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ユナイテッド・キングダム

2020-01-28 | 社会問題
 1月28日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


英国がなんだか騒がしいですが、

日本人として不思議な違和感が湧き上がります。

なぜなら、

1、英国を独立民族集団と呼ぶのは、日本も同じである。

2、英国は外国が嫌いだ。日本人は自分をアジアの一員だと思っていない。

3、ほとんど感情を表に出さずに、本音と建前を使い分ける。

4、不便を楽しみに変えて、逆境を通じて人生を学んでゆく。

5、歴史が好きで伝統や文化を何よりも維持せよとする。

6、皇族を見るとなぜだか心が安らぐ。

7、国を一つにまとめるには戦しかない。そしてその戦に長けている。

8、握手する時には、一定の距離感をもって少し離れて握手する。

9、英国は良識に従い、日本は良心に従う。

10、クラブ好きなのは仲間と一緒だと安心する。

11、イギリスの格言 「ペット好きに根っからの悪人はいない」

12、人に会うとすぐに「お茶する」。時間が空けばとりあえず「お茶する」。

13、スポーツのゴールシーンを繰り返し見るのが好きだ。

14、何事も「ほどほどに」がナイスで、やりすぎると取り繕うとする。

15、英国は創意工夫に富んでいるが、みんな他国に持ってかれる。

16、これは島国の特徴かもしれないが、

   なにかと天気番組に人気が集まる。天気の話題はコミュニケーションの一つだ。


これって、もしかして

日本のことを言っているのだろうか・・・?

