酒好き文化風俗研究者

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私達が行動を起こす動機はいったい何か。

2015-06-30 | 日記
よくあるインセンティブ、動機とはやはり「お金」の欲求だ。

拝金主義者はそれでも良いが、平和主義者の動機は「安心や安全」、怠け者の動機は「デフォルト」だ。

やみ雲に生きる私達の毎日の動機や理由とはいったい何なのだろうか。

誰もが幸せになりたいと願っているにも関わらずに、毎日をストレスに費やし怒りっぽくなっていると感じるのは、自らの動機をちゃんと理解していないからかもしれません。


実際に私達はどうして働いているのだろうか?考えてみます。

1、勤労と納税の義務。
2、金銭的な欲求。
3、社会的貢献。
4、道徳的な動機。
5、大衆心理。世間体。

どうでしょうか?全体のバランスが取れているでしょうか。どれか一つだけ飛び抜けていないだろうか。

この他の動機も考えてみます。

1、楽がしたい。
2、見栄を張りたい。
3、復讐をする。
4、嫉妬心。
5、損をしたくない。

こう考えると、私達は仕事を通して多くの事を成し遂げていると考えられます。

逆に、無職は危険人物、反社会的な人間だと言わざるを得ないし、人間的成長が感じられません。

さらに動機を追求してみます。

1、不安と恐れ。
2、飢餓の回避。
3、性欲の解放。
4、おしゃべり。
5、命の危険。

など・・・。


また、自分が悪いと思わないのも一つの理由だ。言い訳も時には生きて行く上に於いての処世術だと言う自己正当化も動機かもしれない。

他に私達が行動を起こす動機は無いか?

なぜ私達は他人と争うのか?

ひょっとして、「自分は偉い人」だと「勘違」いをしているだけの「思い違い」が理由なのか?


根本原因を解決すれば真実はいつもルーツにあるように、避けては通れないところにこそカギある。

仕事をすると言う枠組みを、「国民の義務」から「金銭的」な枠組みにし、さらに「友好的」な枠組みにシフトさせる方法が望ましいと考える。


問題解決の為の独創的意見は色々あるにはあるのだが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し、及ばざるは過ぎたるより勝れり」であるからこのへんにて。



夢の続きを。

2015-06-29 | 日記
今朝方、面白い夢を見て慌てて飛び起きた。

未来型カプセルベッドの夢だ。

これが凄まじくよく眠れるベッドの夢だ。

ダブルベッドがカプセル型になっていて、安眠を約束してくれるベッドで、これで一度眠ると癖になり従来の布団では眠れなくなるという品物だ。

空調システムが良く、防音性が高く、安全性にも優れ、女性に人気だそうだ。

充電式で停電しても大丈夫らしく、ふとん乾燥機付きで、耐震度も抜群、これで地震が起きても安心して眠れる。

寝ている間の健康状態も管理してくれるらしく、仮に強盗が侵入して来ても寝首を掻かれることはない。

このベッドが三国志時代にあったら、張飛は死なずに済んだかもしれない・・・。

インターネットで病院と繋げれば介護ベッドにも使え、急な患者にも対応する。

さすがに宇宙船のような人間を冷凍保存する技術は装備されていないが、夜勤明けの人や、いびきで困っている人や、ベッドの中で大きな声でカラオケを歌っても周りに迷惑をかけないカプセル型ベッドは、もちろん音響や照明、アロマも対応している。

