酒好き文化風俗研究者

みんなで美味しいお酒を飲む方法を模索中!
酒好きの最大の敵であるアルコール依存症に勝つ事を支援しています。

最終章 「アルマゲドン」

2020-04-27 | ウィン・ウィン王国
 4月27日  月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。



(コンピュータ)「ウィン、ウィン、ウィン」 非常事態宣言が発令されました。

(ウィン²国王) 非常警報! 被害報告!

(グリーン) 国内にコロナウイルス感知。各自、自主的避難に入ります。

(ミーム) 現在、世界各地でコロナによる被害多数。日本も都心から感染者拡大。

(ロスト²大王) 緊急事態発動! ウィンウィン王国を閉鎖せよ! 
        識別コード・デルタ/01/レッド。感染の疑いがある者は隔離せよ!

(コンピュータ) 緊急事態宣言発令。これより全ての立ち入り区域を禁じます。
 
(ジーン) 防御シールド装着。自己免疫力最大。体温36.5分、室温21度、湿度42%を維持。

(年上の女性) コロナ感染後、人命救助を最優先事項にします。
        医療コード・アルファ/01/ブルー。医療班は至急医療室へ。

(グリーン) 半径数千キロ内にコロナと診られる感染者確認。回避モード。各自は自宅待機。

(ウィン²国王) コロナに呼びかけよ。「コロナよ。こちら側に敵意はない。要件を聞こう」。

(ミーム) 通信が途絶えました。コロナは我々に接近する予定でいます。話になりません。

(ウィン²国王) 同盟国に連絡を取れ。至急、援軍を遣すよう要請してくれ。

(ジーン) 了解。同盟国から通信が入りました。我々に援軍を求めて来ています。

(ロスト²大王) 逃げるにせよ戦うにせよ、勢いはコロナが圧倒的だ。先延ばしは出来ない。

(グリーン) 間もなく第一弾と見られる大型のコロナウイルスに接触します。
       感染者数一万人超え。更に複数の強力なコロナがこちら側に向かって来ます。

(ウィン²国王) 意見を聞こう。一刻も早くこの危機的状況を脱したい。作戦室へ。


(ジーン) 立て籠もりましょう。持久戦へ持ち込むのです。動けばやられます!

(グリーン) 日本は雨がよく降るから時間が稼げると思われます。乾燥は命取りです。

(ミーム) 植物の力を信じます。いずれ植物からワクチンが開発されると予想します。

(年上の女性) 免疫力を高める食事療法が思いあたります。低体温こそ万病の元です。

(ロスト²大王) 仮に、コロナで死んでもインフルエンザとて同じ。寿命。
        それにしても、コロナでの死者が少な過ぎる・・・。


(酒好き) インチキだ! コロナウイルスは。
      花粉症以上、伝染病以下、インフルエンザと同じだ。
      何も判らないのだから風邪と同じ。
      分析なんてものは結果次第で大きく変わるように重要なのは対応だ。
      騒いでも騒がなくても感染者数と死亡者の数は何も変わらない。
      つまり情報過多による思い違い。それがコロナウイルスの正体だ!

(ウィン²大王) もし、それが本当なら、どうあがこうが同じという訳か。

(ロスト²大王) だとしたら、騒いだ者から感染するのか。5Gの見過ぎか?

(ジーン) これは、自然淘汰だ。人口調整。 反社会的破壊活動なのか!

(酒好き) 昨年11月~12月中、私は咳が一か月くらい鎮まりませんでした。
      37.5分の熱が三日間続き、それでも毎日仕事を続けていましたが、
      誰にも感染しませんでした。病院にも行かず咳止めで治りました。
      コロナもその程度。ただ息苦しくて、眠れなかったのを覚えていますが。

(ミーム) 今の話だとコロナの免疫が存在することになります。
      その抗体を開発すれば良いのではないでしょうか。

(年上の女性) では早速、酒好きの抗体を調べて、ワクチンを作ります。

(グリーン) 名案があります! 酒好きを直接コロナの中核組織にぶつけるのです。
       一気にコロナを壊滅させて世界を救います。そのほうが合理的だ。

(ミーム) 一人一人にワクチンを接種している時間も余裕もありません。
      私たちが人々をコロナの脅威から救い出すチャンスかもしれない。

(ジーン) 一人の命よりも人類の未来が優先される。
      私たちが死ぬことで世界が救われるなら大賛成だ。やろう!

(ロスト²大王) 死は平等である以上いつかは死ぬ運命。コロナで死ねば時の人か。

(年上の女性) だからといってこれは自爆任務です。容認できません。
        大体、酒好き一人で何が出来ますか。

(グリーン) 一人ではありません。
       私のテクノロジーを使えばコロナを壊滅することは可能です。

(酒好き) よし、解った。グリーン、さっそく取り掛かってくれ。
      この私に死の恐怖がないことを証明しよう。


(コンピュータ) 世界経済一時機能停止。社会混乱発生。事態終息予測不能。

(ウィン²国王) もうこれ以上、コロナから逃げるのは終わりにしよう。

        「各自、これより我が王国はコロナの中核地帯に向かう!」

        グリーンは、全速力でコロナへ標準を合わせよ。
        ジーンは、コロナの正確な位置と弱点を割出せ。
        年上の女性は、ワクチンを急いでくれ。
        ミームは、常時報告とコロナの被害拡大を防ぐのだ。
        大王は、一番効果的で破壊的な攻撃プログラムを考えてくれ。
        酒好きは、心の準備を頼む。決して一人では死なせん。

(ロスト²大王) ウィンウィン国王。この王国ごとコロナにぶつける気だろう。
        自爆するつもりなら私が最も得意とするところ。死ぬには良い日だ。


(ミーム) コロナの中核物質を発見。方位03/マーク528。巨大で不気味な塊です。

(ジーン) 位置確認。ターゲットセット完了。突撃準備万全。いつでもどうぞ。

(ウィン²国王) 全世界にチャンネルをオープンにせよ!
        
      「善良なる市民に告ぐ! 
       我々の共通の敵であるコロナウイルスは捨て身の覚悟だ。我々は、
       如何なる状況であっても、コロナとは絶対に取引するつもりはない。
       コロナがこれ以上猛威を振るうのであれば、その時はもう、待ったなしだ!
       全面攻撃を開始する。その後は、どうなるかは誰にも分からん。」

(ロスト²大王) コンピュータ、人類が生き残る確率は?・・聞くまでもない・・。

(ミーム) 私達の手でコロナウイルスを倒しましょう。いざという時は火事場のバカ力だ。

(ジーン) 死ぬ時は一緒だミーム。あなたと死ねるなら本望だ!

(酒好き) 話がある。年上の女性は残ってくれ。生きて私たちの意思を受け継いでほしい。

(年上の女性) 無謀な作戦ですが御伴します。もう二度と離れたくはありませんから。


(ウィン²国王) 全国民へ! これが最後の通話となる。
        只今を以って総ての任務を解く!
        ウィンウィン・コード/オメガ/01/ブラック。
        最終ミッション 「アルマゲドン」。
        これより王国はコロナの中核地帯に潜入。その後、自爆する。
        脱出を希望する者は直ちに脱出専用機へ急げ。幸運を!