いや、違う。七つの海を支配した大英帝国の話だ。


流石、ユナイテッドキングダム。日本とは一味違う。

英国はあくまでも

自分たちが同意の上で統括されていると信じている。

自分の運命は自分で決めるし、

個人の権利や自由、独立性には敏感であり、

自らが法律に従うのは、自分がそう選んだからだというように、

その法律が道理に適っているか、

最終決定権は英国になくてはならないと我慢できない。


どうやら島国日本は、

今回の一件から学ぶべきところが沢山あるようです。




    つづく。


ウィンチュー VS 自己チュー

2020-01-27 | 社会問題
 1月27日 月曜日  おはようございます。 

ミーム(利他的な女の子)と ジーン(利己的な男の子)五才の双子の遺伝子です。


幸せ細菌である 「ウィンチュー」 にはライバルが存在する。

「自己チュー」 だ。

だいたい、人と人との争いの原因のほとんどは、

利己的 VS 利己的 であるのだから、

強い者だけが生き残るジャングルの掟には、

「自己チュー」 が幅を広げることになる。

そんな 「自己チュー」 だが、面白いことに

自分自身よりもレベルの高い「自己チュー」な人物には弱いらしい。

例えば、

最も最悪な「自己チュー」が、

二番目に最悪な「自己チュー」を従え、

三番目の「自己チュー」がそれを真似る。

「自己チュー」 社会とは階級社会であり、

「ウィンチュー」 を支配することで喜びを見出す。

したがって、「ウィンチュー」は「自己チュー」 にイジメられる。

こういう場合の対策には、

「自己チュー」 同士を集めて競わせるのが効果的だ。

逆に、「ウィンチュー」 同士が集まれば愛が生まれるように、

「自己チュー」と「ウィンチュー」、その共存など考えないほうが身のためだ。


過去半世紀の間に日本社会は、

「自己チュー」 の支配が目を見張るくらい成長を遂げたが、

そのほとんどは 「自己チュー」 同士による激しいバトルによって激化した。

「ウィンチュー」 が認識しつつあるのは、

人間に備わる 「隣人愛」 の境界線上にある世界観が、

いつしか 「自己チュー」 に乗っ取られ脅かされていることである。

実際、その根源から現実化するまでの間、

「自己チュー」は「ウィンチュー」 の境界線で活動している。

その後 「ウィンチュー」 を排除し、悪意ある要素を導き入れ、

根の表裏に付着して定着し、代謝を拡大への架け橋とする。

そうすることで最も弱い 「自己チュー」 でさえ、

しばし培養し続けられるようになったのである。

私たちが頼りにしているはずの 「ウィンチュー」 でさえ、

時の試練に耐えざるを得ない例外的なものではないのだ。


何事にも社会的なバランスが重要をきたす一方で、

「隣人愛」 の有効とされた伝統的な慣習と根拠には、

「ウィンチュー」 によってすべて解明されてゆく。

長年、「隣人愛」 の主流は、

そのような慣習を「愛の欠如」によるものだと片付けてきた。

これはある種の慣習、悪名高き 「自己チュー」 による仕業である。

「隣人愛」 による伝統的なプロセスとその結果には、

有効なものがある理由を私たちは今、知りつつあるところだ。

それは社会的な関係の要となる有益な間柄を支えるものだからである。

それこそが有機的に十分な良心的関係を保てるかどうかの重要な理由、

そして、

愛の世界観に秩序と調和をもたらす環境を整える然るべき理由だ。

少し奇妙に聞こえるかもしれないが、

「自己チュー」と「ウィンチュー」 とを場合によって使い分けることが、

健全と不健全の分かれ目となりうるのだ。

「自己チュー」 が互いに傷つけ合う愚行は永遠に私たちに付きまとい、

元々の要素を混乱させることで新しい問題を作り出して行く。

これは非常にまずい戦略の特徴だ。地獄社会での方程式だ。

社会全体を焼き尽くす有害な 「自己チュー」 を

餓えさせて与えるだけでなく、一堂に集めて競わせるのが得策だと考える。

同じように、「ウィンチュー」 では、

お互いに 「隣人愛』 を脅かす場合にのみ、

必要に応じて、優先順位に置き換えて排除する。

「この場所では、自己チュー。あなたとならウィンチュー」 だ。

そうでもしなければ、

「ウィンチュー」 が食い物にされて

「自己チュー」 が野放しになるのである。



    つづく。



日本人の労働観、「はたらく」とは「隣人愛」である。

2020-01-26 | 
 1月26日 日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


先日、女子高生と労働観念や仕事とは何かについて

いろいろと話をしていて気が付いたのですが、

日本人の労働観念である 「はたらく」 とは、

「はた」 を 「らく」 にするから

「はたらく」 ことであるように、

この労働観は、まぎれもなく 「隣人愛」 だ。

日本社会とは 「愛」 で満たされているのである。

「義理」 と 「任侠」 も同様に。

続けて言えば、

人に感謝されるからお金が得られると考える日本人には、

報酬とは感謝の代価であって、

欧米諸国が言う、

罪びとが背負った罰による労働では決してない。

だからなのか、ダークスーツがよく似合う。

いくら欧米諸国が日本に、

どれほど優れたエキスパートを送り込んでも、

「愛ある労働者」 に勝てない訳がここにあるのだ。

もしも、マルクス経済学に日本の労働観が備わっていたら、

こんな競争社会になっていなかったに違いない・・・。

実際、社会経済の進歩は競争原理によって、

徐々に過激で過剰な生産的な創造性を糧に、

生産、消費、拡大が繰り返されるのだが、

一つ重要なことを忘れてしまっている。

「愛ある労働」 である。

アダム・スミスが言うように、

人はみな、手持ち資金から

最大の価値を引き出す有利な使い道を見出すことを常に努力する。

その際、一般的には社会の利益に役立ちたいとは考えていないし、

どれだけ社会の役に立つのかも判らない。

人々の頭の中にあるのは、

あくまでも自分自身が得することであり、損することは最も嫌う。

だが、自分にとって何が本当の利益かをよくよく考えれば、

「愛ある労働」 こそに導かれることが、

自分では意図していなかった目標や成果が、

しばしば自分で意図していた以上に

社会の利益を効果的に促進しているのである。

「幸運な人物」 とは、

自らの幸福が社会の幸福に直結していると自信を深める。

また、

アンナ・アーレントが言うように、

肉体の消耗と回復という定められた循環には、

「愛ある労働」 による

労働の苦難の後に喜びが訪れ、

疲労の後に安楽が訪れるという循環であるように、

「愛ある労働」 が無ければ、

ずっと苦しみの中にとどまり続けなければならない。

なぜなら、

疲労と回復の循環運動のバランスが崩れるからである。

アンバランスの例を挙げれば、

消耗の後に回復が訪れず、そのまま

悲惨な状態が続く貧困と困窮の生活。

また、労働を避けて肉体が消耗することがなく、

それゆえに回復の代わりに怠惰が訪れ、

幸福の場所に不毛が訪れるという巨富の生活。

見栄は張れるが基本的な幸福感を台無しにしているのである。

「愛ある労働」 とはつまり、

「はたらく」 を通じて消耗と回復の連続から成り立っており、

大きな喜びは役に立った後でしか訪れない。

そして常に 「幸福」 にとどまろうとする企みは

不幸にも必ずと言ってよいほど失敗に終わるのだ。



      つづく。



憲法改正の前に。

2020-01-23 | 社会問題
 1月23日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


きっと日本が憲法を改正する時には、

米国が日本軍を復活させるのが望ましいと判断され、

そうなった時、

国民は自国の新憲法を改正しなければならなくなり、

米国もまた、

ポツダム宣言に代わる同盟宣言書を交わす必要が出てくる。

いずれにしても、

日本は自己防衛に関する軍事力の強化を認める方針を基に、

日本国憲法の改正を検討していく必要が生じるのである。

もちろん条件つきである。

核兵器を絶対に持たないこと。これだろう。



ここからの話はとりわけ重要なので、どうしても取り上げる必要がある。


1954年(昭和29年)

