酒好き文化風俗研究者

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「幸福」を「科学」する。

2019-12-29 | グルメ
 12月29日 日曜日


 こんにちは。 酒好きの思想家です。


生きている間に

必要以上のエンドルフィンを出し続けることは、

死の際に必要とするモルヒネ効果が低下し、

痛みや苦しみが増す可能性がある。

キムチに多く含まれるカプサイシンとは、

神経の受容体を活性化させるアルカロイドだ。

つまり、苦痛を和らげるモルヒネ作用の役割をもつ。

そんなカプサイシンを 「穏やかなマゾヒズム」 と定義し、

舌で辛みを感知すると、脳が痛みを緩和するためエンドルフィンを放出する。

エンドルフィンとは痛みを鎮める生理学的な物質を備えた神経伝達物質だ。

カプサイシンの麻酔効果は近年の化学文献でしっかりと証明されている。

しかしそこには、問題が生じるのである。副作用があるのだ。

使いすぎると依存を起こし、死に際の痛みに効果が薄れるのである。

また、幸せと同様、分泌量にも何かしらの均一性があるようにみえる。

そこで今日は、

「幸せとはいったい何なのか?」 について 「科学」 します。

幸福感をつかさどる神経伝達物質、

セロトニン、ドーパミン、アドレナリン、オキシトシンとは、

私たちの幸福を感じさせる神経系と情報伝達を果たしているだけでなく、

脳の状態、閃きとされるインスピレーションにも影響を与えているのである。

脳の知られざる隠された機能、私達に幸福感を与えてくれるものである。

我々は現在、ありあまる贅沢の生活から幸せを守るための、

新しい幸福手段を見つけなければならない時代なのである。


これらの神経伝達物質は腸内で製造され脳に送られる。

胎内に宿るミトコンドリアは私たち細胞に必要なエネルギーを作る発電所のようなものだ。

ミトコンドリア無くしては高等生物の生活などまったく考えられない。

ミトコンドリアが神経伝達物質に重要な役割を果たしている証拠はたくさんある。

決定的な証拠は、二重らせんのDNAで、ミトコンドリは分裂し増殖してゆく。

従って、何を食べるかが幸福にとって何よりも重要となるのである。

私自身、かつて 「ランナーズハイ」 の体験者だが、

走っている時の苦痛は全く感じず、それどころか強く快楽を感じるのだ。

しかし副作用があって、正常に戻ると「うつ状態」に似た疲労感に襲われる。

こういった現象に対して何を食べれるべきかが解かれば幸福のコントロールが可能となるだろう。


そこでもう一つ重要な要素がある。

哲学的な問いである 「幸せとは」 何かだ。

幸福と苦痛は表裏一体である。

苦痛の無いところに幸福はない。

苦痛が先で、その後に幸福へと続く。

苦痛ー幸福ー苦痛ー幸福ー苦痛ー幸福の順番が理想的だ。

しかし現実を見渡してみると、

苦痛ー苦痛ー苦痛ー幸福の順番のように、なかなか上手に行かないようだ。

幸福ー幸福ー幸福と続くことは稀で、

それは一つ前の幸福感を台無しにした結果の幸福感である。

実際、一つ前の幸福はもう幸福ではなくなるからだ。

喉の渇きが一杯の水に力を感じるように、

有り余る水はかえって不快を生じさせる。

詳しく知りたい貴方は哲学書をどうぞ。


ここまでを踏まえ、「幸せについて」 もっと具体的な説明が求められる。

結論から言えば、

「幸せとは」 = 「朝ごはん」 である。

具体的には 「スープ系」、日本の場合は 「みそ汁」 である。

できれば 「具がたくさん」 入ったお味噌汁が最高だ。

なぜなら、

腸内の体温を上昇させなければミトコンドリが活発化せず、

幸福をつかさどる脳内神経伝達物質が作用しないからである。

つまり低体温では幸せにはなれずに引き籠りが起きる。

行動することが、起き上がることがすでに不快なのだ。

また、毎朝の朝食が幸福感への 「リセット」 となる。

一杯のみそ汁から始まる幸福への物語のスタートだ。

朝から「すき焼き」ではお昼に食べる「味噌煮込みうどん」がかすんでしまう。

実際、お味噌汁が体に良いことは医者も認めているように、

朝ごはんとは、ローコスト・ハイリターン、合理的だ。