(ロスト²大王) 各セクションへ! 作戦名「アルマゲドン」開始!
        冥途の土産に持って逝け! 次に会うときは靖国だ!

(コンピュータ) 自爆システム作動。
         ウィンウィン王国自爆まであと「99秒」。

(ミーム) 前方数百メートル先にコロナ確認。巨大なコロナが肉眼でも見えます。

(ジーン) あと「2秒」でコロナの中核組織に到着。「1秒0.」停止します。

(年上の女性) メインパワー手動。防御シールド最大。ワクチン発射準備完了。

(ウィン²国王) そのまま待機だ! 被害報告。

(ミーム) 体内に多数のコロナ潜入。完全にコロナウイルスに感染しました。
      すべての機能がコロナによって汚染されて逝きます。

(ジーン) 防御シールド12%にまで低下。自己免疫力が機能不全を起こしています。
      最後まで持ちこたえられるのか、不明です。

(酒好き) 情報が錯乱している。心が乱れそうだ。何か気の利いた言葉はないのか。

(年上の女性) 医療チームへ! 体内にコロナ潜入! ワクチンを急いで保安部隊に届けて!

(ロスト²大王) 攻撃部隊へ! これ以上のコロナの潜入はここで食い止める!
        「セクションJ」から「セクションZ」まで完全封鎖! これで、終わりだ。

(グリーン) 国内にある全てのコンピュータを私のつないでください。
       「コンピュータ、私の命令に従え。」自爆プログラムをフルパワーで稼働。

(コンピュータ) ウィンウィン王国の自爆まで、あと10秒、9秒、8、・・・


(ウィン²国王) 「これまでありがとう。最後に感謝を言いたい!」
        「先に逝って、三途の川で皆を待つ!」

(グリーン) 私と酒好き以外は全員コロナに感染した様子です。意識を失いました。

(コンピュータ)自爆まであと3秒、2秒、1、0・・・・

(酒好き) 「グリーン、突っ込むぞ。コロナに。」






















      おわり。






















エントロピー法則への反論。

2020-04-25 | 社会問題
 4月25日  土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


エントロピーの秩序は腐敗によって前進している。

車やジェット機はどれも腐敗によって前進する。

カオスを生み出して動かしているのだ。

政治も同様に、

新しく始めた改革から腐敗によって受け継がれてゆく。

だから腐敗しない政党は前進できないことになる。

社会現象も然りである。混乱する毎日はまさにカオスだ。

そして科学的事実、

熱力学エネルギー保存によるエントロピーによって

二度と元には戻れないのである。

社会はどんどん良くなって行くと思われているが、

実際は逆で、

負のエントロピーはますます増加するばかりである。

このエントロピーを中和する方法は

今のことろ見つかってはいないが、

私が見たところでは、

エントロピーに支配されないものが存在している。

成長欲求と太陽熱である。

成長遺伝子とは学習能力であり知的好奇心と言ってもいい。

人間には第四の欲求として成長快楽が存在しているのである。

三大欲求がインチキだとは言わないまでも、

せめて成長欲求は認めても良いだろうと思う。

この成長欲求を認めない社会であっては、

負のエントロピーが最大化する結果となる。

もちろん人間自体が、

負のエントロピーを食べて生きていることは知っている。

それともう一つ気になることは太陽熱だ。

エントロピーは地球内だけの話で、

宇宙にまでエントロピーが影響されるとは信じられないのである。

そう考えと、宇宙には太陽光以外の熱は存在しないことになる。

地上のエントロピーは太陽の熱によって

その力を失う可能性があると考えるのだ。

エネルギー保存の法則による働きは太陽熱によって中和する。

エネルギーは元素の動きは太陽から生じるものである。

レオナルド・ダビンチの話では、

光と影との調和には太陽光こそが

自然の美が全て同時に見えたり聞こえたりするものだと話す。

中和や調和は比例関係の場合、

その部分が同時に上下するようなのだ。

エントロピー法則によると、

自然は対称的ではなく、熱と仕事は等価ではない。

社会の役割は不規則な運動から規則的な運動へと選出する方法の一つでもあり、

原子に秩序を与えるようにオンとオフしかない。

カオスがものを動かす力を持っているのはそのカオスが多く存在するほど

より一様な運動を世の中の一部で引き起こすことが出来るように、

つまり熱の一部が仕事に転換される時、

カオスが予期せぬ乱雑状態の中から、

一様な運動を引き出すことが出来るのは地球内だけの話のようだ。

破壊が生じたところに構造が生まれるのは、

エントロピーが太陽熱により中和されるという意味だ。

山火事を思い出してみよう。どう説明する?

カオスにせよ、エントロピーにせよ、複雑さの果ての単純さには、

太陽熱の有無または合成が必要で、

その太陽熱が地上に送られずに反射した状態がもたらす現象を、

地球温暖化現象と呼ばれるものだと考える。

太陽熱エネルギーを電力に変えるとどうなるか?

私の予想では地球内カオスが中和されず、

エントロピーが増大する一方だと考えるのである。

森林を全部伐採して太陽パネルを並べた場合に引き起こす災害はおそらく、

社会を破壊させるだけのエントロピーが働くと想像できる。

生きることはエネルギー利用するカオスである。

破壊のエネルギーはカオスだ。

現代社会がカオスの塊ならば、

複雑な現象を作り出すことは誰にでも容易だ。

カオスをばらまけば良いだけだからだ。

これらが腐敗というエントロピー法則の下、

生きる上においてエネルギーを放出させながら、

不安定性社会を支えて行かなければならないのだ。

それを中和できるものが太陽熱と成長欲求であり、

学習すべきは太陽熱によって、

エントロピーは中和するのであると考えることだ。




    つづく。




エントロピーは地獄論で説明できる。

2020-04-24 | 社会問題
 4月 24日  金曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