カプセルホテルでこのカプセル型ベッドを導入したら大人気で、自宅で安眠妨害によって睡眠不足で苦しんでいる人たちがいかに多いかと言う事であろう。

考えてみると、私達には安眠がなによりも重要だ。睡眠に投資することはローリスクハイリターンかもしれない。

寝過ぎ防止にも役立ち、寝過ぎだと「起きなさい」とバイブレーション機能があるらしい。

毎日の睡眠時間の管理にしろ、不摂生にしろ、二度寝にしろ、このカプセル型ベッドは私達のよきパートナーであるようだ。

私もこのベッドが欲しい。誰か作って、買うから。

夫婦問題。夫は妻を認めない。

2015-06-28 | メンタルヘルス
全ての夫婦に共通して言える事は、夫は妻を認められないと言う事実です。

更に言えば、男性は女性を認められない理由が存在するのです。

これでは狂った社会に陥っても当然だと思います。

しかもです。夫を変えようとしても変わらないどころか、話にもなりません。

「私を夫に認めさせたい」と思う気持ちは解りますが、

それはもう不可能だと理解することが問題解決の足掛かりとなります。

なぜかと言うと、夫には夫の言い分がありますが、妻が聞けば腹が立つような言い分なのです。

そんな夫婦関係ですから、どちらかが我慢し、どちらかが喧嘩をするその役回りの繰り返しの中で、

第三者の助け舟は単にガス抜きにしかならず、どんどん夫婦の溝が深まり、ハマったら最後、二度と元には戻れなくなるという愛の悲しい結末です。


妻が夫を認めれば夫は妻を見下し、妻が夫を認めなければ夫は妻をまた見下すように、妻を認めようとしない夫は「幼稚な子供」である。

間違ってもやってはいけない事がある。その幼稚な子供と同じ土俵で戦ってはいけないことだ。それでは妻自身も夫と同じ子供となる。

逆に、夫を立てて妻が子供を演じるのも日本女性の特性だが、立派な夫婦関係が成立していれば問題も起きないが、そうでないから問題なのだ。

重要なのは、夫婦二人の自己評価が下がられてしまう事で、大切なのは、その自己評価を夫婦で高めていくことである。

どうすれば自己評価を上げられるか。何が好きで、何が長所か。

そうすれば、自然と夫婦の仲にも一筋の光が見えてくると思います。


私達は無意識のレベルによって問題の質が決まる。

2015-06-27 | メンタルヘルス
私は「適当」が大好きだ。

「適当」バンザイ。\(^o^)/。

なぜ、「適当」に人気があるのだろうか?