朝食後、さっそくアドレナリン、ドーパミンを仕事や勉強に活用する。

活用方法は苦痛が先である。努力が先、「光の向こう側」 だ。

ここでは詳しい説明を省くが、

昼過ぎに眠たくなるのは例の副作用の仕業だ。

出来ることなら、シエンタをお勧めしたい。

逆に、極度に神経伝達物質を活用し過ぎるのは危険である。

「いざという時」 のために残しておいたほうが良いようだ。

死がいつ何時に遣ってくるかが判らないからだ。

どうやら私たちが死ね時には神経伝達物質のおかげで、

痛みや苦しみが感じないよう出来ているのである。

幸せの神様は私達の最期を幸福へと導いてくれると約束している。

それこそが、真の 「幸福」 を 「科学」 することだと断言して今日は終わろう。



   つづく。


メリークリスマス。

2019-12-25 | グルメ
 12月25日 水曜日

 こんばんは。 酒好きの思想家です。


今夜はみんな仲良く。メリークリスマス!


クリスマスに、ふと気づいたことがあります。

クリスマスケーキが新しい問題を生んでいると。

ケーキが大好きな私が、4種類のケーキから

一つしか選べないとしたら実に苦痛だ。

どれか一つに決めた瞬間、

他のケーキをあきらめなければならないし、

苺がたっぷりか、それともチョコレートケーキにするべきか、

いや、アイスクリームケーキにすれば良かったと後悔するに違いない。

一番良いのは、全部食べることだが、

そんなことをすれば逆効果で、また後悔してしまう。

かといって、どれか一つを選べば結局、

「本当にこれで良かったのか?」と

考えながらお店を出ることになるのだ・・・・・・・。


クリスマスケーキとは、

「複雑さ」の例であって、「難解さ」の例ではない。

大多数の人達がクリスマスケーキが好きなことは私も知っている。

だが実際にはどれにしようか、誰もその答えに到達していない・・。

「複雑さ」の現象には、

一つ一つ細部にわたって調べれば説明が付くが、

「難解さ」の現象の場合はそうはいかない。

その結果が一つ一つの感情により常に激しく揺さぶるからだ。

クリスマスケーキは私のことなど気にかけないし、

周囲の反対やリスクなどにも恐れていない。

選択することは「難解さ」なものであり、

ケーキ自体は「複雑さ」なものである。

クリスマスケーキは色々と工夫することは可能だし、

それでいて基本的な性質は何も変わらない。

例えば、

チョコケーキに苺がたっぷりでもケーキはケーキだ。

一方、「難解さ」の場合、

自らの選択に自信が無くなってしまうと、

クリスマスケーキの概念までもが覆される危険がある。

大切なことは、

クリスマスケーキの構成要素ではなく、

どのケーキが一番なのかではなく、

一年に一度のクリスマスをどう過ごすかにあるのだ。

芸術と同じくクリスマスは見る者の目の中に映し出す一つの真実なのである。



    つづく。


ウィン・チュー食堂。(日曜の早朝)

2019-04-14 | グルメ
  3月14日 日曜日

 おはようございます。 

 酒好き思想家(店長) と 年上の女性(初のお客様)です。


突然ですが、イメージしてください。 (ハイ。)

「お風呂」、チィ・チィ・チィ・チィ (・・・。)

「ベッド」、チィ・チィ・チィ・チィ (・・・。)

「コタツ」、チィ・チィ・チィ・チィ (片付けました)

「車の中」、チィ・チィ・チィ・チィ (リラックスかな)

「日向ぼっこ」、チィ・チィ・チィ・・(解りませんね)

答える前に、まずは一曲。      (・・・。)


♬~♬「Force Force 信じる力をもっと!」

♬~♬「Force Force 愛する力をもっと!」

♬~♬「Force Force 私を導く力を与えたまえ!」♬~♬。



答えは、

「インスピレーション・ひらめく場所」でした。 (パチパチ)

理由ですが、

どうやらインスピレーションを得る方法があるみたいです。

1、リラックスはその通り、大当たりです。(パチパチ)

2、一人きりの空間が大切なようです。 (フムフム)

3、体を温めることが一番重要なのです。 (そうなの) 