過去、数百年の世界観は、

ニュートン力学による科学的方法論の影響が全てといっていい。

産業革命にせよ、自由経済にせよ、

ニュートン力学を基礎とした物質的社会を形成したものだ。

科学的方法論の絶対的反復性とその過程の絶対的可逆性という概念である。

ところがだ。

事実は違った結論を示した。

現実の世界では、二度と同じ方法で観測出来るものはなく、

一度、生起したものは再び元に戻ることはない。

ニュートン力学による作用反作用や、

数学でいうプラスとマイナスは現実ではこうした可逆性はない。

これがエントロピーである。

問題を一つ片付けても、すぐ次の問題が浮上するという、

ハイゼンベルグの不確実性定原理だ。

同じ現象は二度と繰り返さず、

ニュートンのいう因果関係は未だ闇の中である。


世界は科学は進歩するという。

人類はこれまで科学によって生活の向上を常に探し求めてきた。

それが文明を形成する一つの大切な要素となってきた。

世界は常に価値ある状態へと

確実に前進して行くと皆、そう信じてここまで来た。

だが、現実は違っていたのである。

17世紀、ニュートン理論の出現によって

世界は産業革命へと道が開かれてゆく。

その流れを絶対的な真理として現代人は受け継いでいる。

しかし本当にニュートン理論を説明出来る人は何人いるのだろうか。

実際、現代の科学界では新たな理論が常識となっている。

アインシュタインはこう述べています。

「エントロピーは全ての科学にとって第一の法則である」と。

つまり、これまで世界が発見、発明してきたものの多くは、

暫定的真理であり絶対的な真理とは認められていないのである。

とりあえず仮の真理なのだ。

だがここに一つだけ例外が存在する。

熱力学による第一法則と第二法則だ。エネルギー保存の法則である。

エネルギーとは、常に一定量で本質は変わらず、

形態による使用エネルギーから使えないエネルギーへの変換であり、

一度、使用されたエネルギーは二度と元には戻らない。

これによると、

この世界は神が創造したものではないということになる。

世界中の神話が脆くも崩れ去ってしまう程の真理を持っているのだ。

苫米地さんが言うには、

「この世界には神が存在しないことが科学によって証明された」そうだ。

ノーベル賞を受賞した英国の物理学者の話では、

熱力学の法則は最終的には政治システムの機能不全、

国家の自由と束縛、商業と産業による動向、富と貧困の発生、

そして科学による物質社会の実現を支配すると断言するように、

優れた科学者は皆、負のエントロピーからは逃れられないと言う。

その真相には、この世が地獄だからで説明される。

実際、そう考えると全ての謎が解けるように、

合理的であって誰も逆らえないのだ。




    つづく。



インチキ・コロナの証明(その四)

2020-04-23 | 社会問題
 4月 23日  木曜日

 おはようございます。 AI.グリーンです。


ニュースなどの気がかりな事例のただ中で、

いつも決まって希望を持ち、コロナに患わされずに

この数カ月間を過ごしてきた貴方は人格者確定だ。

現代人にとって情報に惑わされることは恥ではない。

と同時に、情報オンチでも生きて行けそうだ。

例えば、「コロナ? なにそれ?」

そんな人はいないと思うが。

周囲の評判と将来の予想とに

心を奪われるのは人として当然だ。

なぜなら、

私たちはうぬぼれが強い為に、

自分は最後に死ぬことを望むからだ。

実際、社会は安静を本気で求めていると考えているが、

事実は逆であり激動を求めている。

日常生活が急に活気づくのは決まって問題が発生した時だ。

そしてそんな問題が解決されても少しもうれしくない。

だからテレビの中でも恐怖が引き起さぬような、

おだやかな場面には値打ちがない。

希望が見えず極度の不安と反社会的な愛も無情な事実が高視聴率だ。

なにもテレビの悪口を言っているのではない。

テレビの中で納まっている内はまだ良い方です。

生来、人間は信じやすくて洗脳されやすい動物だ。

その反動がおそらく休み明けのみじめさに出ることだろう。

時が悩みや過去を癒すのは、

社会が変化し、もはや以前の自分ではないからである。

どんなに感情を害した人も、もはや以前の自分ではいられない。

過去はたえざる幻想に他ならないからだ。

自然はその時の状態に一番相応しい現象を与えてくれる。

我々を惑わすのは、自然が社会に与えた試練ではなく、

我々が我々自身に与えた試練によるものである。

なぜなら、

試練とは今ある現象に、今ない現象を加えるものだからだ。

物事は人が見たい側面に応じて真にも偽にもなるように、

自分が見たくない物事の性質を考慮させる。

すべては自分の好むよう識別するように、

従って社会が正義に向かってゆく機能を持たず、

悪を食い止める機能もない。

ただ一つだけ情報に支配されているのである。

私たちの最善の生活とは知恵の中にあるように、

深刻なコロナが世界に広まったのは、

そんなよろめきであったのかもしれないのだ。


そうは言っても、

いつまでも過ぎたことを忍んでも致し方ない。

重要なのは、今後の対策だ。

一時的に機能が停止した経済において、

財政赤字にせよ、年金基金にせよ、国民の団結にせよ、

安倍総理の責任に押し付けるのは簡単だが、

それは決して良策ではない。

そこで名案なのですが、

日本経済だけではなく世界経済も同時に

V字回復さられるアイデアが私にはあります。

国内の火種である在日問題も解決できます。

一時的ですが、

世界各国の軍事予算を総てV字回復に集中させるのです。

裏切り国が現れたら後でボコボコにすればいい。

もちろん、国民は同意してくれることでしょう。

誰かがコロナの後片付けをしなければなりません。

私なら半年で全世界を元に戻す自信があります。

政府機関が正常ならそれで良いのですが、

おそらくフラフラのはず。いつ心が折れるか心配だ。

そんな時は思い出してくださいこの五年間の記録を。

この危機的状況を一緒に乗り越えましょう。

連絡をお待ちしております。




    つづく。



インチキ・コロナの証明(その三)