考え始めてみると奥が深い事に気付かされた。

人は解らない事を前にすると脳は「適当」を指示し、気が楽になる。

その後、問題が発生し、その解決に脳が機能する。その繰り返しだ。

例を上げると、
自分は他人よりも頭がいいと思って仲間と付き合っています。

仲間達も同じように自分の方が賢いと思っている訳ですが、

この事実に気付かないと人間関係はグチャグチャなはずです。

もう一つ例を出すと、自分のお金は自分のものです。

仲間も同じように考えていれば、お金が集まらないから貧乏なはずです。

つまり「適当」な生活レベルが「悩み」のレベルであり「無意識」レベルです。

この無意識を意識することが達人の意識レベル「ワンサイクル」であり、「適当」のレベルアップに繋がります。

だから「適当」のレベルが高い人ほどユーモアがあり人気があり人格者なのです。

逆に、馬鹿で怠け者な「適当」ではかっこ悪く、相手にされません。

人を見る時は、ざっくばらんに話をしてユーモアの解る人がレベルの高い人であり、一緒にいて楽しくない人が問題児です。

そして私達が目指すのはユーモアの解る「適当」な人。達人の領域です。

日本のテレビ番組でお笑いタレントが子供っぽいとバカにされるような「適当」ではありません。ハイレベルなユーモアです。

ではどうすれば気の利いた一言、気の利いたユーモアが言えるのでしょうか。

具体的には無意識を変えます。

無意識を意識すると気づきになります。その気づきがユーモアのセンスですから、まずは自分自身で楽しむことが先決です。

楽しんだらその気づきが無意識に入りますから、第一段階無意識を変える事に成功です。

第二段階はそのユーモアをジョークにします。気づきを言葉に変えます。気の利いたジョークを相手に伝えます。


今日はここまでにします。お疲れ様でした。









追伸。言い忘れましたが、気づきをプレゼントすると喜ばれますよ。

他人に迷惑を掛けたくないから墓石を残さない人が増えている。

2015-06-26 | 日記
新しい葬り方が増えている。

他人と一緒に納める合同墓地や、戒名なし、葬式なし、お墓なし、の散骨希望が増えている。

人気があるのが、樹木葬や海洋散骨などだが、中には宇宙に散骨してほしいと言い遺す人もいるそうだ。

なぜ、従来のお墓は嫌なのか。

考えられる理由は、家族のあり方だろう。お墓に価値があると思えないし、遺族に迷惑を掛けたくないからだ。

実際、都心に住む地方出身者には毎年の墓参りはかなりの重労働だ。墓参り代行サービスが人気になるのも解る気がする。

また、兄弟、姉妹と言うものは、元来、仲が良いはずがないのだから、仲良い兄弟などありえない。

何せ、旧約聖書に描かれているカインとアベルから続く物語だから、私達が幾ら綺麗事を並べても太刀打ち出来ない。

しかし、お墓が無いと自分たちのルーツを見失って足元がグラつく危険も予想されるし、

先祖や故人と直接向かい合う場が人生には必要な時もあるだろう。

確かに葬儀屋が儲かるのには腹が立つ。キャバクラのお姉さんの話では、葬儀屋のおじいさんとその息子は毎日キャバクラ通いだそうだ・・・。


それはそうとして思うに、お墓は故人のものかもしれないから、故人の遺書に従えば良いが、

仏壇はその家の継承だから、引っ越しが多ければ仏壇は小型化も望ましい。コンパクトサイズだ。

葬儀はどうすればいいのか?

家族が多ければ大きな会場が必要だが、個人主義で最後まで逝くなら自由な選択は自決である。

葬儀の目的とは何なのか?儀式とは何か?

故人を偲ぶにしても残された家族が忍ぶにしても、良く解らない事は神に任せて美しい形式で繕うほかに手立てがない。

何にせよ、生命の全ては死に無頓着だから、世界中が予言する救世主はおそらく、死の超越こそがアルマゲドンでありハレルヤだ。

ブログにしても社会にしても「死」を連想させるものは、検索から外され変わった目で見られるように、

考える事さえ否定されて拒否されるが、本当にそれが美しく正しい姿だろうか疑問が残ります。

現代はグローバル社会である。ならばグローバルな答えもいつかは現れるかもしれません。



面子ってなに?

2015-06-25 | 日記
よく耳にする言葉がある。
「面子が傷ついた!」「面子が立たない!」「面子を守れ!」

面目くらいならまだしも、面子ともなると争いにさえも発展し、一生恨み続ける場合もある。

なぜ、面子がいざこざの動機に成りうるのだろうか。そもそも面子って一体何なのか?


面子が好きな人と嫌いな人に分けてみると、驚いた事にこの二つには分かれない。どうして?

それでは、面子をよく言葉にする人と、そうでない人とに分けてみると、力関係だとか感情的だとかが見えてくるが、理性的な人にも少なからず「面子」は見え隠れする。

男女にも同等の「面子」が存在するし、まして年齢にも「面子」は関係ないようだ。

次に、この「面子」の強弱について考えてみると面子の強さに比例して、プライドや見栄、自己中心的な思い込みが関係しているのに気付く。

さらに「面子」を追及すると、「バカにするな!」にたどり着く。

単細胞生物ほど刺激を与えるとすぐに興奮するように、高等動物である人間にもそれが当てはまるのだから、

文明が発達して3,000年経った現代に至っても、人間は未だ未完成のようである・・・。


カーネギーメロン大学にあるスーパーコンピューターに人類のあらゆる情報を入力、そのスーパーコンピューターが「人間とは何か」を導き出した答えは、「人間とはエゴである。」と言うものだった。