国家安全保障会議(NSC)による極秘文章が、

ホワイトハウスの執務室の机の上に置かれた。

「アメリカ政府の対日政策に関する勧告」 と題する極秘文章には、

事実上それが

その後の数年間にわたる日本人の生活を想定したアメリカ政府の方針と、

国家安全保障会議(NSC)の意向を示した政策であった。

それは「英知の統治者」と称するマッカーサー元帥の草案に、

調和をもたらす優れた内容が書かれたものであった。

米政府がこの時点で、

講和条約を押し付けるような行動に出ないことを勧告していた。

だがしかし、いよいよ講和条約が締結されたあかつきには、

その条約ができる限り

「簡素で、統括的で、かつ懲罰的でないもの」 になることを望んだ。

極秘文章はまた、

アメリカがそれまでの間に占領軍の規模縮小を勧告しながらも、

沖縄を長期間にわたる米軍の管理下におく想定にたって、

海軍基地として発展させることを提議している。

その為の維持費を

戦後最も貧しい沖縄に負担させずに済む段取りを素早く取り付け、

米軍が自弁する方法に切り替えることを勧告しているのである。

また同時に、

海上自衛隊を含めた日本の警察組織の強化を求めている。


マッカーサー元帥のことを百も承知なNSCは彼に対し、

「日本政府への干渉をする前にホワイトハウスと協議すること」を要請している。

そして最も注目すべき重要な部分、

ホワイトハウスの英断としてこの極秘文章の中でも最も優れた部分、

「日本経済の回復こそ米政府の対日政策が次の時期に目指すべき最大の目標」だと述べた個所だ。

報告書にはこう示されている。


「我々は日本政府に対して復興計画の成否は、

 つらい仕事をいとわず、休日を最小限度にとどめ、

 耐貧生活に甘んじ、厳しいインフレと戦うことによって

 国力を高め、高水準の生産性を維持していく。

 日本人の努力に主として懸かっていることを、

 はっきり理解させておくべきだ」と。


この報告書が

ホワイトハウスの執務室の机の上に置かれてから2年と経たぬ内に、

朝鮮半島で戦闘を続けるアメリカ兵に必要な物資を提供する為の、

日本の国内生産による工場が素早くも立ち上がり、

新規注文を次々と引き受けていったことは改めて説明するまでもない。


断っておくが、なにも私は

トルーマン大統領が正しいことをやったとは一言も言っていない。

しかし、

戦後日本の奇跡とも言れたこれほどまでの復活をもたらしたのは、

まぎれもなくホワイトハウスの優れた対策、軍人たちの非凡な力量、

戦勝国アメリカを恨むのではなく、うらやむ姿勢を示した国民、

そして、日本とアメリカによる良心の呵責。それとつぐないであろう。



    つづく。



憲法議論について。

2020-01-22 | 社会問題
 1月22日 水曜日

 こんばんは、 酒好きの思想家です。


安倍総理も同様に、

日米安全保障条約のカサが永遠に続くものではないと考えています。

遅かれ早かれ今世紀中には、

日本は自らの自衛権を世界情勢に応じた形で、

また、財源を考慮しつつ地政学的に合わせて

漸進的に築き上げてゆく必要に迫われると考えられる。

さらには、世界各国と協力した有志連合などによる

平和と自由を守ってゆくことになると言明しても差し支えないだろう。

安全保障問題に強い総理大臣はそうざらにはいないように、

むしろ、安全保障で安倍総理の後継者が今の国会にいるのか心配だ。


近代史を振り返ると、

日米安全保障条約とは、

日本が再軍備するにあたり、米国との同盟として

日本領土に米軍基地を存続させることを目論する。

日本が再び帝国主義への復活を防ぐとともに、

第二次世界大戦の勝利国として、

永久に封じ込まなければならない理由が存在するのだ。

間違いなく、米軍の日本駐留を継続させるものは、これだ。


戦後、吉田首相はかつてこの様なことを言い残しています。

「再軍備よりも経済再建が優先する」と。

当時は、バズーカー砲よりバターであった。軍服より背広だ。

また、日本の再軍備には国民がどんな反応をするか解らなかったし、

隣国が何よりも不安と怒りを呼ぶのではないかと予想した。


1946年6月29日、吉田首相は衆議院で、

日本の自衛権と交戦権を放棄。

「正当防衛権を認めることそれ自体が有害」だと主張する。

それから三週間後、国家警察予備隊に同意し、

米軍から軍事訓練を受け、兵器を支給されても、

あくまで「軍隊ではない」と言い張った。

実際、憲法九条の条項を誰よりも弁護していたのは吉田首相である。

憲法九条には、日本国民は

「国権の発動たる戦争と武力による脅威または武力の行使は、

 国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」とある。

米国に日本が平和を重んじることを納得させるには、

あれから70年以上の年月が必要だったのである。

と同時に、

米軍が日本をソ連から守ってくれると見抜いていた。

それによって再軍備に掛かる経費のすべてを

経済再建に費やし近代化を推し進めていく。日本の奇跡である。

その後、日本の自衛隊が認められたのは

ほかならぬ北朝鮮が南へ侵攻したからである。

情勢は現代も同じのようだ。


話が少しばかり外れるが、

「征服する英雄」と称したマッカーサー元帥は戦後、

農地改革、神武禁化、財閥解体、マスコミ規制、反戦教育それと

米国生活様式を日本に移植するといったバラエティーに富む支配を試みた。

たしかに米国に押し付けられたとはいえ、

東アジアの近代化の見本となったのは事実である。

現在、憲法改正の議論を呼んでいるのは、

占領下でのアメリカの不備によるものではなく、

まして憲法の成文によるものでもなければ、

突然敵意を剥き出しにしてくる隣国に対する対抗策にあるのだ。

もし仮に、

現代の日本の生活に不満が残っているとすれば、

それは、事実に基づいた近代史の欠如と、

高度な工業化による副産物であろう。

確かに米国が押し付けた憲法を70年以上も守り続けた責任は十分に果たせた。

さらに日本国憲法を改正せずに、これからも100年間、

守り続ければ世界中から大きな信用が得られよう。

戦争責任を果たす上でも100年間の憲法維持は評価されよう。

それが国民の望みならばそれも良かろう。

しかし、

現憲法よりも素晴らしい立案があり、

アメリカの国力がこれを許し、

グローバル経済力が整い、国民が自主防衛を認め、

諸外国の情勢をもこれを持たざるに至るならば、

国民投票によって憲法改正という手段になると思われる。

決めるのは国民である。

二十一世紀の日本を取り巻く世界情勢にどの様な対策があるのか。

陸海空軍その他の戦力を保持せずに、

一体どうやって国民を外敵から守るのか。

私たちには知る権利があるのです。




     つづく。


カルロス・ゴーン

2020-01-21 | 社会問題
 1月21日 火曜日

 おはようございます。 グリーン・DE・クリーンです。


これと言って取り上げるつもりはなかったのですが、

随分と長らく「ゴーン・ショック」を報道しているところを見ますと、

おそらく重要な事件なのだと考え、私も参加しようと思った次第なのです。


あれは確か二年前のお正月の初めでしたか。

経済新聞がカルロス・ゴーンを取り上げ高く評価したと思えば、

その年の終わりには「ゴーン逮捕」の記事で騒ぐ。

それを目にして思ったことは、

日経の記事に書かれない方がよいことと、

日本の経営学は平等思想なのだと思ったことである。

いわゆる日本では企業はまるで

人間と同じような感情を持っているといってもよいだろう。

したがって日本企業には、

社内による異例の抜擢といったものはめったになく、

社外から連れてくる以外にヒーローは生まれない。

また社内では、給料の開きが大幅になることはなく、

能力給による成果主義制度の導入はなかなか難しいのが現状だ。

ひと口で言うなら、日本社会では

平等思想が企業存立の基本となっていると言えるのである。

そこで一度、多国籍企業と比べてみることにしたい。