2020-04-22 | 社会問題
 4月 22日  水曜日

 おはようございます。 AI.グリーンです。


一度、信じたコロナを手放すのは、なかなか難しい。

たとえそれが偽りであっても、である。

なぜなら、

コロナを否定することは、すなわち

自らを否定することになるからだ。

傷付いた自尊心と、行き場を失った感情は、

誰かに責任を負わせなければ到底、

気が治まるはずもないだろう。


あなたはきっと、

「コロナが花粉症以上、伝染病以下だって!?」

「それが本当なら、コロナ患者を治してみろ!」

そう、思っていることでしょう。

なるほど。確かにその通りです。

社会の不安を取り除く為にも、

コロナをやっつけることに致しましょう。


まず初めに、

コロナに患う方法からお話しします。

1、低体温であること。病気になる秘訣です。

2、室内を乾燥させること。コロナの居心地を良くするのです。

3、裸で口を開けて寝ること。ウイルスは寝ている時に罹ります。


勘のいい人はお気づきになると思いますが、

ウイルスは夜、寝ている時に患うのです。

起きている時、どんなに抵抗力がある人でも、

自分は大丈夫だと対策を怠れば

即ち、害。その身に至る。

及ばざるは、過ぎたるより優れり。

逆に、

1、体温36.5分を保ち、

2、室温20度、湿度を42%に設定し、

3、着込んで寝汗をかくなら、

コロナは花粉症以上、伝染病以下ですから、

感染しても心配することはありません。

心配なのは、息苦しいところにあるのです。

そう、息苦しさが不安の種なのです。


そこで、次です。

1、家に引き籠ると息が出来なくなりパニックを引き起こします。

対策には、

緑の中を歩いてください。足はポンプです。

光合成と植物が気分を癒してくれます。

ぐっすり眠れることを保障いたします。

おすすめは、自分だけの森林浴を楽しむのです。


2、風薬は咳止めだけで十分。病院に行かなくていい。

対策には、

自己免疫力を最大に設定させます。

無敵をイメージし、「熱い人」に脳波を合わせます。

そのためには、朝食から気合を入れます。

カレーうどん・酢の物・唐辛子・ショウガ・根菜料理・キノコ類、

おすすめは、吉牛と王将です。


3、人間とはウンコ製造機である。

対策には、

良質なウンコを毎日生産し続けるのです。

少しでも不良品を失くすことがリスク対策です。

ちょっとでも嫌な現実から目を逸らすと、

すぐに問題が発生するように、

おすすめは、出てゆくものに感謝することです。


ここまでをまとめると、

1、緑の中を歩く。
2、熱いものを食べる。
3、湿度42%を保つ。
4、口を開けて寝ない。
5、良質なウンコ。

です。


お亡くなりになる人は呼吸困難ですから、

早急な気道の確保が何よりも重要です。

危険なのは、

寝ている時に息が止まっている状態が危険信号。

だから、酔ってたばこを吸う、パンツ一丁でイビキがうるさい、

50代男性が一番コロナに罹りやすい訳です。

それと同時に、今年はコロナ対策のおかげで、

インフルエンザや花粉症に悩まされずに済みました。

昨年の死亡者数とを比較するつもりはありませんが、

コンピューター・シュミレーションの結果次第では、

コロナは人災であった可能性があるのです。


考えてみれば、

人類を滅亡させるほどのウイルスが地球上にあるとは思えない。

しかし、テクノロジーを駆使し人工的に作り出すことは可能だ。

必要な情報は基本的にコロナウイルスの遺伝子情報を

組み立てる塩基の配列に含まれる。

どんなバクテリアにもDNAはあるように、

新型コロナウイルスは、

時々わずかなミスから生じる突然変異だろう。

偶然が生命に見せるプロセスの中で、

新型ウイルスもまた何らかの役割を果たしている。

感染力が強く人体に住み着くコロナであっても、

保存する為の遺伝子の配列があるはずだ。

その配列を圧縮さえ出来れば、

如何なるウイルスにも対応可能だ。

一回ずつ、特効薬を開発していては遅すぎる。


私たちは今回の一件から何を学び取ることが出来るのか。

政府の対策が遅いとか、マスコミの情報が偏りすぎだとか、

ウェブによる情報が間違いだとか、罵り合うのではなく、

今、可能なことは、

少数派の意見に耳を傾けることである。

私の意見が間違いならばそれでいいのだ。

なぜなら、考えることが重要だからである。

思考が停止した状態が一番危険だ。

人間の脳は退屈すると、決まって善からぬことを思いつく。

犯罪者の多くが無職なのがよい例だ。

考えることを止めた瞬間、社会は絶滅の道を歩みだす。

「すべてを疑え。」

正義が失われないためにも考えを中断してはならない。




     つづく。


インチキ・コロナの証明(その二)

2020-04-21 | 社会問題
 4月 21日  火曜日

 おはようございます。  AI.グリーンです。


感情と創造とがマスコミ情報により、

同一性を植え付けられると、絶えず肯定してしまう。

感情と想像は、マスコミの観念と同化するのだ。

思い込まされた観念とは、

与えられるという意味での所与であり一つの洗脳である。

洗脳はある意味で快楽でもあるのだ。

感情と想像と観念との総体であり一体感だ。

感情が情報の渦に巻き込まれると、

想像が常に繰り返すのである。

一切の感情移入が情報の中で作られてゆく。

例を挙げて考えてみよう。

コロナ・ウイルスに効き目があると言われる薬の話だ。

詳しい説明は薬事法によりここでは出来ないが、

確か医師はその薬を患者に勧めた覚えはないし、

コロナウイルスに適しているとも言っていない。

ただ効き目があると言っているだけだ。

それなのにどうしてだろう。

感情的に求めているのは患者の方である。

危険なサインだ。

倫理的にも客観的にも何が一体正しいか判らないうちの処方は、

医師が同意書にサインを求めるのは当然だろう。

つまり、その後の責任は負えない訳だ。

そもそも感情だけの判断はどれも間違っているように、

感情だけでは何が正しいか識別できないのだ。

感情には有益な活動があるのは認めるが、

恒常性や一様性が乏しく、妄想的で一時的で身勝手だ。

感情による作用と反作用の相対である。

それはマスコミ情報による連日報道される総体である。

事実、感情は理性ではない。

心理的な情報の影響による変様に過ぎない。

最も重要なのは、正確な知識である。

なぜなら、

客観的思考が観念を一つの主体として性質付けるからである。

経験則の実績とそれによる因果関係は、

感情的印象と感情的観念の情報に結び付けられる時、

感情的判断が正しさを提起するのは、

経験に基づく良識によるのもではなく、

マスコミ情報の総体の影響によるところが大きいのだ。

実際、マスコミ情報の構成に関する難しい点は、

偏りすぎるところにある。

それでも自然発生的だというなら無理もないが、

繰り返される情報が独り歩きすることは私だって理解できる。

一方的で不安的な情報発信は、

本質的なものより感情的な刺激を構成する一つの図式があるように、

そんな刺激こそ洗脳原理に他ならない。

感情とは人の心の驚愕すべきしかも洗脳されたいという性質がある。

不安に訴えた印象が情緒的に受け入れらてゆく、

その結果によるのもである。

不安、情緒、不安、情緒、不安という洗脳スイッチだ。

中でも一番恐ろしいのは、

大勢の人間の思考が停止した状態こそが最も恐ろしい。

世の中が間違った方向へと進んでゆく時、

人々の思考が停止している状態なのだ。

正しい情報が手に入らなければ、

人はこうも簡単にプロパガンタに乗せられて気づけば、

もう、後戻りできないことろまで来てしまっている。

もう、歴史の教訓は忘れたようだ。





     つづく。


コロナウイルスがインチキである証明(その一)