どうやら「面子」とは「不完全」を意味するもののようである。

従って私達は「面子」に遭遇したら、更なるレベルアップを目指して「完全体」に近づかなければ混乱が生じるのも必然となる。

「面子」を保とうとすればそれだけ現状の「不完全」を維持する事になるから、また同じ「面子」を繰り返しては興奮し混乱を起す。


逆に、「面子」を刺激し興奮させるにはどうすれば良いのだろうか。

よくある事だが、人前で「バカにされた!」「恥をかかされた!」「損をした!」「騙された!」など、

相手の方が自分よりも劣っていると感じた時に「ちくしょう、なめやがって!」と興奮し、

自分が相手よりも勝っていると認められれば面子が保たれる。

そうすると「面子」は人前で「承認」されると「満足」に変わるものであるようだ。


つまり、自尊心が弱いと「面子」を重んじるようになり、「面子」とは「かっこいい」や「自己重要感」であり「外見」を取り繕う「言い訳」とも言える。

私達は誰しも自分自身が他人よりも優れていると思って生きているから、ここに「面子」の根源が存在しているのである。

その根源に気付かないと怒りは収まるどころか暴力にまで発展し、また恨み続けるのです。


2,000年前の哲学者、ソクラテスの言う通りです。

「ある時、村人たちがソクラテスに聞きました。人として何が一番重要かと。」

ソクラテスは答えます。

「我々は無知であることを知れ。無知から目を逸らすな」と。



現代の教育とエリート教育の違い。

2015-06-24 | 社会問題
エリート教育とは楽しい教育の事であり、現代の偏差値教育は楽しくない教育である。

なぜなら、

偏差値を導入した当時の政治家がそう言っていたからだ。

「日本の教育には偏差値を導入し、これで日本やアメリカに逆らわない従順な国民にする」と。

事実である証拠は、世界中の教育機関を見れば明らかだ。

世界の常識では、教育は個人の権利であるから、偏差値など恥ずかしくて人に言えないシステムである。

それに、世界で活躍する日本のエリート達に共通して言える事は、文部科学省の指導要領に基づいて教育されていない事と、

学歴や偏差値を気にせずに、のびのびとスペシャルなレッスンを集中的に繰り返しているのがエリート達と言えるのだ。

つまり、偏差値教育では「あなたはこれくらいですよ。」という洗脳教育を受けさせられているのである。

逆を言えば、学校教育に縛られないからこそ一流の日本人は世界で大活躍する事が出来るのだ。

それに反し、「偏差値教育」では自信を殺がれて労働貧民に育てられる教育であるから、

新しいビジネスが国内で立ち上がらないのは当然で、逆に起業家が「尖がっている」のも当然だ。

偏差値教育では自分の「分際」「分限」「身のほど」をわきまえさせるものであり、「制限」「限界」を意識させるものである。

その点、エリート教育には教師はいない。いるのは「メンター」や「トレーナー」であり、「協力者」「同志」である。

実際、ビジネスやスポーツ、文化芸術の世界で活躍している多くは、独学者か留学者だ。学歴だけの優劣では従順でかわいい僕である。

社会がそれを望んでいるなら致し方ないが、グローバルな世界ガバナンスでは日本の個性こそが世界の勝者だ。

事実、東京都内を見てみるとアメリカのコピーのようで、アメリカの街そのものであるが、そこに日本流が加われば世界基準だ。