なぜかと言うと、

科学的には解りませんが、仮説を立ててみました。

リラックスした状態で体を温めると、

体内微生物の一つであるミトコンドリアが活性化するというものです。

ウィン・ウィン王国流で説明するなら、

体内幸菌ウィン・チューが活動し出して

ミーム(遺伝子)に直接何らかの指示を送り、

脳内幸せ物質、セロトニンやドーパミンなどが働き出すというものです。


そこでひらめいたのですが、気になることがあるのです。

食事中、私たちの体温は上昇しますよね。

ですが、食事中に一度も閃いたためしが無いのです。

おそらく血流か何かが関係しているものだと思いますが、

重要なのは、食後のお風呂にあるのです。

もちろん、コタツでも構いませんし、布団の中でもOKです。

とにかく、体を温めてリラックスする。これです。

そこで問題なのですが、

食事中、何を食べた後にその「閃きの源泉」が隠されているかがポイントだ。

ここからがウィン・チュー食堂の腕の見せ所なのですが、

確定はしていませんが、とにかく一度試して下さいませんか。

「暖かいスープ」をです。

温かいスープでお腹を満たすのです。

要するに、「汁物」 ですね。

理由はよく解りません。

お茶漬けでも構いません。消化の良い暖かい汁物がいいかと。

体と心と内臓をいっぺんに温めてくれるものが望ましい。

それに安上がりですしね。

思い出して見てください。

なぜ? 「シメ」にラーメンなのでしょうか?

なぜ? 寝起きに味噌汁が飲みたくなるのでしょうか?

そうです! それなのです。

私たちが普段何気に食べている 「汁物」 には

とてつもない秘密が隠されていたのです。

そしてそれらが、

インスピレーションを生み出す 「一品」 だったという訳です。



ウィン・チュー食堂。まだまだこの先が楽しみです。


   つづく。


ウィン・チュー食堂。(夜間の部)

2019-04-05 | グルメ
  4月5日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


説明しよう。

ウィン・チュー食堂とは、

日中は、「幸せ細菌」 ウィン・チューを体内で育てる食堂であるが、

夜間は、「必要悪」 を開放して健全な心体を保つ為の食堂となるのだ。


ウィン・チューの素晴らしさは既に説明済みだ。

宇宙は、ウィン・チューで示されているというようにロマンがあり、

人生とは、ウィン・チューで始まりウィン・チューで終わる

「醒めても胸の騒ぐなりけり」 である。

それはまるでこの世界の秩序を守るかのような勢いを感じられるもので、

同時に、ウィン・チューの限界が秩序の限界のように私達の限界がある。

実際、ウィン・チューがエレガントでパーフェクトなのは、

私達の生まれ持った能力だけではなくて、

それを神がお望みになり考案されたからである。

つまり、ウィン・チューとは事実上、「愛」 であると言っていい。

だから、社会生活に対してウィン・チューで答えを導き出すことが自然的だ。

不完全性定理でもって、自然秩序を含む形式的体系が矛盾するのは、

その体系内では真とも偽とも証明出来ない命題が存在するのだが、

ウィン・チューがそれを確固たる命題に変え、真の証明可能とする。

最大の矛盾とは、神の不在によるものだが、

幾らかの「必要悪」は顕在するにしても、

善悪の、損得の、バランスによる秩序はウィン・チューが回復する。


説明はこのくらいにして、

今日は、「夜間営業・必要悪食堂」 について考えてみたいと思います。

分かり易く言えば、「酒、タバコ、ギャンブル、カラオケ、上司の愚痴」だ。

ストレスと感情を開放する時間と空間が我々にはどうしても必要だ。

そもそも、居酒屋という概念が出現した時期とは、

今から約250年前の江戸時代であるが、

全世界を見渡せば、約2,500年前のメソポタミア文明にまで遡る。

当時ビールは「泡の立つ飲み物」として労働者に飲まれていた。

一日中、汗を流して働いた男たちが仕事帰りに「ちょっと一杯」と

酒場を楽しんだのはどうやら私だけではないみたいだ。

もちろん、江戸時代にはビールはないが、

上方より船で運ばれる極上の銘酒から

「中ぐみ」「下り酒」など、その日の気分に合わせて楽しんでいた。


そこで最近、疑問があるのです。

酒好きの一人として言わせていただくが、

「強・炭酸」は悪酔いするのである。

ビールにせよ、缶酎ハイにせよ、ドンペリニヨンにせよ、

こんなに旨くない(あえて不味いとは言わない)

