酒好き文化風俗研究者

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見栄を張るのか、それとも楽しむのか。

2015-07-17 | 社会問題
全ての動物には種を保存する為の利己的な攻撃本能が備わっており、

それを適度に制御するメカニズムが人間のオスにだけ上手く機能していないと言われている。

男性がスポーツに異常なほど熱狂するのはそのためである。戦わなければつまらない性分だからだ。


私達の歴史や文明は男性によって引き継がれるが、

文化や「もののあはれ」は女性たちによって語られる。

生活の中から生まれるのが文化で、戦いで得たものが文明。どちらでもよいのだが、

文明よりも文化の方が一歩リードしているように思われる。

なぜかと言うと、

文明の発展は強い者だけが生き残る為の自然淘汰にあるが、

文化の強さは積み重ねの法則、「継続こそ力なり」だからだ。

民族の危機や伝統教育の危機にしても、人は文化という情報を通じてしか意味する行為も相互作用も出来ないからだ。

そして何より重要なのは、女性たちには遊び心に盛り付けられた華やかな謙虚さ、活気極まる感動など、

一見、非合理に思えるものでも気づけばそれが社会の役に立ち、いつの間にか文化となり、そしてその文化の発展と社会の担い手が女性という訳である。

男はただ、楽しむだけで善く、また私達は一生子供であり、一生青春の風に吹かれるマドンナ達のララバイだ。

そうでなければ、男性はその成長の過信に問題があると考えられるからであり、つまりは、見栄を張り過ぎているのだ。

女性が継承する文化を楽しむことは心を取り戻す生活習慣であり、忙しすぎて心を亡くした男たちの故郷である。

我々には本来遊びたがる子供が隠されているのだから、競争激化の毎日だけでは、何時しか疲労は男性を臆病に変えてしまう。傷ついた戦士だ。

男性が女性と楽しむことは真の感応力の表れであるから、人生の平和と幸福は楽しみ尽くす以外に方法は無い。

真の人格者なら、生きる能力、生きる意味とは、いかなる状況下であっても男女が共に楽しめるスキルに他ならないから、

男と女が一緒になって人生をエンジョイする事は、人を褒めることと同様に合理的であり、それは神が決めた遊戯のようであるのです。