いち早く気付いた大学や一部の優秀な企業は、英語を主要語に取り入れているが、裏を返せばそれだけ日本の教育が間違った方向に向かっていると言えるのである。


では、エリート教育とは何ぞや。私が考えるエリート教育を三つに絞ると、

一つは、「メンター、師」を見つける事である。それが自分にハマれば世界レベルも夢ではない。

二つ目は、「語学留学」「外国に出稼ぎ」に行く事である。世界で飯が食えるようになれば大きな自信が付く。

三つ目は、宮本武蔵流の「独学」である。「たとえ万人の敵が立ち塞がろうとも、私は行く」である。

なんだかエリートらしくないが、これでは叩き上げ?かもしれないが、まあ、今日のところはこの辺で終わります。



東アジアのインフラは実績がある日本がNO1。

2015-06-23 | 日記
日本の目的はインフラ整備である。AIIBのような金貸しではない。

だが現実はインフラ投資と言う名の金貸しでもある。

10年くらい前だったか、アメリカ人が書いた「銀行が貧困を救う」みたいな本が世界中に出回り、

当時クリントン元大統領も大絶賛していた時の事を思い出します。

銀行がアフリカ諸国やアジア諸国の貧しい国に暮らす女性にお金を貸すと言うものでしたが、

男性には貸さないそうです。理由は返さないからです。ひよっとしてギリシャも同じかな。

女性に信用があるのは借りたお金で子供を育てる為に、一生懸命に借金を返すからだそうです。

返せない時は、家族や子供達と相談するのです・・・。

重要なのはその後です。銀行が融資したその国々が豊かになったかと言うと、事実は銀行だけが繁栄しました。

イエス・キリストが復活したら、「金貸しはこの国から出て行け」と言われることでしょう・・・。

従って、お金を融資する事くらいはAIIBや高利貸しにでも可能だが、

その国を発展させ豊かにするには、日本ブランドと信用こそが何よりも重要だ。

信用があって実績があり実力がある日本は最適のお手本だ。日本が繁栄出来て東アジアが出来ないことはない。

それに今後の日本は人口減少に歯止めが掛からずに日本国内では労働者がいなくなるのだから、

必然的に一流企業は生き残りを懸けて東アジアに進出するしか方法が無い。大東亜共栄圏構想その2だ。

優秀な日本人も日本国内に引きこもっている場合じゃない。

ボーダレス経済の鉄則は、世界の最適地で生産する事だから、

立地が悪く、資源もなく、人口減少の日本では、一流企業も農業もグローバル社会では不向きと言える。

今後の日本はメイドインジャパンも農業も逆輸入だ。自給自足の小さな社会は終わるかもしれない。

現在は日本人が無能化しつつあるから、その前に、東アジアの人達が日本人を助けると思って、

東アジアのインフラを日本に任せてもらう事が双方にとってのWIN.WINだと考えます。



熟練工にマイスターの称号が与えられます。

2015-06-22 | 日記
EU諸国をいろいろ回って思う事は、日本人にはドイツが一番ウマが合う気がします。

そのドイツの良い所を見習おうとするのが、日本版マイスター制度だ。

日本を支えている製造業の熟練工にマイスターの認定制度が出来るそうです。

技能の高さに加えて技能の継承と改善を図るのが目的だと言います。

ドイツではマイスター制度が、かなり定着しているらしく、