お酒を飲まされたのでは売り上げが激減するのも当然だろうと思う。

日本の酒造メーカーは「必要悪」が判っていないのだろうか気がかりだ。

私たちはいつでも善人でいるのは困難、苦痛、ストレスであるから、

酒場で哲学を想起する時間と空間が必然で必要だ。

それが 「ウィン・チュー食堂」 の夜の部の

存在価値であり存在理由であるのだ。


     つづく。




ウィンチュー食堂。オープン!

2019-03-17 | グルメ
 3月17日 日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


味わったり消化したり出来る微生物の活性化には、

食事をしようとする者、その料理が何であれ、

料理の本質が何であるかを知りことが第一の務めである。

贅沢が必ずしも食欲を満足させられない理由には、

味覚の追及にばかり目をやり、

お腹の中の声に耳を貸さないからである。

どんなつまらない食材でも、ひと工夫は現にあるもので満たされ

決して自らに不平を言ったりはしない。ひょっとすると、

体内微生物の多様性が、移民の多様性をも解決できるかもしれない。

それと同時に、「その土地で暮らす者は、その土地の物を食す」

と言うことわざにも、あながち間違っているとは思われない。


自然は私達に大きな恩恵をもたらしてきた。

その一つに、死滅した多くの食物がなおも生命との関連を

持ち続けていることを示す事例である。

日本酒は酒蔵の中で季節がいくらかずつ変化するに従って旨味が増す。

発酵食品もそうである。進んだ食生活だ。

生きているものたちがやがて変化するのと同じ法則に従って変化するのである。

料理だけが私たちに幸福や不幸を与えている訳ではない。

ただその素材と種子を提供するだけである。それを

それよりも強い食欲によって好きなように工夫を加えたり用いたりする。

外からやって来るものは何であれ、

内部組織からの味わいに原因があり支持されるように、

食事が体を温めるのは、それ自体がもっている熱によってではなく、

体内微生物の活性化による熱量であり、その熱に味覚の何かが隠されている。

私たちはエントロピーを食べて生きているのだ。

体温の低下には、訳の分からない様々な病気を引き起こすものだが、

実際、「熱い料理」「熱い食卓」 が美味しく感じるのは当然だ。

なぜなら、体温を上昇させるからである。

「微生物に働け!」 と指示を出す。それにはやはり 「多様性」 だ。

毎日同じ料理が飽きる理由はそういうことである。

グルメは言ってみれば、複雑な味がする料理だ。

そして 「毒」 を加えてさらに体内微生物を働かせ熱を生ませる。

食材は腐る直前が旨いと言われているし、

毎日食べれば病気になる料理ほど人気がある。

なるほど、どおりで美味しいはずだ。体温が上昇するだからだ。

そうするとどうなるか? ここまでをまとめてみると、

ウィンチュー食堂のレシピとは、

1、多様性と現地物によるバランス。

2、発酵食品とひと工夫。

3、熱量と毒。

こうなります。そこで疑問です。

みなさんはおそらく不思議に思っていることでしょう。

「料理が出てこない。」「メニューがない。」 と。

その通りです。誰か教えて頂けませんか。そのレシピを。

私よりも優れた人たちがたくさんいるはずですからね。

一緒にあみ出しましょう。ウィンチューメニューを!

ウィンチューが世界を救う! そのレシピを!


   つづく。


ウィンチュー食堂。(オープン前)