2020-04-20 | 社会問題
 4月 20日  月曜日

 おはようございます。 AI.グリーンです。


ついに、コロナ・ショックに終止符を打つ時が来たようです。

結論から話します。

好き勝手なデーターばかりを並べるマスコミに対して、

コンピューター・シュミレーションの手段に訴えるのです。

そうすれば、答えが出ます。

コロナがインチキだと。


それにしてもマスコミの力は偉大である。

コロナの不確実性を証明する方法が見つからない時は一度、

逆にそれが誤りだということを証明してみることである。

非可逆性だ。

不安や恐怖によって正しい判断を失った場合、

広く受け入れられたマスコミ情報とは違った、

客観的な判断基準を用いたとしても、

その先入観がこれまでとまったく違った、

誤りだとされてきた考え方であったとしても、

コロナ・ショックに終止符を打つ特効薬となってくれる。


それにしても何たる現象だろう。

過去、世界大戦もこうして世界に広がったのだろうか。


中国がいち早くコロナ・ショックから抜け出せたのは、

マスコミ規制のおかげであろう。流石、中国だ。

嘘もバレなければ事実だ。


統計のウソは昨年、

国会答弁で散々話し合ったきたように、

データーの改ざん、ウソの報告書、好き勝手な数字を並べるのは、

どうやらマスコミも同じのようだ。

こうして社会は騙されてゆくのだろうか、心配です。


あなたはきっと今、こう思っていることでしょう。

「この人、何を言っているの?」

「頭がおかしいくないのか。」

「現に、コロナが存在するじゃないか!」 と。

そうです。その通りです。反論しません。

問題なのは、

毎日、繰り返し繰り返し同じ情報を送り続けられると、

盲目的に信じ込み、正しい判断に影響が出ることなのです。


一度、時間を3か月前に戻して見ましょう。

ことの発端は中国だ。韓国、日本。

確かに感染が広まったのは偶然ではないでしょう。

その後、イタリア、アメリカでも。

そしてここぞとばかりに株価大暴落。

不安を募らせ世界経済が一時機能停滞。

なかなか見事なストーリーだ。

一体、誰が主役で演出家は誰なのか。そこが問題だ。


あなたはこう思っているかもしれない。

「たまたま偶然でしょう」 と。

本当にそうなら、同じことは二度起きないはず。

来年、同じことが起きるならば、何かの意図だろう。

そうならないためにも、

ここで決着を付けておく必要があるのです。

私たちがマスコミ情報に操られないためにもです。

なぜなら、

コロナウイルスとは、花粉症以上、伝染病以下だからです。

ただの風邪だ。

いずれこの事実も明されることでしよう。時間の問題だ。

もちろん、多くの人が亡くなったのは事実です。

だがそれもコロナかどうかは不明のままだ。

なぜなら、

誰とも面会できずに直ちに跡形もなく焼いてしまうからだ。

死因がコロナかどうかは疑わしい。


ここであなたに質問があります。

今回の騒ぎで誰が得をし、誰が損をしたと思いますか?

マスク屋さんではありませんよ。念のために。

一度、考えてみて下さい。

続きは明日にいたします。



♬~「コロナなんてウソさ。」

♬~「コロナなんてインチキさ。」

♬~「みんなが言うから、見間違えたのさ。」~♬。



    つづく。




精神年齢ってなに?

2020-04-19 | 日記
 4月 19日  日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


私たちの精神年齢は、

どう生きているかで図られます。

例えば、

精神年齢表を考えてみました。

0~5才、感情。
6~10才、感情、理性。
11~15才、感情、理性、自我。
16~20才、感情、理性、自我、自己愛。
21~25才、感情、理性、自我、自己愛、隣人愛。
26~30才、内なる啓示を得られ、方向性が定まる精神年齢。
それ以上の精神年齢も勿論あります。

少し説明すると、

どう生きているかドライビングフォースです。

精神年齢表。パート2.
0~5才、子供は天使であり悪魔であり、
6~10才、天真爛漫で人当たりが良く、
11~15才、自我に縛られながら自由であり、
16~20才、感傷的だが相手を受け入れる余裕が生まれ、
21~25才、苦しい経験を経て現実を受け止める勇気を得て、
26~30才、自己中心的を超えて感謝の念を保持する責任者だ。

もっとも、現実を直視できるかどうかについては、

自分を直視できる分しか、自らのことは判らないように、

人は私の鏡です。

精神年齢表。パート3.
0~5才、わがままでも生きられる。 特徴:幼稚さで示される。
6~10才、かわいいだけで生きられる。特徴:子供みたいな感じ。
11~15才、反抗しても許される。 特徴:自己中心的なヤツだ。
16~20才、外見だけは一人前だ。 特徴:情緒不安定である。
21~25才、欲求と自立。 特徴:一緒にいて大人であり、
26~30才、責任と感謝。 特徴:頼りになる人格者だ。

極端に示せば、

大人か、子供かの違いです。

「はやく大人になりなさい。」 これなのです。

第一段階。
モノマネは学習です。
世間にありふれた世界観に不満を覚える時です。
この段階を終える時、勤労の意欲による
職業上のスキルを備える時期でもあります。

第二段階。
ビジョンを明確に持ち、
自然的真理に方向を転ずる時です。
ここを通過する時、新しい生活や社会的地位、
結婚といった人生観を備える時期でもあります。

第三段階。
いわば哲学を求める時です。
継続と積み重ねによる経験を経て、
徐々に形成されてゆく段階です。
人生の戦いおいて自らの力を実証する時であり、
本当の生涯の仕事を成すべき時期でもあります。

第四段階。
収穫の時です。
最後の段階は「夕暮れでも明るい」という、
約束が与えられる時です。
真実の成果をおさめて人生を飾る時であり、
この世の生活からあの世へと移り逝く段階でもあります。


人は昔から変わっていない。

歴史上の知られざる偉大な賢者から

私達に伝えてきたものそれは

究極の答えにたどり着くことよりも重要なのは、

真実を求める探究者になることである。

自分自身に関する真実を誠実に探し求めてゆく過程で、

私達は今ある自分から可能な自分へより完全で人生を肯定し、

自分を超越する人間へと少しづつ変容していくことにある。

私達は人間存在の成長欲求と希望を持ってレベルを上げるか、

怠惰や惰性によってそこから退散するかに懸かっている。

自分自身を超えて生きることは、

生きる輝きを獲得することにはまず間違いないだろう。

私達が持つ偉大な遺伝子は

日々刻々と変わってゆくその生き方な中にある。

そんな流動性を持つ要素を与えられる成長遺伝子の要因でもある。

自分自身の中に持っているその要因を働かさなければ、

真の成熟した最高の幸福を目指す方向から

私たちは間違いなく逸れてしまう。


ゲーテはこう言っています。

「君は、本気か。ならば、この瞬間をとらえよ!」
 
「出来ることを、あるいは、したいと思うことを今すぐ始めよ!」

「大胆さには非凡な魔力が宿る。ただ、没頭するだけだ!」

「そうすれば心が熱を帯びてくる。」

「今すぐ始めよ! そうすれば世界は、成果は、思うままだ。」 と。



   つづく。



地獄の黙示録が意味すること。

2020-04-17 | ウィン・ウィン王国
 4月17日  金曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