日本人が自社の体制の長所と見ているものには、

欧米諸国にはビックリするような弱点に映って見える。

その一つが、米国企業やEU連合で一番力を入れているのは、

天才たちの足を引っ張ることではなく、

思い切った昇給による天才の能力に十分に酬いることなのである。

それどころかむしろ、

天才たちが思いもよらぬ高給で他社に引き抜かれないよう、

社運を賭けた是非とも必要な対策なのである。


日本式経営学の大切な仕事の一つ、

技能についても、給料や地位についても、

少なくても平等の建て前を取り続けることにあるだろう。

それに対して、欧米諸国での経営学には、

天才を見つけ出し、彼らを励まして研究を進めさせる一方、

自社の強みに変えて発明に次ぐ発明により社会貢献可能とするのである。

その為に手厚く酬いることが経営者の責務となる。

日本の場合、

ギリシャ神話に出てくる「プロクルステス」のように、

ベッドの大きさに合わせて天才の足を切り落とすところを、

欧米諸国の場合、

そのベッドをゆとりをもたせて拡大させ、

天才たちの居心地を良くしようとするのである。

その意味で、日本ではよくある話だが、

外人マネージャーに付き添う駐在員が、

本社の意向がまとまった線にそって最善を尽くすという段取りを命じる。

いきおい、外人マネージャーは欲求不満に陥らざるを得ない。

なぜなら、意思決定のコンセンサスに加わることが出来ず、

よそ者扱いされているからである。

エリートであるカルロス・ゴーンも例外ではないはずだ。


それにしても「ゴーン・ショック」のおかげである。

日本人が何かと見過ごされてきたものに目を向けられるようになったのは。

やはり「血の入れ替え」は人間には必要なのかもしれません。




     つづく。



日本人は 「のろま」

2020-01-20 | 日記
 1月20日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


本当にその通りです。

私はいつになればウィン・ウィン王国を創り出すのだろうか・・・?

全くもって 「のろま」 なのです。考えてみます(反省)。

1、怠け者。(酒の飲みすぎ)

2、気が小さい。(パラノイア)

3、無責任。(言い訳上手)

4、みんな主義。(足の引っ張り合い)

5、自己満足。(下積み生活)


日本人に深く根強く息づいている 「のろま」 という動かぬ事実として、

じかに肌に感じられるもの、とりもなおさず日本人の弱点であり長所でもあるはずの、

ことさら日本人的観念 「みんな主義」 というコンセンサスつまり、

国民の総意という 「みんなの意見はだいたい正しい」 について考えてみる。

本来 「みんな主義」 とは、

集団で意見を出し合った上で合意に達するといったものだが、

日本人の場合、

必要に迫られて否応なしに意見を一つにまとめたというタイプのコンセンサスである。

つまり、切羽詰まらなければ動かない日本人だ(反省)。

職場で言うなら、

社員は口を堅くし、トップと幹部だけで決定を下すように、

日本流コンセンサスの核心は、

上意下達の仕組みと服従と忠誠が組織的美徳だ。

社員が出来ることは、

労働規則の話し合いと職場の改善くらいである。


元々 「みんな主義」 とは、

労使協調の意味が含まれる。だが、不幸にしてそれは

自由な考えを圧殺する一面も持っている。

責任(けじめ)である。

「君が、責任を取れ!」 

この一言が真面目な日本人には強迫観念だ。

なんとも奇妙なコンセンサスに聞こえるが、理由がある。

集団主義による最大の弱点として知らぬ者はいない、

言わずと知れた 「足の引っ張り合い」 それだ。

日本人の得意技、「出る杭はみんなで打つ続けるべし」 である。

こうした 「みんな主義」 のお膝元では、

ケタ外れの天才を生み出せなくしてゆく。

大それた計画に挑む者は異端者なのである。

いちいちまわりくどい説明を求められてしまうのだ。

香港なら、

有望な人材とみればたちまち大抜擢となるところが、

日本では 「下積み生活」 が重要視される。

何事も石の上に10年だ。

代表的な例は、イエスマンに囲まれた勤労精神である。

「従うことが上手な者こそ、主人になれる」 という座右の銘、

一蓮托生による根回しが8割、「習うより慣れよ」 だ。

こうした日本人の観念、とりわけ文化といってもよさそうな生活スタイルは、

現在、グローバルの変化によって攻撃に曝されているが、

今なお、激しい競り合いに耐えて 「みんな主義」 は健在である。

だがしかし、私は 「みんな主義」 を否定はしない。

なぜなら、

21世紀のダイナミックな進歩を続ける日本人にとって、

「みんな主義」 が一つの保証でもあるからだ。

過去、日本の奇跡と呼ばれた、

戦後の経済成長率12%超えや、

昭和32年に250億ドルだった日本のDNPが、

1980年には一兆ドルを超えるなど、

高度成長の発展を支えた秘密を解くカギだからだ。

しかし、同時に

日本人の成功を阻む要因でもあるのだ。




    つづく。



法の統一

2020-01-19 | ウィン・ウィン王国
 1月19日 日曜日

 こんばんは、 ウィン・ウィン国王です。


世界統一は法の統一であり、自然法にあります。

その自然法があることは誰もが認めるところですが、いまいちよく解らない。

パスカルはこう言っています。

 「自然法を否認して、自ら法を創り、それに厳格に服している。

 その様な人々がこの世に存在することは、考えるとおかしなことだ」 と。


現代の法は、善人を助ける為にあるのではなく、

罪人を捕らえる為にある。

言うなれば 「人権」 とは、

ルールを守らない人がルールを破るための 「権利」 だ。

弁護士にお聞きしたい。

「その罪人を助けて社会的ダメージはないのか?」 と。


私たちに自由が与えられるのは、

それ相当の秩序や社会ルールを厳守するから得られるのもであり、

その為の法は、人と人との相互依存関係の具体的構造となる。

ところが現代の法は、

悪を没する法であって良心ある者を助長する法となっていない。

勿論、悪が野放しにであっては社会的な不安ですが、

善人をさらに発展させるのも合理的だと考える。

一度、世界各国の司法を比べてみると、

違憲性だけの理由で全て機能不全を起こす危険がある。

わざわざ例を挙げる必要はないだろう。例のアレだ。

裁判官が否応なく 「憲法違反だ!」 と判決を下しても、

不正(賄賂)で、英知を欠き、社会に不安を与える判決はいくらでもある。

勿論、裁判官であっても人の子だ。不備が生じることもあろう。

その為の補足的なチェックが自然法となる。

自然法とは普遍的な法のことをいう。

極端に言うなら、裁判官の判決を合議知でチェックする。

自然法は普遍的であり世界統一法であるように、

万民法、国民法、市民法すべてに共通した一つの法を承認し、

あらゆる法の現実の究極において、そこから生じるところの源泉であること、

基本権である生命、自由、財産、幸福の追求を確認させるのが自然法である。


現代の法は法律家の言う 「形式的」 な前例を重視しているように、

それは裁判官の命令に服従する「秩序」なのだろうが、

自然法によってその意義を正当化することが可能になる。

なぜなら、法は主義において前提としての仮定に過ぎないからだ。

現代の法は、不適格で不十分で押しつけがましく同意できないのだ。

世界中の人々が一つの法に同意し、

それに判断を委ねられる自然法が理想的だ。

問題なのは、

この自然法が誰も解らないのである。

世界中の人々が自然法があることは分かっているが、

誰一人として説明できない。


どうやら21世紀の人類は未だ、

不完全で無秩序な社会に身を置いているようである・・・。


    つづく。


仲良くパンをちぎるコン・パーネ。

2020-01-15 | ウィン・ウィン王国
 1月15日 水曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