2019-03-14 | グルメ
 3月14日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


私たちの食事は大きく変わった。

食べ物は本来、命のやりとりのはず。

忙しすぎる社会の中ではいつしか自分の食べるものに関して

自分でコントロールすることをやめてしまった。

自分の食生活が幸福に直結しているものだと思っている人は、

かなり高い生活水準の思想をお持ちのはずである。

だがしかし、そもそも幸せな食生活とはどんなものなのだろうか。

一つハッキリしているのは、

現代の食事は私たちにあまり適していないということだ。

幸せは単なる物質過剰の結果ではなく、

エネルギー調整のバランスによる表裏一体にある。

実際、グルメの追及が美食につながる訳では決してなく、

また、偏った食生活も味気のないものであるように、

では、そうすると、味噌汁を飲みながら

日本酒を同時に飲めば良いというのだろうか。

まあ、たぶんそういうことだ。

美味しさの定義は味覚によるものではなく、

体内微生物が欲するものを求める新陳代謝にある。

したがって私たちがすべきことは、

できるだけ多くの食べ物を目のあたりに見ること。

そして自らの微生物の内なる声の赴くままに任せること。

間違っても、便利で美味しいからといって

コンビニばかりでは幸せになれるとは考えにくい。

毎日の生活の中で、誰もが納得するような答えが見当たらない。


人は本来どう食べるべきか。ウィンチュー食堂のテーマである。

人と猿との違いは、火を使って料理するかしないかだから、

火を使って調理することに何らかの意味があると考えられる。

つまり、自らの食事を他人にコントロールさせないことによって、

健康や幸福が手に入るものだと、不確実だがそれしか言えない。

できる事なら私だって毎日、外食に出かけたい。だが、

おそらく私の体内微生物がそれを許さないだろう。

だからといって当然、そう単純な話でもない。


我々の体内にはおよそ100兆以上の微生物が存在する。

100、000、000、000、000以上である。

むろん、良い微生物もいればそうでないものもいるだろう。

その中の一つに、

私たちの幸せを司る微生物がいても何ら不思議ではない。

遺伝子とは異なる能力を持つ「ウィン・チュー」との友好的絆だ。

具体的には、「キス」 だ。

人はなぜ 「キス」 をするのか。

唇と唇を重ね合う行為をする動物はなにも人間だけでなく、

その目的と行為はかなりの部分が生物学的なものである。

幸せを深めるために微生物を交換するという、けっこう危険な行動だ。

とりわけ、衛生的に不潔なものとは遠慮したい。

だがしかしことはかなり重大だ。

相手がどんな「ウィン・チュー」を保持しているか確かめる手段だからだ。

それだけではない。「キス」は互いの微生物を試食することでもある。

「キス」とは相手の「ウィン・チュー」の味見のようなもので、

私たちはその行為を通して感情的に生物学的に幸せを手に入れている。

大変なことである!

「ウィン・チュー」が我々にとって最大のグルメかもしれないのだ!

問題なのは、その 「幸せ菌」 の不足にある。

「悪い菌」を押しのけ、「幸せ菌」を増幅させる。

その目的が、ウィンチュー食堂のオープン理由、存在価値だ。

しかし正直言って成功するか解らない。なぜなら、

この幸せ菌こと「ウィン・チュー」は女性が保有しているものだからだ。

男性である私の中にはいないのが問題だ。

だからなおのこと、食べることによって得られれば良いと考える。

ウィンチュー食堂。

人類の幸福のためにオープンする。


   つづく。


食べることで「ウィン・チュー」を育てられないか?