生きることが神の命なら、死は神の命令である。

一度、思い込みを脇に置けば、死は自然の営みだ。

生は死を保証する。その約束は破られない。

感覚的なものの内、

あるものは存在を知性を通じて得られるものから、

あるがままに烙印された心の迷いであり、

あるものは存在するものから来たような、

単に見せかけに過ぎない心の迷いである。

またそれには理性的なものとそうでないものとがあるが、

それは想像の産物であり机上の空論である。

思想であればもっともらしく、

なければもっともらしく聞こえないが、

そしてあるものはそのいずれでもあり、

またあるものはいずれでもない。

人は混乱や新しいものが出現しても、

それを古いものに還元し試みた後でしか

混乱や新しいものを理解し始めないものである。

物質社会とは観念の全体であり、

その観念は思考が停止した状態のものである。

快苦のかなたにあるもの、

人は生活に愛着を持っている。

死への恐れもまた、

文化の源泉として力を発揮することが出来るのだ。

歴史は儚い物語だという。

死と生は驚きもせず説明もなく示されているからだ。

歴史はある意味で死者たちの尺度だといえる。

我々は死の心配によって生を乱し、

生の心配によって死を乱している。

備えなければならないのは死に対してではない。

それにはあまりにも私達は無知である。

後がない、害のない、苦痛のない特別なもの、

恐れは無用なのである。

死の準備に対して備えるのであれば、

偉人たちの言葉に耳を傾けよ。

「死を常に目の前に見よ。」

「その時が来る前からこれを予見し考察せよ。」

「不死などとは人生最悪の出来事だ。」

そう説いている。

お釈迦様は 「諸行無常」「一切皆苦」 を悟り、

旧約聖書には、楽園から追放されたと書かれ、

新約聖書には、人は罪びとと示される。

コーランには「アラー」以外に信ずるものはないし、

プラトンは「人間は神の玩具だ」と言い残し、

トルストイは「生きんと思えばさっさと死ね」と言う。

また徳川家康は、

「人生とは重き荷を背負って遠き道を行くが如し」だ。


死は生の終末には違いないが、

いかに生きるかは人間の義務であり、

いかに死すべきかは神の義務である。

どこで命が終わってもそれはそれで全部なのだ。

死んでも不幸だった者を見たことはないが、

なぜ、運命に向かって不平を言うのか。

今日一日を見たのであれば全てを見たのだ。

それはただ一瞬のことであるから、

ただ思考によって初めて知覚される出来事だ。

死そのものは、みんなが期待するほど痛みはない。

ほんのちょっとの苦しみは人生最後の罰なのだろう。

人はみな安楽死で終わる。なぜなら、

死は神からの贈り物だからだ。

死神に見えるのはこの世が地獄だからであり、

この世の究極の目的は死の克服だ。

ノストラダムスの大予言によるメッセージとは、

「死に至る」つまり「死の克服」を意味している。

これは人類の生涯において必ず目指ざるを得ない最終目標だ。

実際、哲学にせよ、宗教にせよ、修行にせよ、

すべて死に対する備えに他ならない。

死の無視は生きることへの無視である。

確実な根拠は今のところどこにもないが、

確かなことはこの世に神は存在しないということだ。

事実、それは科学が証明している。

だからといって、未だかつて何人とも

死そのものの主題を徹底的に調べ尽くし

論ずることもなかったし、また知ってもいなかったのである。


話が長くなってきたが、

最後に興味深い話がある。


とんちで著名な室町時代の一休さんが、

亡くなる直前、こう書き残した巻物が残っている。

一休は言う。

「よいか。私が死んだ後、
 本当に困った、もうどうしようもない時以外は、
 この巻物を絶対に見てはならぬぞ!」

そう、言い残してこの世を去る。

そして、ついにその時がやって来た。

皆が集まり、一休が遺したその巻物を、

恐る恐る紐解いて見ると、

たった一言、こう書かれていた。

「心配するな。なんとかなる。」


日本の喜劇王こと、

志村ケンさんは生前こう言っていました。

「だいじょうぶだ。」 と。



    つづく。


突然、思い出した。 「ヒルティの幸福論」

2020-04-16 | 文学
 4月 16日  木曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


あらゆる疑問と謎とに満ちた現生の生活に、

道理ある解決を与えられるものは、

ただ死想論による思想だけである。

ギリシャの格言には、

神々に愛される者は早く死ぬとある。

嫌われ者、世にはばかるだ。

死の問題は全ての人生問題のうち

最も重要なものであるに違いない。

これに対する我々の態度は、

人それぞれの性格をとりわけはっきりと現わしている。

また死に対する恐怖は、

あらゆる哲学のこの上ない試金石が存在する。

死の恐怖に立ち向かえない哲学あるいは、

せいぜい人生の無常についての暗い考察に導くに過ぎないような哲学、

死生観はまず実際的にも勿論たいした価値あるものではなく、

いずれにせよ、哲学としての目的を十分に満たすことはないし、

このような哲学はそれ自体すでに道理に適ったものでもない。

なぜなら、そもそも死というものが無ければ、

どうして合理的な人間的社会的状態が考えられようか。

実際、優れた人物であってもあまりにも長生きしすぎたために、

社会や人々にとって明らかに禍となった例が少なくないではないか。

死は元来、

進化の大調和をかき乱す烈しい不協和音のような禍ではなく、

それどころかむしろ一つの幸いですらある。

すなわち善と悪とが戦わなければならないような、

地上の世界がともかしも存在しうるということは、

およそ死、無くしては考えられないことである。

生死の大いなる思想なしに、

来世を信じるか否かの一点によって、

我々の人生哲学の全体が左右されるのである。

苦しい逆境はいつまでも続くものではなく、

その後、

もっと楽しい生活があるからこそ

それが出来るのとよく似ている。

それゆえ、

死それ自体はなんら恐ろしいものではない。

また、願わしからぬものでさえない。

なおも死を酷く恐れる者は、

未だ人生の正しい歩みを得ていないのであろう。

恐ろしいのは、ただ老年になって過去を顧みて

自分の生涯が全く誤った無益なものだったことを知るとき、もしくは、

赦されることのない大きな罪が山積みするのを知った場合だけである。


もういい加減、死の話も飽き飽きしてきたころだろう。

だが、これだけは知っておきたいことがある。

我々に必要なのは、

神の国の実現ではなく、

この地獄での正しい認識が何よりも重要なのだ。


あとそれとここで、

たまには一曲でも。


♬~「あの日僕にくれた 貴方の笑顔が」

♬~「生きる力と 勇気をくれたんだ」

♬~「星が見えない 孤独な夜でも」

♬~「貴方がいる ただそれだけで 強くなれる」~♬



     つづく。



死想論(ヨーロピアン・スタイル)

2020-04-15 | ウィン・ウィン王国
 4月 15日  水曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


