。男は戦いが終わると生きられない生命体なのです。

核兵器から頭が離れず、軍事は文明の進化だと言い、家族を省り見ずに金儲けに魂を売り渡し、半永久的に支配を正義だと主張するように、

大きな社会、世界統一に相応しい優れたリーダーシップを発揮するのは男性だけの能力ではちょっと無理である事は、下剋上や仁義なき戦いが証明しているのです。


考えてみてほしい。

グローバル化が進む現代において男性社会である必要がどこにあるのかを。

そして男性の活躍する場が本当に支配体制の中にしか存在しえないのかを。

世界が幸福になることに手を貸さないのはどう言う訳なのかを。


世界中の優れたリーダーは気づいています。世界には改革が必要だと。そしてその日は目前であると。

世界が行詰っている訳ではありません。まして世界が破滅する訳でもありません。
ただ、男性社会に憤りを感じているだけなのです。



うす雲の七夕の日に思うこと。

2015-07-07 | メンタルヘルス
日本を代表する女性と言えば、やはり紫式部ですよね。

千年前に女性が書いた物語の中では清少納言に続く世界最古のもので、そのレベルの高さは未来へ語られるベストセラーです。

日本の語源発祥だと言っても良いし、日本は源氏物語から生まれた国と言っても差支えないほどです。

なぜかと言うと、世界が物語を創り出したのではなく、物語が世界を創り出した事実だからです。

大和言葉の生みの親は清少納言と紫式部を於いて他にはいない。まさに、日本のグレートマザー的存在です。


世界中の人達に日本人である事を美しく説明するには、大和心に宿る「言霊」が一つのキーワードになるのではないでしょうか。

心が通じ合う「和」の言語こそが大和言葉の存在価値だと思われます。

日本人は本来、「言葉」にはかなり気を使って生活してきました。「縁起でもない事を言うな!」と誰でも聞き覚えがあるはずです。

大和魂と言うのもやはり同じで、言葉には「魂」が宿ることを意味するように、控えめな態度は言葉を重んじ慎むことが由来です。

大和言葉を知らない外国人には、日本人が大人しく見えますが、逆を言えば外国人がうるさいのかもしれません。

日本の歴史、伝統、文化とはまさに大和心の「言霊」に見出されて感じられる知的で優雅な余韻を残す原語説のなのです。


もう一人、日本を代表する女性と言えば、与謝野晶子です。

当時、考えられなかったラブロマンス「みだれ髪」を出版し、日露戦争時には反戦を訴え、源氏物語を訳し、日本で最初の男女共学の文化学院をお茶の水に設立をし、12人の子供を産み育て、女性の自立を唱える与謝野晶子は現代の「マララ」であり、日本人が誇るスーパーウーマンです。尊敬する女性です。