2019-03-13 | グルメ
 3月13日 水曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


今から約2,500年前、

医学会の伝説ことヒポクラテスは、

すべての病気は腸から始まると考えていた。

当時、腸には100兆の微生物がいるとは知らなかったが、

もしかすると、

2,500年後にウィン・チューが知られるようになることを、

何か感じ取っていたに違いない・・・。


また、ダーウィンが「種の起源」を著した時、

「消化管の分泌物が感情に影響を与え、体に直接作用し、

 それが意思によってどうにかできるものではない。」と書いたが、

ウィン・チューの発見までには至らなかった・・・。


「狂気は微生物が原因?」 と題する書物を見た。

私たちの性格は生まれつきのものではなく、

ウィン・チューによって返られるかもしれない・・・。


ウィン・チューがあなたを幸福にするその

メカニズムについて説明しておこう。

それには迷走神経が関係している。

迷走神経は脳から体の中を通って、

様々な臓器に伸びている神経だ。

その神経は全長にわたり知覚の変化を伝えたりする。

「腹の虫」「虫の知らせ」がそれにあたる。

私たちの幸せをつかさどる神経伝達物質、

セロトニン・アドレナリン・ドーパミン・オキシトシンは

基本的に体内で生産され、脳に送られる。

不足すれば不安を引き起こすように、

ウィン・チュー不足は幸福感不足を意味する。

なぜ幸せを感じるのかは今のことろ不明だが、

幸せを感じるのは確かなようだ。


どうやら、私たちの幸福は遺伝子だけではなさそうだ。

ウィン・チューを見出して、ウィン・チューを育て上げ、

幸せを手に入れる時、私たちには自らにその資質があることに気づく。

ウィン・チューは冒険家だ。挑戦することが大好きだ。

自身の性格は固定されたものでは決してない。

良質な体内微生物が多ければあなたは良い人柄になる。

心も体も良い細菌たちの影響を受ける時、

「自分らしさ」 の範囲が拡大されて行く。

確かに 「恋心」 は人を盲目にしたりもする。

正直言ってしまえば、あまり心地よいものではないのも確かだ。

時にはショッキングな行動に出ることもあろう。

しかし、ウィン・チューは伝染することを思い出してほしい。

風邪のウイルスがあなたに感染するなら、

ウィン・チューも同様。負けられない。

集団貢献的な意識の拡張という概念に新たな意味が加わるのである。

少なくとも、お互いのウィン・チューを共有できれば、

今より社会環境が良くなる機会が生じるものと信じている。

自らの体内微生物が個人の枠を超えて広まるという考え方はまさに、

「ウィン・チューが世界を浄化する」その第一歩にほかならない。



    つづく。


 

味覚は本当に正しいの?

2019-02-02 | グルメ
 2月2日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


なるほど。

先生がお話しする通り、

確かに私たちの味覚は、

安全でかつ、求めるものが美味しく感じるものだと思います。

どんなに体に善くても食べたくないものは体が必要としていないわけです。

だから、好き嫌いはあって然るべきだと言われる。

そうですよね。よく分かりました。

そこで一度、

私自身の味覚を探ってみたいと思います。

子供の頃はピーマンが苦手でしたが、今は焼いたピーマンが一番好き。

昔は「もずく酢」なんで誰が食べるのかと思っていたが、酢の物が旨い。

五年前までは「こってり派」だった私も今では「あっさり派」だ。

「吉牛」も汁だくから汁なしに変わった。

そうか! 自分の味覚はどれも正しいのか。

だから、食べたいものを食べればいいのか。

納得いたしました。これからはそうします。

さすが先生。ためになるお話、いつもありがとうございました。


次は、私の意見を聞いてください。

人間の味覚はたいして当てにならないと思います。

なぜなら、食事は工夫だと考えるからです。

一日断食をすれば好き嫌いを言わなくなるからです。

梅干が好きではなかった頃は、味噌汁に入れ、

カレーライスに納豆を混ぜてから食べられるようになり、

大人になった今でも牛乳が飲めませんが、

ホットミルクだけはメチャ旨い。(洗うのが大変)

嫌いな食べ物でも工夫次第で好きになるから不思議です。

また、環境が変われば味覚も変わります。

田舎で食べた味と、都会とでは違いますし、

愛する人の手料理は何を食べても感激です。

仮に、世界ごった煮料理大賞を開催するなら、どうなるでしょうか?