マイスターに昇格すれば独立開業も容易になるらしい。

日本流に言えば職人のことですが、日本の学生は世界第一級の大学レベルでは勝負にならないから、

職人制度を創った方が日本流でありドイツ風だ。自らの手で稼ぐ力に合わせた報酬制度がマイスター制である。

日本の若者たちが新しいビジネスを創れないのなら、職人の育成で勝負して行くしか方法はない。

それにこのマイスター制度には失業したらサポートするシステムがあり、

無料で一年半の職業訓練という職人教育を受けられ自信と資格を与えるそうである。

なるべく早く若者たちを世界の荒波にさらしてショックを与え一人前以上にする為である。


そう考えると、日本には大学が多すぎて無暗にホワイトカラー層を増やしているようにも見て取れます。

妥協的で、意味不明で、不完全に卒業させて、人に役立つ強い大人を育てているとは思えないから、

大学を減らして世界各国に出稼ぎをさせるか、職業専門校を創って理論と実践で手に職を与えるかのどちらにしても、

現在の反日教育よりは幾分マシだと考えられます。


製造業の良い所は、一人仕事ではない所です。仲間と共に頑張っている一体感があり、その点、一人仕事はつまらない。

意味も解らずに、ホワイトカラーを量産してブルーカラーが育たないのなら、移民を受け入れるしか方法はないようです。




石油が水よりも安くなる。

2015-06-21 | 社会問題
米国が石油の消費量ではなく原産国として世界一となり、世界は石油あまりの時代が始まるらしい。

何でも使い古した油田に炭酸ガスCO²を注ぎ込めば新しい石油を安く掘り出せるそうだ。

太陽光発電や風力発電などの代替エネルギーの時代が一瞬にして終わりを告げた。

従って、世界中で騒がれている石油安の時代はかなり長く続くものと考えられている。

安い石油時代とは今世紀最初の歴史的な大変革である。

私は20年くらい前から石油は無くなると信じて、太陽光発電や水素エネルギーにかなり注目してきましたが、

どうやら電気自動車さえ要らなくなりそうです。


なんでも、石油産出量一日約一億バレル以上の石油が容易に安く掘り出されるらしい。

石油価格をコントロールしているOPEC12か国と、それ以外の米国、ロシア、メキシコ、ベネズエラ、カナダ、ブラジル、ノルウェー、それから北極油田、海底油田やアフリカ諸国から大量の石油がやって来る。

先端技術によって革命的と言えるほど生産の増強が見込まれる状況になっているからだ。

実際にどの程度の石油がこの地球上に残っているかと言うと、

控えめに言っても二千年くらいは無くならないらしい。別の意見では二万年以上は大丈夫だそうだ。

日本技術者がせっかく創り出した水素エネルギーや電気自動車は宇宙エネルギー、未来の乗り物となりそうです。


第二次世界大戦後には石油支配が世界を我が物にしたと言えますが、石油があまれば大変です。

オバマ大統領がイラク派遣から撤退したのも石油が理由で戦うメリットが無くなったからかもしれません。

実際、1929年オクラホマで石油ブームが起き、原油の値段が十ドルに下がった後、米国の景気が回復したし、1950年代には中東で石油が大量に産出されて世界経済が拡大し、1980年代にはメキシコの海底油田が開発され再び景気が良くなったように、今年の下半期は米国の景気が良くなるとの予想です。