また、世界の女性を見てみると、代表的女性像はメルメの「カルメン」とハンナ・アーレントの「人間の条件」、それとアンナ・カレーニナとココ・シャネルかな。

どれも映画になっているから、女性像の探究には参考になるのでは。



世界が恐れるアジア諸国の統一。

2015-07-06 | 社会問題
日本が中国や韓国、北朝鮮と仲が悪いのは当然だ。

なぜなら、仲が良いと困る人達が存在するからだ。

隣国同士がいがみ合わなければならない理由がそこには隠されているからだ。

日本だけではない。世界地図を世界情勢を見れば判るように分断されている国々がそれである。

分裂とは一体何か。それにより得たものとは一体何か。

誰がそうしたのかよりも何がそうさせたのかが問題である。

世界は歴史の修復と人類の痛みを取り除こうとしているのである。


私達人間は、選ばれし優れた生命体であるから本気にさえなれば、もう既に世界は統一しているはずなのに、未だ混乱の日々は続いている。

仮に、先の世界大戦が階級闘争の鎮圧だとしても、資本主義からは欲望が胎まされ、社会主義からは怠惰が胎まされたように、

その代償が多くの流された血であるなら、我々人類は善意の皮を被った悪徳業者の様である。

夏目漱石もこう言っている。
「国際上のことは道義よりも利益である」と。


現在の東アジアは西洋との協調主義を選択しているが、反面、隣国同士は応戦しようとしている。まるで敵の目を欺くかのように、かく乱するかのように。

おそらく、第三次世界大戦はあり得ないとしても、東アジア大戦争は起きても不思議ではない。

なぜなら、チョットからかえば直ぐに興奮する知恵遅れなイエローモンキーだからだ。

またしても、白人崇拝し、強い者には巻かれろ的な子供じみた考えでは敵の策略に陥るだけで終わるように、

東アジア諸国の安全と安心は東アジア諸国の統一以外に道はない。

間違っても力による統一ではない。力では分断を招き歴史が繰り返されてしまうのは現代人なら百も承知だ。

正義には悪が必要なのは良く解る。だから何処かの一国には申し訳ないが悪の国家になってもらわなければならないのもしょうがないかもしれないが、

誰が得をし、誰が損をするのか、幼稚な争いはもうウンザリだ。


東アジアにも白人同様、素晴らしい文化や伝統があり、エキゾチシズムに彩られた誇り高い民族が存在するのだから、

同じモンゴリア民族の連合こそ異国の脅威に立ち向かう唯一の手段だと思われる。

考えて見てほしい。日本がモンゴルや中国、韓国、北朝鮮と同盟を結べば、どれ程の脅威になるのか。

そして何故、私達はいがみ合っているのか。もう一度考えほしいのです。



日本に千年王国を創り出す。

2015-07-05 | 社会問題
世界統一と同時に大切なのは、日本の国家論です。

日本の社会問題を一気に全て解決する方法論であり、それが世界統一に貢献するやり方だ。

それが現代人には理解できなくても、100年後のたった一人の為であるならそれで良い。


方法は簡単だ。

近い将来、平和ボケした日本人は在日たちの手によって日本は乗っ取られる。

40才以上の人達には信じられないかもしれないが、30才以下の人達には顔色が青ざめる事実である。

日本の人口統計論や在日教育の高さ、政治家への賄賂、デフレスパイラルの創作など、上げればきりがないが若い世代の日本人なら一度や二度、在日に負けた経験があるのではなかろうか。

ブラック企業やイジメに至るまで在日の手の上で転がされる日も目前である。

在日たちの一番の関心事は、そのタイミングは何時訪れるかだが、おそらく米軍が日本から撤退する日であると予想される。

しかし悪いのは在日ではない。在日問題を先送りにした日本人である。


だが朗報もある。

日本は在日に侵されなければ目覚めないと言う事である。

その時の為にストーリーを書き残して置くのが私の目的であり、その時に大義名分となるのが千年王国論である。

千年王国とは大和民族の伝統である神風の遺志に従うことなのである。


考えることは一つだ。

アメリカ軍がいずれ近いうちに日本からいなくなる時に、残された民族同士による対立を無くすことである。

つまり双方にとって安心で安全に暮らして行ける国家の創出を導き出す事である。

間違っても内乱を起こす事態は避けなければならないが、アメリカ軍や日本人、在日たちが混乱を望むなら致し方ない。

だが、双方にとってのWIN.WINの戦略は世界平和への大きな貢献にも繋がるし、世界に散らばる疎外された民族たちの憩いの場にもなる。

その為にも、また国家のアイデンティティーの存続に掛けても歴史に記載される事実は日本国家論千年王国の創造なのである。


具体的に言えば極東に誕生する「中立国」それが日本だ。

和を重んじる伝統、憲法9条による積極的平和主義思想や異質な文化を持つ我が国は世界の人達にとっても宝なのである。

実際、日本ほど「中立国家」に相応しいのは他に類を見ない。

なぜなら、この続きはまたの機会に致します。


始めよう。世界を統一するプロジェクト。

2015-07-04 | 社会問題
ブログ訪問者一万人を記念いたしまして、どうすれば「世界統一が誰の手によっても達成可能か」について考えてみようと思います。

まあ、考える事はタダだし、考えないよりはマシだし、考えてもムダではないから、のんびり行きたいと思います。


手始めに、現在の男性社会では世界統一は不可能だと言うことです。

なぜなら、世界の初めに隠された事実は母権制でありグレートマザーの存在だからだ。

実際、小さな社会や自給自足のような個人主義的な社会体制に於いては男社会が上手く機能するが、

世界統一のような大きな社会では男性社会が不向きなのは既に実証済みである。

このまま男性社会が続けば、混乱の歴史が繰り返される事は火を見るより明らかなのは、男性の本質がそれを望んでいるからである。


EUは一つの世界統一に魁ての実験だが、アジア諸国の統一にしろアフリカ大陸の統一にしろアメリカ大陸にしろ、

一度は力によって統一した国々を分断しては問題を引き起こし、そこからお金を引っ張り欲望を満足させるやり方では、まるで悪魔に魂を売り渡した地獄さながらのゲームのようだ。

きっと男社会の人生ゲームは平和のままで一生を過ごすには退屈で面白みも何もないゲームなのだろう。

軍事産業の強化に心ときめかせながら、勝った負けたと胸ふるわせながら、一体、男社会は何がしたいのだろうか?

敵を作らなければ正義が存在出来ないことは理解できるが、悪への道は正義によって導かれて行くのもまた真実である。

資本主義社会であっても、社会主義であろうとも、男性社会だからどちらも上手く行かないだけであって、問題なのは資本主義や社会主義ではない。

そうではなく、根本的な思想を忘れているのが問題だ。

人類の原理原則や社会体制のルーツを探れば見えてくるように、

今、起きている現実問題の多くは女性が作り出しているものではなく、明らかに男性が作り出している事実であるから、

素直に女性をトップに据えて男性支配を共存共栄に転嫁することが21世紀に相応しい人類の進歩となる。

世界情勢を見ればどこもかしこも憤りと不安から抜け出せないで、ただ闇雲に突っ走っているだけであっては大惨事の元となり、いつ大事故が起きても不思議ではない状況だから、いずれ世界は遅かれ早かれ新しい時代が到来する事は周知の事実である。