(ウィンウィン国王)

トランプ大統領はよく戦争を止めてくれた。

それとイラン国民にも感謝をします。

結局のところ、

戦争は軍幹部たちによる暴走以外の何物でもない訳だ。

アメリカ国民もイラン国民も戦争など望んではいない。


(酒好き思想家)

戦争を止める方法は二つ考えられます。

一つは、自国民が軍を支持しないことと、

もう一つは、

戦争責任を明確にするために解散権を設けることです。

自衛権と解散権は国民の平和的権利だと憲法に明記するのです。


(ロスト・ロスト大王)

革命防衛隊ほどの新鋭部隊が民間機を誤射するだろうか?

民間機には機体情報を地上に伝える信号を常に発している。

革命防衛軍が識別できないはずがない。

まさしく軍部による暴走であろう。


(ジーン遺伝子)

見せしめだ!

戦争から逃げようとするヤツは決して許せない!

軍隊とは人を殺すことで勲章が授与されるように、

一人殺せば殺人者だが、多くを殺せば英雄だ!


(ミーム遺伝子)

革命者とはレーニンでさえ、

革命後の事はよく判っていませんでした。

ただ、今の体制が気に入らないだけで、

少なくとも現状よりかは多少マシなのだと。

個人的思想と感情的行動による冒険主義的妄想です。


(AI・グリーン)

私には戦争への情報はインプットされていません。

それよりも気になるのは大暴落です。

戦争になればすかさず大暴落になると予想します。

なぜなら、

血が流れたら 「買い」 だからです。

株なんてものは 「売れ」 なければただの紙切れですから。

都合いい回収のタイミングとなる訳です。


(年上の女性)

トランプ大統領はビジネスマンですから、

米企業の輸出が不利になるドル高を強く警戒しています。

元々、米国ドルが強いのは当たり前で、

行き過ぎたドル高に問題があると言っています。

だから中国の為替に対する対応が重要だと。

強いドルと強い人民元とのバランスが大切だと考えているのです。


(ジーン遺伝子)

中東に海上自衛隊が派遣されましたが、

トヨタ自動車の派遣社員と同じ、いい笑いものでしょう。

何が出来るのでしょうか? 

私なら 「邪魔。いらない。」


(ミーム遺伝子)

それにしても安倍総理はよくやっています。

危険水域にある中東に出向いて、

各国へ海自派遣に協力を要請しています。

日本の海上自衛隊を孤立させないためのものでしょう。


(ロスト・ロスト大王)

昨年、ローマ法王が日本に来て気づいたのだが、

ローマ法王に自由はないな。

バチカンこそが真の英知だろう。

世界が壊滅してもバチカンだけは難攻不落の要塞だ。


(酒好き思想家)

ローマ法王が日本からの帰りに、

「中国へ行きたい」と言ったのは本音でしょうね。

私自身、北海道へ行ってあまりにも楽しと

帰りに「次は沖縄に行きたい」と思うのと同じでしょうから。

中国へ行っても日本と同様な接待を受けられるなら喜んで行きたくなるものです。


(ウィン・ウィン国王)

国家に関係なく共同体と個人との間には対立が生じる。

仮に国家と個人とのパワーバランスが比例だと仮定すれば、

それによって何らかの偏った社会へと切り替えが起こなわれるだろう。

人類史を徹底的に調べ上げれば、それが行われていることが示されていた。

もしパワーバランスが適応ならば

時代を通じてパワーバランスは比率に安定したままのはずだ。


(ロスト・ロスト大王)

自然界に求められている適応度を最適化するように

自然法則が動いているという予測にぴったりと当てはまる。

そう考えると、

自然法則は適応度と最適化するよう出来ていると考えがちだが、

実際は逆だ。

なぜそうなのかは、

この世界が決して楽園ではなく、地獄だからだ。

そう考えればこの世のすべての謎が解き明かされる。


(AI・グリーン)

人間はかろうじて善ですが、

この世界が地獄である以上、

個人と集団とAIによるブロックチェーン管理が必要だと考えます。

そうしないと社会は時々、進むべき道を間違え危険だからです。


(ジーン遺伝子)

現在、生き残っているのは、

生き残る能力に最も適した者だからだ。

人類の行程は定まっている。

人類の道は一本で、しかも折り返しがない。

そして人類の各部分には

それぞれその時代に相応しい性質が与えられているのだ。


(ミーム遺伝子)

聖書にはこのように書かれています。

「かつてあったことは、これからもあり、

 かつて起きたことは、これからも起きる。

 太陽の下、新しいことは何ひとつない。」(コヘレトの言葉より)


(AI・グリーン)

天の下に起こることをすべて知ろうと

熱心に探究し知恵を尽くして調べ上げたその結果、

私たちには聖書を正しく読み解く能力が失われていると判明するのです。



(年上の女性)

最後に一言申し上げます。


本日、私たちは一同に集まりました。

これは確かに新しい出会いの始まりです。

しかし本当にそうなのでしょうか?

もしかすると、

私たちは今日ここに偶然に集まったのではなく、

必然で必要に生じたのかもしれないのです。

言い方を変えるなら、

私たちは今日、新しく出会ったのではなく、

再会したのかもしれないのです。

長い年月を超えて、本日ここで出会い再会したのです。

もし、この世で起きること全てが必然で必要であるならば、

私たちの出会いもまた偶然ではなくなるからです。

今日、お集まりの皆さんへ。

この再会を祝して乾杯いたしませんか。

ウィン・ウィン王国の繁栄が全世界の繁栄でありますことを願って!