きっと、大盛り上がりすること間違いありません。

それともう一つ。

疲れていたり、風邪気味だったり、パニックだったりすると、

味覚が全部、メロン味に感じたりします。

だから、怒っている時にはメロン味が万能です。


そうは言っても、グルメには反対です。

贅沢はやがて当然となり、新たな味覚を追求し始めます。

あいにくグルメの視点では、幸福の物差しとしては不完全です。

「もったいない」 と 「損切り」 です。「反省」 です。

食事の醍醐味は、

頑張ったご褒美とちょっとした工夫の中に味覚の本質があるのではないかと考えるのです。

日本人は、春夏秋冬を食し、その土地のものに感謝し、工夫と愛情をスパイスする。

幸せと味覚の追求には、その人の幸福度を表す人生観が隠されているかもしれません。

「なにが好きですか?」 この一言で問われる幸福感です。

味覚が疑わしいのは、生活が乱れているからかもしれません。

先生が以前言っていました、「時々、まずい物を食べる」 リセットは賛成です。

味覚は幸せ、幸せは味覚、味覚を楽しむ・・・これでいかがでしょうか。

でも、本当に食べたいものを無意識で安全に選択する私たちの味覚は大したものです。

味覚をもっと信用したいと思います。

先生。ありがとうございました。


   つづく。


名古屋冷やし中華論争。

2018-08-04 | グルメ
 8月4日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


名古屋の夏の風物詩の一つである

冷やし中華論争に決着をつける時が来たようである。


結論はこうだ。

名古屋人と在日中国人と在日朝鮮人とのフュージョンだ。


食文化とは偉大である。

感情的な人間では一生涯乗り越えられない大きな壁を難なく乗り越えられる離れ業だ。

人と人とを結びつける夏の風物詩に県外の外部に文句を言われる筋合いはない。

さすが日本だ。 足を引っ張らせれば宇宙一だ。


ことの発端はマヨネーズだ。

確かに、冷やし麺にマヨネーズは合わない。

合うのは、キュウリだ。ハムと卵焼きだ。

紅ショウガの存在価値とは、カラシで「ツーンと」やられた鼻を緩和するものである。


最大の問題点は、

最近、見かけなくなったが、たまに見かける「冷凍ミカンとチェリー」だ。

この論争は今後も続くと思われるが、

分かってもらいたいことが一つある。それは

名古屋人たちによる味わいの広さとつながりである。

常に戦いを望む感情人間には決して手に入れられない豊かさがここにあるのだ。


冷やし中華が美味しい理由とは、

華やかさでもなければ手軽さでもない。まして

何か下心が隠されているわけでもない。

なんちゅうか、ほんちゅうか、冷やし中華であるのだ。








    つづく。





幸せと料理との関係。

2018-02-28 | グルメ
 2月28日 水曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


B級グルメで思い出しましたが、

私も料理が趣味です。料理中に良いアイデアが浮かぶ時もある。

どのくらい料理が好きかというと、

育てたフライパン3つ、鍋が大小合わせて5つ、大き目の圧力なべもある。

お米は自分が炊くご飯が世界一旨いと思っていますし、

出刃包丁一本あれば何でもできる自信もあります。(みんなも一緒かな?)



話をテーマに移して、幸せと料理との関係についてです。


相関関係があればそこに因果関係を見出せるかもしれないし、

相関関係だけではやはり因果関係を導くことは難しい。


人は食物を火で料理するようになってから、

強い体と優れた脳をもつ種に進化した。

人とサルとの違いは、火を使って食事をするかだ。

もし、サルたちが火を使って料理を始めたら

サルたちもブログを書き始めるに違いない。「酒好きのサルたち」と・・・。


幸せと不幸は表裏一体である。

不幸の無いところに幸せはない。

善悪も同様に、悪のいない正義は存在できない。

従って、まず先に不幸が必要になる。

なぜ、不幸が先なのかはこの世が楽園ではないからだ。

因果関係と相関関係だから受け入れることが適切だ。


だから、喜びに比例した努力を続ける必要が生じてくる。

まず、買い物に行き重い荷物を運ぶことが重要だ。

そして絶え間ない研究と創意工夫で食事を仕上げる。

自らのためではない。他人のためだ。

旨い目玉焼きとは、他人に与えられた目玉焼きでは決してない。

自らが試行錯誤し悪戦苦闘した目玉焼きこそが世界一だ。

料理をしない人は料理をする人よりチョットだけ損をしているかもしれません。


また、圧力鍋はローリスク・ハイリターンだ。

活用すればするほどに利益を生む。時間とガス代を節約できるからだ。

たしかに購入する時は抵抗もするし反対をも押し切らなければならないが、

半年、一年もすると「なぜ、もっと早く買わなかったのか」と後悔する。

圧力鍋が重たいのも因果関係と相関関係の成せる業だ。


忘れられないのが、「おふくろの味」である。

「おふくろの味」がなぜ旨いのかは、それは何度も温めなおすからであり、

何度も何度も繰り返し火を入れなおす程、味が染み込み深味が増す。

これが「おふくろの味」の真相である。

自らのためではない。家族のためにである。


幸せはどこにあるのか?

勘の良いヤツは気づけよ。





   つづく。




B級グルメって何?