だが、それが何時なのかがちょっと気がかりです。

資本主義や社会主義の行詰りの今、世界中の多くの人達は新しい世界観を待ちわびているように、そのタイミングが現在か、次の世代かの違いである。

男性社会から女性社会への変貌のカギは、それを行う人たちが簡単だと思うか、難しいと考えるかで決まるものなのだ。



始めよう。世界統一プロジェクトは今後シリーズとしてブログに連載致します。





多数決は自信のなさ。

2015-07-03 | 日記
自信のない者同士が多数決をして無理やりそれに従う事が本当に正義なのか疑問である。

ベンサムの説く最大多数の最大幸福論は私も大好きだが、

みんなの意見は大体正しいとする選択は消極的で曖昧だから結局は誰も責任を取らなくなります。

確かに多数決は楽である。みんなの顔色をうかがえば考えなくてすむからだ。

少数派意見には耳を傾けずに自らの意見を主張しないやり方は責任ある大人の判断とは言い難い。

勿論、一人の幸せと10人の幸せとを比べれば10人の幸せが優先される事は理解できる。

一人が犠牲になれば100人が生き残れるとしたら犠牲はやむを得ないとするのが現代社会だからだ。

それなら常に犠牲者を確保して置かなければならず、増々少数派の意見はもみ消されることになる。

それもまた単純で良いのだが、考える事を忘れた者達に従った挙句に責任を取らされるのもまた考える事を忘れた人達である。


世界の常識ではディベートによって決断を完成させるやり方ですが、その為には一人一人の意見が何よりも重要だ。

意見の無い者は存在しないのと同意語だから、意見の無い者はみんなの為に犠牲を強いられる。

だが、良い意見だと思う。みんなの意見を一つに完成させる為に協力することが出来れば責任が生まれ、また、意見の無い役立たずを識別できる簡単な方法だとも考えられるからだ。

実際、その他大勢の人達とは派閥の原因でもあり、現実問題から逃避し、複雑にする混乱者だから弾かれてもしょうがない。

何よりも重宝がられる人とは自らの意見を述べる問題解決者だからである。

それにディベートには意見だけでなく人間性も高められるし、意見の一致はコミュニケーションの一致にも役立つ。

逆に、下手くそなディベートとは意見の違いに腹を立てる人のことだが、子供の感情論ではなく意見を戦わせる場なのだから、その人物を攻撃しても話が先に進まない。

問題があるのは多数者の方である。事前に打ち合わせをし、同意を得る方法は自らの自信の無さを隠しているように見えるからです。



黄禍論(イエローぺイル)。

2015-07-02 | 日記
黄禍論と聞いて日本海を黄海と考えるのは知識人です。

日本人もそうだが、中国や韓国、北朝鮮の人達は、なぜこの問題に取り組まないのだろうか?

やはり白人達は黄色人種の団結をおそれているから、阻止されているのかもしれません。

実際、白人にとって危険なのは日本ではない。一つに団結したアジアの先頭に立つ日本であるように、

モンゴリアン民族が一致団結して大シルクロード共栄圏を誕生させたなら、

白人による世界侵略の歴史に終止符が打たれ、奴隷好きな白人からの解放となるはずですが、そうならないのは世界地図を見ると一目瞭然だ。

イスラム共栄圏にしろ仏教共栄圏にしろユダヤ資本にしろ、自らが額に汗して働かない者は飯を食うべからずが基本であるが、

キリスト共栄圏率いる白人だけがこの原理原則に反して世界を自分たちの都合のいいように混乱と秩序を作り変えている。

実際、一つの国を二つに分断し兄弟喧嘩を引き起こして白人から目を逸らす汚いやり方は白人たちのお家芸だ。

一度喧嘩別れした兄弟はそう簡単には元に戻れない様に、国を二分すれば当分、白人たちの思うままだ。

もちろん、この事実を知っている西ドイツと東ドイツは統一をしたが、知らなければ東西の統一や南北の統一などありえない。

世界には数多くの分断された国が存在するが何処も白人によるものであり、大東亜共栄圏の植民地政策の違いが良く解る。


日本はかつて、大東亜共栄圏と言うビジョンが存在したが、植民地を実行した国に対してその国を分断するような卑劣な事は決してしなかったように、白人の二の足を踏まなかった。

それが良い悪いではなく、その後のアジアの経歴と結果を見れば明らかのように、分断された国々は悲劇だと思う。

確かに日本は軍事力を示す事によって文明国として世界に認められたことは理解できるが、それにしても日本は変わった国だと我ながら思う。

なぜなら、領土拡大思想は戦国時代からの伝統だとしても、日本国内は社会主義や労働党、共産党に悩まされていた訳でもなく、それに階級闘争は幕末の志士により無血革命を達成し、国内情勢は整いつつあったはずだから、何を持って領土拡大を志したのかは日本人でも良く解らないのが心境だ。

おそらくは、征韓論、黄禍論あたりに何かのカギがありそうである。ここからは避けては通れません。