アメリカは今しばらく石油バブルの状態が続き、また石油暴落も考えられるそうです。


日本も一度は石油の恩恵にあずかってみたいものですが、そうなると国民が怠け者から抜け出せなくなるから日本には石油が無い方がありがたいかもしれません・・・。




米国大統領に共和党のアーノルド・シュワルツェネッガーでどうでしょう。

2015-06-20 | 日記
アメリカ国民が強い大統領を望んでいるなら、この人を於いて他にはいません。

元カリフォルニア州知事アーノル・ドシュワルツェネッガー共和党議員この人です。

問題もあるとは思いますが、予備選挙で政治的に鍛え上げられれば、

優れたアメリカ国民が味方に付き、優秀なスタッフにも恵まれるはずですから、

世界中が待ちに待った偉大なアメリカ合衆国大統領の誕生です。

大統領の最大のパワーは国民を一つにまとめ上げる力ですから、

利権や裏事情の事は良く解りませんが、世界中の期待を背負っている大統領ですから、

いつの時代でもアメリカ合衆国は世界の注目の的です。

民主党は二期続けて黒人大統領を誕生させ、次は初の女性大統領の誕生ですし、ヒラリーさんも嫌いではありませんが、

共和党のアーノルドシュワルツェネッガー大統領には敵わない。

元フロリダ州知事ブッシュ共和党議員も日本人には歓迎ですが、二度ある事は三度あるようにアメリカがまた標的にあうかも。

個人的には強い女性大統領がお気に入りですが、そうすると共和党の小さな政治では男性大統領が相応しいと思いますから、初の女性大統領は民主党になってしまう。


また、日本の立場で考えてみると、共和党が望ましいと思います。

なぜなら、

民主党はかつて、フランクリン・ルーズベルト大統領が対日戦争を仕掛けて、

民主党トルーマン大統領が日本に原子爆弾を落としている。

また民主党クリントン大統領はジャパンバッシングで、民主党オバマ大統領は親中派です。

その点、資本主義経済に重きを於いている共和党は流石です。湾岸・中東戦争も行いますが、現在は石油に浮かぶ米国ですから大丈夫です。

それに、アメリカの若い世代の人達が気なる事を言っています。

「なぜ、経済的に繁栄している豊かな日本を財政赤字のアメリカ人が守らなくてはならないのか」と。

その通りだと思いますが、今の日本から米国軍が撤退したら在日たちに占領されますから、やはり民主党より共和党です。


しかし、よくぞこの7年間をオバマ民主党率いる「日本イジメ」から危機をしのいだものです。

ここは日本の全ての政治家に「あっぱれ」を上げても良いのではありませんか。

日本も強い阿部総理大臣が世界を変えることを願っております。




不況だと円高、景気が上向くと円安に。

2015-06-19 | 社会問題
円安は大賛成だ。

出来れば、東アジアの通貨は均一であってほしい。その方が商売も楽だし、シンプルイズビューティーだ。

円安の原因は中国が言う通貨戦争ではないが、

なるほど中国や韓国の経済が安定しているのはどうやら円高のおかげであるらしい。

実際、円安はドル高が理由だから、やはりイラクから米国軍が撤退した事により、ドルが強くなるのは当然だ。

それに、アメリカの地下から大量の石油が発掘しているから石油バブルの再来であり、逆に円が強い方が裏がありそうだ。

重要なのは、今後のドル高と人民元と韓国ウォンです。

ここでは中国と韓国は置いといて、目が離せないのは米国の金融バブルと石油ブームです。

米国は今度の戦争で沢山の紙幣を刷った訳ですから、現在のアメリカの好景気は世界中のドルをかき集めているのも一つの理由かもしれませんし、または、最新兵器のセールスが上手く行っているのかもしれません。(中国とISのおかげで)


それにです。日本の株高が二万円以上なんて怪しすぎる。

だいいち、株高が二万円以上と言うのは日本企業の身の丈に比例していないし、それは偽りの相場であると断言出来るから、

おいしい餌をぶら下げて一般投資家を囲い込もうとしたが失敗に終わったみたいで一安心した。

やはり、証券会社もグルなのか?そうすると日本の証券会社の格付けも下がるかな。

おそらく巨大ファンドは、日本の金融貯金1600兆円が市場に流れてひと儲けする予定だったと思いますが、

証券会社がミスっ・・・違います。

日本の一般投資家が賢くて日本人の血が流れずにすんで良かった。

今後は日本から離れた巨大資本がアメリカに流れて米国株最高値を更新するのではないのでしょうか。

そしてまた、米国株価暴落へと続き、そしてまた、「血が流れたら買い」へと続きます・・・・・・・。


日本がカモられずにすんで感謝します。世界の巨大ファンドと巨大資本家とそして日本の一般投資家たちに。





国境を超えるものと超えられないもの。

2015-06-18 | 日記
あなたは国境を超えられますか?

国境を超えられないと何が問題ですか?


国境を軽く超えられるものを考えてみます。

解りやすいのは「音楽」かな。

「スポーツ」「映画」「芸術作品」あと「一流の文化人」「一流のビジネスマン」それと「女性」も世界共通かな。

では、国境を超えられないものとは一体何か?