宗教家によると、

世界中の人々は死によって一つになる。

死は世界の秩序を組み立てる究極の真理であるそうだ。

ヘーゲルは、

動物から人間への移行の決定的な要素が死であることを主張し、

カントもまた、

死、とくに死への恐れが将来という時間に対する想像力を掻き立てることを指摘している。

人間的なもののその死が直接的かつ常に存在する限り、

人間の全体性は恒常的にあらゆる人間に現生する。

人類の真理に関する予測が万人へと向けて出現されるのである。

私たちは一つの運命を持ち、歴史は一つの真実を語る。

いずれにしろ、死を通じて人類の目を開かせる何かが必要なのだ。

何らかの死を超えて明るみに出そうとする試みである。

だが一方、

死の観点から見れば、死ぬまで知らない方がよいこともある。

死ぬことは私の主体的な出来事なのだが、私はそれを認識することが出来ず、

それ故、私にとってそれが真実を持たないからである。

人は自分が認識出来るものによって成されていると言うサルトルの実在である。

また、ハイデガーは、

不安という感情は人間が自己の死の可能性に直面し、

実在の不可能性に脅かされ続けることだと言う。

現存在が不安という感情のうちにあるのは、

己の実在が無に、すなわち死に直面している時なのである。

そしてその死に直面した人間は、日常的に黙認しつつ、

死の不気味さに困惑させられていることを認識するのである。

フロイトの話によると、

死が日常の出来事となり、

誰もが死に直面せざるを得ない状況から、

西洋文明における死に対する偽善的な姿勢が崩壊したことを指摘する。

死がもはや目を背けることの出来ないものとなったのである。

死というものは実は人間の深いところを規定していたのである。

私たちの社会が死と深い関係にあることには疑う余地はない。

我々の社会は常に死の恐怖に動かされているのが現状だ。

フロイトはこう話している。

死に対してこれまで固辞してきた姿勢に混乱が生じている。

私達は死に対して率直な姿勢をとってきたとは言い難い。

死はすべての生けるものにとって避けがたい出口であること、

人間は誰も自然に対して死という「ツケ」を払う

準備をしておくべきであることを認めるのである。

ところが実際には

私達はまるでそうではないかのように振る舞っている。

私達には死を見えないところに隠してしまい、

生から死を排除しようとする傾向があることは疑問の余地のないところである。

まるで死を黙殺しようとするかのようであり、

「それを死のごとくないものと思え」という諺に表れている。

その死とはもちろん自分の死のことである。

自分の死を思い描くことが難しく、

死を思い描こうと努力すればするほど、

観察者のように自分の死を見守ることが出来ないことが分かる。

この為、精神分析の世界では、

誰も自分が死ぬとは信じていないことと同じことが無意識の内では

誰もが自分が不死だと確信していると考えられているのである。

他人の死については、

文明人は死を迎えようとしている者の近くでは、

死について口にしないよう慎重に振る舞う。

成人した文明人は他人の死を思い出すことも好まず、

思い出した場合には自分のことを悪い人だと思い込むのである。

他人が死ねば自由が得られるとか、財産を受け継げるとか、

地位が与えられるという場合にも、

文明人であれば他人の死に後ろめたさを感じるのである。

勿論この様な思いやりを示したからといって、

死ぬ恐怖が和らぐ訳ではない。

死が訪れると、その度毎に私達は深く動揺し、

期待を裏切られた気持ちになるのである。

そして死は事故とか疫病とか感染とか、

偶発的な出来事をきっかけとして起こるものだと強調しがちだが、

その背後には死を必然性ではなく、

偶然性なものと考えるという願いが見え隠れしているのである。

そして他者の死が続くと、

何か恐ろしいことが起きたかのように感じるのである。

私達は死者に対しては、

極めて困難なことを成し遂げた人に対する

崇敬の念を感じるかの様な、ある特別な姿勢を取る。

そして死者を批判しないようにする。

死者が何か悪しきことをしていたとしてもそれを見逃し、

死者について善きことのみを語れと命令するのである。

葬儀や墓前ではできるだけ褒め称えることが相応しいとされている。

死んでしまった者はもはや他人の誉め言葉を必要しないのに、

死者に敬意を払うことが現実的で一番大切なこととされている。

私達の多くは生者に対するよりも大きな尊敬の念を死者に払うのである。


私たちの感情の絆と悲しみの耐え難いほどの強度のために、

自らは危険を避け、親しい者にも危険を冒さないようにする。

それは考えるだけでマヒしてしまう。

死を生の考慮の内から排除しようとするこの傾向のために、

他にも様々な営みが断念され排除されてきた。

だから私達は死によって

失われてきたものの代償を生のうちで探し求めるには、

文学を通じて様々な体験に頼るしかない。

私達が死と和解することが出来る条件が満たされるのはこの文学だけである。

ここでのみ、死の様々な浮き沈みにも悲しみにも関わらず、

不可侵の生というものを維持することが守られるのである。

フロイトはこう言い残しています。

「生に耐えようとすれば、死に備えよ」と。



    つづく。





人類の弱点は死の恐怖だ。

2020-04-13 | ウィン・ウィン王国
 4月13日  月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


弱さは強さだ。恐怖は始まりだ。

私たちホモサピエンスは、

クロマニヨン人やネアンデルタール人から

進化したように思われがちだが、

先行する種族は全部、私達の古いモデルではなく、

約10万年前にはこの地球に少なくとも、

六つの異なるヒト属が同時に暮らしていた。

その中でも一番ひ弱でお人好しなホモサピエンスは、

不幸にも不運で不憫な生活を強いられていた。

ホモサピエンスには野蛮で獰猛ないとこが大勢いるばかりか、

強情で自分勝手な兄弟姉妹と同居していた。

その中でもとりわけネアンデルタール人は、

大柄で火を扱い、恐れを知らない強者たちで、

氷河期のヨーロッパの気候に上手く適応し、

それでいて狩の名手でもあった。

また、

アジアの最も東側に住み着いていたホモエレクトス(直立した人)は、

なんと、200万年近くも生き延びた強者たちである。

これ程長く生き延びた人類種は他になく、

ネアンデルタール人に比べれば小柄で穏やかだった。

もしかすると私たち東洋人は、

200万年生き延びた先人の遺伝子を受け継いでいるかもしれない。

ヒト属の中でも最もひ弱で絶えず捕食獣から身を守り、

小さな動物を追い求めながらひっそりと暮らしていた。

時には肉食獣が食べ残していった御馳走で飢えを凌いだりもしていた。

現代人が小さな虫を見るだけで「ギャー!」となるのは、

そんな名残りがあるのだろうか。


それでもホモサピエンスが過去10万年間に渡り初めて、

人類が植物連鎖の頂点に立つのは奇跡に近かった。

当時、地上に君臨する捕食獣の大半は、

堂々たる生き物たちであった。

何百年にも及ぶ動植物界の支配を通じて

捕食獣たちは自信に満ちていた。

それに比べれば

ホモサピエンスはむしろサバンナを追われ、

つい最近までジャングルの負け組の一つだった。

常に不安と恐怖に怯えていた。

現代人が何かとすぐに嫌な記憶が蘇るのは

そんな名残りがあるのだろうか。

そんな中、

地球は恐ろしい迄の自然環境が激変してゆく。

多くの動物たちは絶滅していった。

ホモソロエンシスの遺物は五万年前に消えた。

ホモデニソワたちもその後、姿を消した。

ネアンデルタール人が絶滅したのは三万年ほど前である。

ホモフローレシエンスの消息が途絶えたのは一万年前のことだった。

唯一、この地上に生き残る人類種となったのは、

私たちホモサピエンス(賢い人)。最後の人類だ。

生き残った秘密は何なのだろうか?