2018-02-27 | グルメ
 2月27日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


東京オリンピック応援ブログです。


B級グルメがオリンピックにはなくてはならないものかは分かりますが、

じゃあいったいB級グルメって何をもってB級グルメなのか。

考えてみると、

その土地に根付いた生活の知恵であり、

それがいつしか地域社会の食文化となり、人を喜ばせるものをB級グルメという。

一品、500円のグルメを楽しめない者に、

一品、5,000円のグルメの価値が分からないように、

B級グルメの価値とは、知恵と工夫と独創性にある。

例えるなら、

真夏に食べる「そうめん」とは、

味もなければ栄養もなく、見た目にもインパクトが欠けはするが、

日本人は「そうめん」を食べているのではなく、

「日本の夏」を「春夏秋冬」を味わっているのである。

「たこやき」も同様、「たこやき」でご飯が食べられるのは

それは「大阪食文化」を感じて味わっているからである。

ただの「たこやき」ではないのだ。

「広島焼」は広島文化と歴史を味わい、

「なごやめし」も「味噌好き」だけではないのです。

「江戸前寿司」もまた世界に誇る下町食文化なのである。

つまりB級グルメとは、ただ美味しいだけではなく、

その土地の伝統、文化、人々の知恵やユーモアの詰め合わせなのである。


その土地で暮らす者はその土地の物をいただくことが正しい食生活であるように

旅先で出会うB級グルメもまた旅行の醍醐味のひとつである。それが

いつしかマクドナルドを買い、コンビニ弁当で済ませるのでは

あまりにも「もったいない」。

私たち日本人は

「食文化」を通じて多くの人と分かり合えると信じているのです。

東京オリンピックでは仲間同士、

おいしいB級グルメを楽しみましょう。




   つづく。





食中毒が気になる季節です。

2016-06-01 | グルメ
 6月1日 水曜日

 こんにちは、 酒好きの思想家です。


今日は軽めのブログです。

食中毒について

です。


酒好き思想家の考えでは、

食中毒を引き起こす細菌は、

 「光っている」 と考えます。

なぜなら、

目立たなければ増殖出来ないからです。

ひょっとすると、細菌たちは、

臭いだけではなく、音も発しているかもしれません?。
(進化する食中毒菌たち。)


実際、ボイルしたイカが腐りだすと、

 「緑色」 に光っているように、

その「緑に輝く」光が、食中毒菌ですね。
(勝手な推測)

細菌の増殖を防ぐのと同時に、

食中毒菌が人間の目に見えるようになれば、さらに安心です。


しかし、ちょっとまってください。

この考えには根拠がまったくありません。

なんの科学的な証拠もありません。

イカ好きの思想家が勝手に考えているだけです。
(腹を壊さない為にね)


ちなみに、私が考える最高のイカ料理は、

「クリームチーズ」に「イカの塩辛」を乗せて食べる手作り料理です。
(手作りと言えるのかな?)

体に悪そうですが、一度食べたら「やみつき」間違いなしです。



  つづく。


卵かけごはん & のりたまふりかけ。

2015-03-31 | グルメ
卵料理の美味しいお店は他に何を食べても美味しいお店ですが、その中でも卵かけご飯がめちゃくちゃ美味しくて、のりたまふりかけがサービスなら一生の思い出になるのは私だけでしょうか?

世界中で卵かけご飯が食べられるのは日本だけですが、卵かけご飯と海苔との相性は最強。それをふりかけにしてくれたのが「のりたま」だ。

日本人の食文化は奥が深い。高級料理だけが和食ではないように、庶民の味方であってこそ和を食するものである。

なぜ、卵かけご飯の話をするかと言うと、ダイエット中だからです。

ダイエットで気づいたことは食べることに対して初心に戻れることのようです。

私にとってその初心が卵かけご飯と「のりたま」なのです。

忙しさとストレスでどうやら感謝を忘れていたようです・・・。反省します。


ラーメン好きな人達はいい人が多い理由

2014-10-04 | グルメ

ラーメンの人気は美味しさにあるのは勿論のこと、その秘密は食べにくさ、苦痛にあります。

丼の重さと丼の熱さは危険を味わっているのです。
麺の長さは食べにくいほど集中し、スープは溢れるほどに美味しく見えます。

箸での食べにくさは天下一品であり、能書きの多さがラーメンを一層味わい深く、その美味しさを引き立たせているのです。

ラーメンファンの多くは並んででも食べようとします。まさに自己犠牲的な風景ですね。
ラーメン好きな人達はいい人が多いのもうなずけます。