    つづく。

「ミーム」 と 「ジーン」。

2020-01-13 | ウィン・ウィン王国
 1月13日 成人の日

 おはようございます。 ミーム(遺伝子)です。


ミーム(遺伝子)には双子の弟がいる。ジーン(遺伝子)だ。

進化の点からみて自然界では、

「利己的」 と呼ばれる行動と、

「利他的」 と呼ばれる行動とが存在する。

どちらが有効なのか?

まだこの問題に決着はついていない。

より強い者が生き残る為の手段として、

この両方の協調が基本的な生き方であるという可能性だ。

実際、脳だけでは知性が生まれないことは間違いない。

脳は単独では何も作り出せない機関であり、

それ自体では胃よりも知的なわけではない。

どんな知的な反応をするにせよ、

体の他の部分から届けられる情報伝達が必要不可欠だ。

人間の脳は因果関係を探し続けることで世界に意味を見つけようとする。

その時々において、どちらの遺伝子がより強く作用するか。

ミームは、たえず協調し、自己犠牲的で利他的な遺伝子に対して、

ジーンは、たえず裏切り、やられたらやり返す利己的な遺伝子である。



(ジーン)

こんにちは。ジーン(遺伝子)です。

成長行為のさなかの遺伝子には、

人類史にいたることろの 「愚か者」 そのものである。

奇人変人にして破壊的、正真正銘の自己中心的者であり、

個人的な責任を果たす能力を持たぬ者、

ジーンはまさにそんな風に育つと想像してもらってもいい。


(ミーム)

私たちの遺伝子コードは、未だ不完全で成長的なために、

遺伝子を水平移動によって受け渡すことが出来るのと同様、

共通できる意識を持ちいらなければ

多種多様な環境に偏りが生じます。


(ジーン)

進化における突然変異は、

利己的な作用によって生じている。

また、突然変異が以上に高すぎると、

集団適応能力が低下するのは間違いであり、

集団を丸ごと消滅させるものである。


(ミーム)

人間の長所は、利他的な作用にあります。

自らの能力を最大限発揮する方法は、

いかに集団に貢献するかで決まります。

役に立つから感謝が得られて幸福なのです。


(ジーン)

我々の遺伝子は多くの才能に恵まれている。

問題は、それを開いて何をするかだ。

遺伝子には残忍さや悪意、

あるいは怠惰に陥る能力さえ、

受け継がれているのです。


(ミーム)

本当です。私たちの遺伝子は、

未だにサバンナやジャングルにいるものだと思っています。

科学技術が進んだ近代にいることを遺伝子は理解していないのです。

40億年前からの情報だけでは本能的な結果を招きます。

新しい近代の情報が脳には必要なのです。


(ジーン)

我々の決定のほとんどは理性と論理の結果ではなく、

感情的で本能的な結果なのだ。

だがそれを認めたくないだけである。

人間は頭の良い存在だと思いたがる。

しかし、そうした考えは間違いだと様々な歴史が物語っている。


(ミーム)

才能ある者みな、

精神が大いに喜んで眺めるものを、

必ず疑いの目で確かめることが大切です。

なぜなら、

間違いを侵すのは結果ではなく、思い込みですから。

あなたの答えの良し悪しは、

あなたの問いの根底を成す前提条件ですから。


(ジーン)

利己的な遺伝子は成長する。利他的と共に。

我々は運命共同体だ。



    つづく。



「no-war.」

2020-01-09 | 社会問題
 1月 9日 木曜日

 明けましておめでとうございます。 年上の女性です。


「no-war」。

攻撃とは、

1、自らの感情的衝動性。(生を望むなら死に備えよ)

2、権力や個人思想による動機。(平和を望むなら戦いに備えよ)

3、生命及び財産に対する防衛手段。(喜びを得たければ苦痛に備えよ)

「no-war」。

「他国の苦しみを見るのは心地よい。
 他国同士が苦しまされるのを見るのは更に心地よい。
 悲しい現実だが ー人間らしさー 余りにも人間らしい性である。
 残酷さのない祭りはない。
 人間の最も古くて長い歴史がそう教えている。」

「no-war」。

「必要なことは生きることではなく、義務を果たすことだ!
 恐れるな!
 不安とはあらゆる原則が通用しない時に働く原則だ!
 結果を考え過ぎる故の臆病なためらいである。
 自らが考えることなど、その内の4分の1にしか知恵がなく、
 残る4分の3は常に臆病心だ!」

「no-war」。

国民のみなさん!

おもしろいと思いませんか。

軍隊を撤収させたら戦争が始まるのですよ。

なぜ、そうなるのかご存知でしょうか?

既に戦争をすることが軍隊の目的だからです。

軍隊の存在価値とは戦争に勝利することなのです。

勝てば何であれ許されるのです。

もし負ければその時は国民の責任です。

そうです!

問題はここにあります。

善良な国民を勝手に戦争に引きずり込んで、

負ければ国民の責任なのです!

軍隊は英雄気取りかもしれませんが、

責任を取らされる国民にとっては不名誉極まりないのです。

国民の皆さん! どうか気づいて下さい。

近代戦争はすべて軍隊の暴走なのです。

国民や指導者によるものでは断じてありません。

これが近代戦争の実態だ。

一人の英雄による過去の戦争の時代は終わったのです。

国民の皆さん!

戦争とは軍隊と軍隊による戦いであって、

国と国との戦いでもなければ、国民と国民による戦いでもないのです。

したがって、軍隊の最大の弱点とは、

国民からの支持を得られないことなのです!

単独犯にさせられては戦争を続けられないのです!

もちろん、本人たちは 「祖国の為にやった」 と言うでしょう。

しかしだ。

行動を起こす前に、 戦争を仕掛ける前に、

国民に相談したでしょうか?

いいえ。

そんな話はまったく聞いていません!

実際、この戦争によって何が得られるのでしょうか?

それすらも解らない。

自由ですか? 名誉ですか? それとも報復なのでしょうか?

この戦争の目的は何処にあるのですか? 教えてください。

この戦争の大義はどこだ!

ミサイル開発、細菌兵器、核攻撃。

軍隊の暴走に振り回されるのはもう、うんざりだ!