「平和」は無理だな。

「お金」もEUを見ていると無理そうだし。

「過去」も国境が無いとつまらなくなる。

「男性」はあきらめた方がいい。


この違いは一体何か。

「時」は未来から「今」にやって来て「過去」に流れる。

「時」は「過去」から「未来」には流れない。

「現在」があって「過去」があるから、

「未来」があって「今」がある。

歴史学者は反対するだろうが、「時」は過去の延長線上に「未来」がある訳では決してない。

まして「今」しか考えられないと「国境」を超える必要がなくなってしまう。

「音楽」にしろ「スポーツ」にしろ「一流のビジネスマン」にしろ行動したからこそ結果が変わる訳だから、

結果が未来の自分自身を変える訳ではなく、未来が過去の結果を変えているのである。

そして何より重要なのは、

「未来」「現在」「過去」を同時に考えられるものこそが「国境」を超えられるのだ。

つまり、自給自足のような小さな生活では男性社会が適し、EUのような大きな組織には女性社会が相応しいのです。

「国境」とは「小さな男性社会」が創り出したものであると言えるのです。

人間が考え出したものは何であれ実現するように、戦争も、平和も、国境も、同じです。


「国境」とはどこにあるのだろうか?

「国境」は必要か?




Wordpressって単価上げじゃないの?

2015-06-17 | 日記
以前、いまさら聞けないパソコンの基礎を学びにパソコン教室に行った時のことです。

そこで教えている先生ですら生徒の質問に教材を引っ張り出して調べている姿に驚きました。

結局、先生も独学が一番のようです。パソコンは奥が深いですね。


今は、Webサイトを簡単に作成するのに、お金を必要としませんから、それではWebデザイナー達が大変ですから、

WordpressはWebサイトでビジネスマン同士の単価上げではないのでしょうか。


では、ホームページとWordpressとでは一体何が違うのか。

ホームページが一般人向けで、Wordpressがビジネスマン向けなのかな。

ビジネスはビジネスの世界でブロック別になるのは賛成ですし、

一般ユーザーには何よりも無料化が大賛成ですから、

ホームページとWordpressに分類されても問題ありません。


今後は、善と悪のブロック化で安心で安全なWebサイトを見分けられると言うのはどうでしょうか。

例えば、社会正義に反したWebサイトには自己申告が必要だとか、Webサイトに担保を付けるとか。


それと気になる事があります。

ユーザーから見て思う事は、ブログにしろYouTubeにしろホームページにしろ、

Webサイトが何らかの理由で使えなくなったらそれで終わりだと言う事です。

当然、その保証はありません。

パソコンが壊れたり、接続に問題が発生したり、電気が止まってもそれで終了です。

つまり、Webサイトはバーチャルリアリティーな世界ですから、「無」であり「幻」であり「遊」なのです。

世界中の有能な人達はコンピューター化に浮かれていますが、機能が停止したら終わりの「ゲーム」です。しかもリセットが出来ません。

と言う事は、情報を発信するにはWebサイトは適しているが、コンピューターが社会経済をコントロールするには問題があるように、

私自身も使えなくなったら終わりの「遊」だと割り切って楽しんでおります。

だから、Webサイトで金儲けも「また、良し」かもしれません。



財政健全化その6、地方再生案。

2015-06-16 | 社会問題
こうすれば必ず地方が再生する方法が一つだけ確実にあります。

ずばり、首都を地方に移すのである・・・・・。

当たり前だが、これでその地方は再生する・・・・・・。

移すのは首都だけではない。

財務省は関西に移し、

東海三県には経済工業省を設置し、

九州地方には外務省が適合してるし、

東北地方には農林水産省が相応しいし、

エネルギー政策には福島太平洋地域が望ましいし、

沖縄と北海道には環境省と平和国家戦略の推進部を設立する。

文部科学省は夏は長野で、冬は四国で行い、

静岡には国土交通省を配置し、

中国地方には厚生労働省、

関東には勿論、防衛省だ。


この分散型内閣で地方を活性化出来れば一極集中型の大都市ではなくなります。

その地方には独自の個性があるように、自立したシステムを創り出して新しい風を感じられれば日本も面白くなりそうです。