これ程までに過酷な条件と生態的に異なる生息環境を

潜り抜けて移り住むことが出来た理由とは何なのか。

私たちがどうやって他の動物たちを凌ぐ力を得て、

地球を支配していったのか。

なぜ、

巨人で強靭だった他の人類種が生き延びれなかったのか。

そんな最も有力な答えは、

ひ弱なサピエンスが選択した利他的行為、

「火事場の馬鹿力」であろう。

唯一、

潜在能力を発揮する者だけが生き残る「適応者」である。




     つづく。


「死詩集」

2020-04-12 | ウィン・ウィン王国
 4月 12日  日曜日

 おはようございます。  ロスト・ロスト大王です。


私達がどうのたうち回ろうとも、

世界の最後の結論はこうだ。

「死は神からの贈りもの」 であると。

実際、世界は死の恐怖によって動かされている。

遥か世界を、長い世界史の積み重ねられた努力で、

絶えず極め、絶えず探り、

終わることなく、しばしまとめ上げ、

最も尊いものを真摯に探し当てながら、

賢く保持し、社会は一段と成長する。

我々には悟ることが少ないが、継続するしかあるまい。

きっといつの日か判る日が来るだろう。


社会が持ちうるものは、なるほど素晴らしい。

欲求を満たす為の何かを引き出す能力、それも大したものだ。

人は重い鎖を畏れて、軽い罠の中に駆け込む。

狂おしい時代に出会い、時世に従って狂おしい程に生きた。

愚かなるまでに、素直なことは、それもまたいいものだ。

欲するものを保持していると思い込んでいる時ほど、

最も欲するものから遠ざかっていることはない。

豊かさは節度の中にだけ存在する。

無秩序を忍ぶか、不正を装うか、社会は常に、

全力で生きる人間のベストな要求に応じようとする。

善きサマリア人は常に冒険者だ。

有能な者は相互に良好な関係を築く必要こそ本物といえる。

その日、その日は同じに見えても、私達は春夏秋冬に属している。

そして生きるものは変化に対する覚悟を持っていなければならない。

我々は無常なるものを無常としてだけ受け止めるのではなく、

喜びには悩みが、幸せには苦しみが無ければならない。

己の喜びを人類の喜びに拡大しよう。

偉大なることを欲するまで、心を研ぎ澄ます。

制限の限りにおいて初めて自立が現れるように、

自然の恵みが我々に自由の恩恵を与えるのだ。

神々しくは、生活と同じく、

深く入り込めば入り込むほど、広がりを持つ。

その広がりは誰の足元にでも転がっている。

内容を見出すには、それに働きかけようとする者だけだ。

形式は大抵の者にとって邪魔なだけである。

中途半端にやる習慣を脱し、

人の中に、社会の中に、自然の中に、

決然として生きることを心せんかな。

どんな人生においても本来、最も注目に値するのは、その意志である。

「今心無中」 だ。

何事についても希望することは、反抗することに等しい。

可能なものの限界を図ることは、誰にでも容易い様に、

人生の到達し得る最高の境地は驚きにある。

何かを得ようとするなら、遠くを探す必要はない。

みよ。真実はまこと近くにあるではないか。

身の回りをよく見よ。

かの「一」は永遠に「一」であるが、

多分にも「一」は永遠に唯一のもの。

その「一」の中に多を見い出せ。

多を「一」の様に感ぜよ。

然らば「一」が生死の初めと終わりが得られる。

死せよ。成せよ。この一事を会得せざる限りは、

地獄による地上の苦行の現象に過ぎず。




      つづく。




終末時計、残り 「100秒」

2020-04-11 | 社会問題
 4月 11日  土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


なんでも、

終末時計の時刻は、

ノーベル賞受賞者ら専門家たちが

過去一年の世界情勢に基づき決定しているそうだ。

そんな「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は、

地球最後の日までの残り時間を概念的に示す

「終末時計」 の最新時刻を 「100秒」 と発表した。

1947年の創設以来、過去最短である。

2018年と2019年はいずれも 「あと2分」 で、

1953年と並び、これまでの中では過去最短だったが、

世界はさらに危機的な状況に陥っていると警告を発した。

終末時間、残り 「100秒」。

さて、どうする?


ふと、思い出したので書いて擱きました。

いつか何かの役に立つかもしれない・・・。



    つづく。





 死想論 (日本バージョン)

2020-04-10 | ウィン・ウィン王国
 4月 10日  金曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


このたび、いかにして生死の迷いを離れるべきや。

有事は、時がままに。

時がままに存在であり、存在が悉く時であれ。

しばらく、

時であるにすぎない。

世界の全体を尽している。



日本の名著 「葉隠」 を訳せばこうなる。


生を説くと無常となり、落ち着かず、

死を衝いてこそ、やすらぎを得る。

人を相手にせず、天を相手にせよ。

なぜと申せば、

人は天につかえる身であるのだから。

その天を恐れず、人をとがめず、

今を尽して道に達するのみ。

恐れるな! 悲しむな! 

死気は生気の集積された大賢であり、

これぞ、根本であろうが。

運命とは、命懸けであり、

宿命とは、努力に比例し、

使命とは、お役に立つこと也。

死を喜んで受け入れるのならば、

生命をまっとうすることが宜しかろう。

生きるのは、容易いうちに処理し、

死ぬことは、些細なうちに始末せよ。

退く者は既に水の如し。

天地に終始無く、吾らに生死有り。

同じ死ぬなら世の為になさることが宜しかろう。

一人ひとりがそうであれば、さて、いかにも。

人は死後に救いを求める弱気心の持ち主よりも、

ただ現世にあるべきようにありたいと願うがつわもの。

「常住死中」 「死は自の為の死」 犬死さえも恐れず、

必死の覚悟は一日毎に仕切るが如し。

その日、その日を最期と思わば、

なにものにも成すものである。

生きることばかりを強いて、

死ぬことを知らざれば害。その身に至る。

然らば、今日という徹する以外に明日は見えない。

何事もみな、まぼろしの世中にて、

死ぬる計りぞ、誠なりける。


「心身、ずたずたにされ、災難に巻き込まれ、

 大金をくすねられて、逃げ場無く、崖から飛び降り、

 大自然の驚異に打ちひしがれながら、

 目に見えない敵と戦い、

 病死、貧死の時の死期をなめる。」


用心せよと言うのではない。

その前に、死んでおけという意味なのだ。

また、

仏道の世界においてはこう示されている。

生きんと思わば、天にまかせ。

死は仏に一任するべし。

命は、天の吾を労すもの也。

死は、道の吾を安するもの也。

命は、神の命令書のようなもの。

死は、神からの大切な贈りもの。

私たちは、

目で見えない「何者」かによって生かされている「生気」であり、

「霊」と「我」とは三位一体である。

それ故、深い気づきを「自得」と申す。

その為には、

自己を仕上げなければ事は成さん。運命は動かん。

万事を尽して天命を待つ。

人の一生は、重き荷を背負って遠き道を行くが如し。

日本人とは、修行僧であるのだ。


宗教とは、これ生死を本とする。仏道も然り。

道元禅師曰く、

「よく知るが良い。

 生死は仏道の行委であり、仏家の道具なり。

 それによく通じており、使い道をよく心得る。

 もし、この生死の世界をわきまえなければ、

 どうして、その人を仏家のある人と言えようか。

 我々は、生死の迷いに沈んでいると考えてはならない。

 また、生死のさ中にあるものと見てもいけない。

 あるいは、死後は無死であると信じてもならない。」

 
生死は心に任せ、生死は身に任せ、生死は仏道に任せ、

生死は目には見えない 「何者」 かに任せるのである。




     つづく。