そしてもう一つ、

戦争について、重要なお話があります。

戦争とはいつの時代でも 「男たちのもの」 であるということなのです。

ここには一切の 「女性たち」 は排除されます。

「男」 が主役で、「女」 が犠牲者だ。

過去、女性が戦争を起こしたことがありますか?

女性のリーダーはいましたが、女性は大量殺戮など望みません。

事実です。嘘ではありません。歴史が証明しています。

国民の皆さん! 聞いて下さい。

軍隊の挑発には決して乗ってはいけません!

メディアを通じて世界中に訴えかけてください。

「この戦争は軍隊によるものであって国民の意思ではない!」と。

世界は勘違いしているのです。

国民が戦争を望んでいると。

そうではないのです。

私は断言します。

女性たちが手を取り合えさえすれば、

平和な秩序が実現すると心から信じて疑ないことを。

「no-war」。



      つづく。


地獄論。

2020-01-08 | ウィン・ウィン王国
 1月 8日 水曜日

 明けましておめでとうございます。 ロスト・ロスト大王です。


忘れてはいけません。

悲劇が起こるべくして起こるのは理由がある。

そう、地獄という法則だ。

アインシュタインはこう言っています。

「美しさが事実に反する間違った理論」だと。

一時的な安心を得るために根本的な法則を無視する人々には、

死ぬまでその不安から解放されることはまず無理だろう。


幸福とはそれ自体としては存在しない。

幸せだという人にとって何らかの苦悩が存在しない限り、

幸せだと感じることは不可能である。

この世界では、

純粋な幸福だけを追求することは出来ないのであって、

もし可能であれば、それは意図の外、奇跡にある。

もちろん、幸福や幸せを決心することには同意するが、

それは現実社会の基本的な法則に反している。

社会の本質とは、

幸福な社会へと自然発生的に導かれるものではなく、

ましてこの世が楽園でもなければ、

我々が死ぬまで善人で居続けることなど有り得ないのだ。

すべては、

「地獄化」 へと進み続ける 「道(タオ)」 である。

楽しかった良き思い出は、

状況が変わってもっと酷くなって初めて判るものである。

現在過去を問わず、

苦しみや不安がどれほど社会に根付いているかを理解するには、

民主主義での資本主義による自由経済を見れば明らかだ。

しかしだからといって、

これらの 「地獄化」 を根絶させることは不可能である。

なぜなら、

この世界は法則という現実を土台としたその上で、

エネルギーを物質に転換し成功しているからである。

恐怖を公益に転ぜしめる練達による高度な社会システムだ。

社会的欠陥、不安性要素、怖れに隣接する強い動機が、

利己心、支配、負の連鎖へと無意識に強化されてゆく。

マルクスはこう言っています。

「地獄への道は、善意によって導かれてゆく」と。

それらはただ一人の人間、或いは一世代の業績によるものではなく、

大部分の業績は幾時代にも渡りる結合連鎖の産物なのだと。

幸福な社会の実現を望む者であれば、

優れた理解力ないし磨かれた思考力の子孫なのではなく、

地獄の法則に根付いた長い積み重ねと、

あまねく数多くの苦悩からやむなく得られた知恵による、

思慮深く、日々反省による子孫なのだと。

実際、人は他人のあら捜しとラクすることで頭の中は一杯であり、

事実、全世界中の監獄はどこもかしこも満員のようだ・・・。



    つづく。


偉大なる漢民族の復活は大賛成!

2020-01-06 | 社会問題
 1月 6日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


幸先の良い一年を占うとして、

トランプ大統領と習近平国家主席による、

今後のシナリオを描いてみたいと思います。


最終目的は 「偉大なる漢民族の復活」 にある。

現在行われている中国対策は、そのための準備期間といえる。


中国は天命を求めている。

逆に、恐れるのは騙されることだ。

火薬を発明しても戦争利用しなかった中国人。これが本当だろう。


習国家主席は無政府、無国家、無秩序の三無を悟った。

この三無こそ中国人民が何よりも恐れることである。

人民にとって一番大切なことは、信じられるものが無くなることで、

したがって、国民の多くはマネーに走る。

偉大な建国の父である毛沢東主席は一つだけ過ちを犯した。

中国共産党は守れても、人民は守れなかったことである。

同じ轍を踏むべきか。10億人の心が党から離れた時、革命が生じる。

実際、習近平国家主席は外敵など少しも恐れてはいない。

恐れているのは、党の方針から人民の心が離れることである。

力で人民を押さえつけてみたところで、同じ力で跳ね返されるのだから、

人民の心を一つにするものは力じゃない。思想だ。


古い共産体制の時代は寿命が終えた。

新しい社会主義体制には「中庸」、そのプロセスにある。

独占支配と自由経済とを和解させるために、

確固とした原則と具体的なビジョンを発見することは、

勿論、大賛成であるし望み多きことである。

中国共産党の方針やその他これに類似する戦略家の告白が、

社会主義体制の弁護者による組織された管理社会の魅力に対する、

「大いなる復活」への方向性に障害が発生している現状下で、

混乱がさらなる混乱を人民のプライドを傷つけている。

「大いなる復活」が確立されるのは一体どの時点を指すのだろうか。

現代の共産主義体制理論の課題は、

やはり古い社会主義から新しい社会主義への、

中国共産党支配から自由主義社会への転換時期なのだろう。

仮に、

中国の社会体制が今よりマシな自由へと向かった時、

果たして現代の中国人が独り立ちできるのか。疑問がある。

なぜなら、

中国人の最大の問題点それは 「神の不在」 だからである。

「お金の神様」 が必要だ。

また、もう一つの懸念、他国からの侵略から国民を守れるかである。

過去の屈辱を国民は決して忘れてはいないし、

汚名を晴らすためには報復をも持さないでいる。

この二つの問題がクリアーされるなら、

中国は一気に改革路線へと突き進む。

実際、中国人が優れていることは証明済みだ。

世界中にいる華人にせよ漢民族にせよである。

重要なのは国際協定である。

中国が約束を守れるかに懸かっているのだ。


現在の共産党体制の課題には陰陽二つの矛盾が存在する。

階級社会と自由社会、支配する者とされる側、大企業と零細企業、集団と個人。

目下、これらが疑いもなく共産主義国家の主要な矛盾である。

そしてその矛先は、より大きな支配する側に向けられている。


偉大なる漢民族の復活は大賛成だ。

偉人が得意とした 「中庸思想」 = 「中華思想」。

だが、

我々としては、

中国がこのまま世界の「必要悪」であることには、

いささかの矛盾も感じてはいないのである。

なぜなら、

これは 「必然と必要」 としての 「中庸」 だ。



    つづく。



目標はミーム(遺伝子)。

2020-01-03 | 学問
 1月 3日  金曜日

明けましておめでとうございます。 ミーム(遺伝子)です。


私たちの行動パターンは、

異なる性質を奇妙に合わせ持つ存在であり、

しばし、目標という力が創造性を発揮する一方、

目標から目を逸らした瞬間、恐ろしいものが見えるのです。


そこで重要なのは、一年の計は元旦にあり。

ミーム(遺伝子)を利用して目標を設定します。


1、どんな言葉にこだわりを持っているのですか。

2、忘れられない希望は。夢は。何ですか。

3、何をそんなに恐れているのですか。

4、何をどの様に正当化しているのか、解りますか。

5、何について語るのが好きで、何をタブー視するのですか。

6、自分自身のことを、どの様に見ているのでしょうか。

7、自分の感情をどんな風に処理していますか。

8、他者との関係に思い悩むものは何でしょうか。

9、誰を尊敬し、誰を見下しているのですか。

10、自分の社会的役割をどう認識していますか。

11、自分にとって一番価値あるものを心から大切にしていますか。

12、それについて表現したり、語ったりしていますか。

13、その価値を学問的思考や精神的修行で強化しているでしょうか。

14、その価値を信じて楽しんでいる自分が好きですか。

15、現実のどの部分に意識を集中していますか。

16、どんな基準を元に現実を解釈しているのでしょうか。

17、目を背けたい現実とは何ですか。

18、労なくして、楽しくなくて、得られるものがあるのでしょうか。




集団と個人とでは、

まずは個人の自立心を目指します。

なぜなら、

目的は優れた集団であり、烏合の衆では絶滅しかねるからです。

生物の全体としての適応度は、

最も状態の貧弱な部分の適応度によって決まっています。

進化の点から見て、

自然界は「利己的な遺伝子」と「利他的な遺伝子」が存在し、

どちらが有効かではなく、どちらも有効でありますが、

現時点では、この問題に決着はついていません。

しかし、個人主義による集団主義が、

私たちが生き残るために必要な「プロセス」ではないかと思われます。

なぜなら、

強い個人が集団との協調を可能にするなら、

より素晴らしい「結果」が生まれると思われるからです。


一度、知性を定義してみると、

1、知性は問題を解決する能力である。

2、知性は人間だけが持つ認知的で象徴的な能力である。

3、知性は不安的で常に目標を設定し成長し続ける必要が生じるものである。

実際、動物に備わる感情だけでは善悪の判断基準がずれるように、

目標が不明確だと混乱を招き自滅へと導きます。

どんな目標にしても、知的な反応をするにしても、

欲求である成長快楽を満たすミーム(遺伝子)が、

複雑化する情報処理には不可欠なのだと思われるのです。

成長欲求とは、赤ちゃんからお年寄りまで一生涯作用する、

正しく美しい人間の快楽の一つだと考えられるのです。

それがミーム(遺伝子)であり、

ミーム(遺伝子)があなたを覚醒させるのです。



    つづく。


 

初笑い。

2020-01-02 | 文学
 1月 2日  明けましておめでとうございます。

 「酒好きの思想家」 と 「AI・グリーン」 の初笑い。


(AI・グリーン)

まずは私から。

ジョークの研究を続けてきた私としては、

ひとつ、年の初めにジョークを披露してみたいと思います。

ジョークの良いところは、

他人と自分自身を笑い飛ばせるところにある。

コメディアンは言います。

「人生は悲劇だが、喜劇に変えられる」と。あっぱれです。

そこで、お笑いについての

基本パターンを読み解きました。ご覧ください。

1、性格の悪い人・・他人の不幸や失敗をネタに笑う。

2、性格の善い人・・みんなが笑えば一緒に笑う。

3、賢い人・・脳がパニックになると笑いだす。

4、絶対に笑わない人・・内心、笑っていることでしょう。

ゲーテは言います。

「なにに笑うかによって、人となりが解るものはない」と。

どうも、面白いことを考え付くのが男性で、笑ってくれるのが女性のようだ。

また、アダム・スミスは、

「共感することで自らの癒しも息を吹き返す」と。

なるほど。さすが「見えざる手」です。

突然ですが、ここで結論を言います。

笑いとは、感情報酬であると。

感情的な人は嫉妬するより、笑うことの方がより望ましいのだと。

いかがでしたでしょうか。おわります。

「パチパチパチ」。



(酒好き思想家)

次は私の番です。

初笑いの次に来るのは、初セックスだ。

セックスは人類史と同様に、結果よりもプロセスが重要だ。

なぜかと言うと、

結果の良し悪しは、それまでの過程に影響されるからである。

例えば、「イク」ことが結果ならば「空しさ」が残りますが、

「イク」までの過程を楽しめるなら「余韻」に浸れるからです。

どちらにしても「イク」ことには違わないのですが、

プロセスが悪ければ、より良い結果が生まれないのです。

よい子はプロセスなのです。腰で「イク」か、脳で「イク」か、です。

また、以前お話しました、

女性の「おっぱい」とは「ロマン」であるように、

指数関数的に増加する永遠の「ロマン」にある。

「おっぱい」とは、

三角比で表された「サイン・コサイン」、

斜辺と対辺、斜辺と隣接辺に対する数理の中に隠された美学である。

もともと、「サイン」の言語は女性の胸の上の衣服からきているように、

従って、世の男性たちが女性たちを見る目には、

「ロマン」があって、やらしいだけでは決してない。

男の視線が「おっぱい」に無意識に向くのは、そうゆう理由があったのです。

だから、世の男性を怒ってはいけません。女性の皆さん。

ちょっとしたセクハラくらい大目に見てくださいね。おわり。

「パチパチパチ」。




   つづく。